新着情報
◎ホームページのリニューアル
昨年11月にウェブ・サイトを開設してから、丸1年が経過しました。この間、「出会いの広場」に集ってくださったみなさんのご理解、ご支援に、深く感謝します。関大退職により、発足時から大きく変わった現在の環境を知っていただくために、「ホーム」の写真・動画および「プロフィール」を一新します(現在編集中)。まもなく生まれ変わるホームページに、どうかご期待ください。
◎木岡哲学対話の会
11月例会を、次のとおり開催します。10月例会からZoomによる多元中継を取りやめ、会場現地のみでの開催となっています。感染防止の対策を十分に行ったうえで、会場においでください。
・日時:11月27日(金)18:00-20:00
・会場:吹田市サンクスホール第2会議室(JR吹田駅下車徒歩3分)
・出演:佐藤竜馬(香川県埋蔵文化財研究センター調査課長)
・テーマ:「歴史を紡ぐ主体 ~歴史は誰のもの?~」
・内容:地域やコミュニティにとって、歴史とはどのような意味をもつのか?住民が主体となり、地域の歴史を可視化した活動から、考える。
◎木岡哲学塾 塾生募集
先月お知らせしたとおり、2021年度「木岡哲学塾」のスケジュール(春期・秋期)をお示しし、参加者を募集します。「趣旨」「参加資格・条件」は、先月記したとおりですが、若干の加筆があります。参加を希望される方は、参加したい理由・希望条件などを、事前に主宰者(木岡伸夫)までお知らせくださるようお願いします(n.kioka@s3.dion.ne.jp)。
[趣旨]
広い意味での哲学に興味のある人、考えることが好きな人に、「哲学とは何か」を身をもって体験してもらう授業。
上半期(春期)のテーマは、「哲学とは何か」。世間でイメージされている「哲学」の知識を教授するのではなく、「自分のテーマを自分で考え、自分の言葉で表現する」という、本来の哲学を実践する。各回2時間の前半は、各自が自分で考えるための材料を提供するレクチュア(50分)。講義内容は、これまで世に流通してきた哲学に替わる新たな学問、主宰者の提唱する「風土学」への導きとなることをめざす。休憩(10分)をはさんで後半は、講義を受けて塾生から出されたテーマをめぐる「哲学対話」(60分)。希望により、塾生の意見発表・討論も随時取り入れる。
下半期(秋期)の講義テーマは、「時間とは何か」。「時間」は、誰にとっても身近な関心の対象でありながら、その本質が謎とされてきた問題である。古今東西の時間論を比較検討し、たがいの共通点と相違点を明らかにすることによって、東西両世界が〈対話の場〉を開くための条件を明らかにする。前後半の時間配分は、春期に同じ。後半の哲学対話では、塾生による研究発表・討論を展開する。
[参加資格・条件]
年齢・身分・学歴・職歴を問わず、上記の趣旨に賛同される方。哲学などの知識や学習履歴は不問。知識・教養志向ではなく、自分のテーマに沿って〈生きる知恵〉を哲学に期待する方。高卒程度の基礎学力――具体的には、HP連載中の「エッセイ」を、興味をもって読みこなすことができる程度の能力・教養――を、参加の条件とする。参加費(資料代・お茶代)は、各回500円。
[申込手続き]
参加希望者は、哲学に寄せる関心など、参加したい理由を添えて、主宰者まで口頭もしくはメール等によって申し込むこと。募集人数は若干名(先着順)。オフィス・アワー(次項)での来談歓迎。
[オフィス・アワー]
金曜午後2時-5時を、「オフィス・アワー」として、広く開放します。大学のオフィス・アワーは、学生が事前予約なしに研究室を自由に訪問できる制度ですが、当方の場合、来談者が重ならないよう、メールでの事前予約をお願いします。
以下、春期・秋期のプログラムおよび予定日(いずれも隔週水曜18:30~20:30、ただし、事情による変更もあり)を示します。
2021年度木岡哲学塾 [春期]:「哲学とは何か」
「哲学」とは何だろうか。「自分のテーマを自分で考え、自分の言葉で表現する」ことである。この考えに沿って、参加者各自が、それぞれのテーマをそれぞれの流儀で考え抜くための実践に取り組む。前半の講義(50分)は、自分で考えるための材料となるテーマ、考え方のサンプルとして、主宰者自身の「風土学」を取り上げ、その内容を紹介する。後半の哲学対話(60分)では、講義内容や各自の疑問に即したテーマを取り上げ、どこまで考えが深められるかに挑む。メンバーが希望する場合には、後半の全体を研究発表・討論に充てることもある。
1 「考える」とは?(4.9)
考える手がかりは、私たちの周りにいくらでもある。何かを考えることと「哲学する」こととは、同じことだろうか。同じでないとすれば、何がどう違うのか。参加者が、それぞれに関心のあるテーマを持ち寄って、議論を繰り広げる「哲学対話」の試み。
2 私・世界・人生(4.23)
「私はこの世界に生きている」という、ごくごく当たり前の事実がもつ意味を、私・世界・人生という三つの要素に分け、それぞれがいずれも哲学の問いとして、容易に答えの出ない重要な謎を含んでいるということを確かめる。
3 〈私〉の不思議(5.7)
〈私〉とは何ものか?〈私〉はなぜ、いかにして存在するのか?人間は昔から、最も哲学的とも言えるこうした問いを、自身や周囲に投げかけ、答えを出そうと努めてきた。この問いがもつ意義を、一人一人が追究する。
4 「風土」としての世界(5.21)
ふつう「環境」と呼ばれる周囲の世界は、人々の集う社会と自然とから成る。人間と自然が一体になった世界を「風土」と呼ぶ、風土学の基本的な立場を説明して、「世界に生きる」ことの意味を考え直す。
5 自己と他者(6.4)
私という〈自己〉は、私以外の〈他者〉から独立していて、自己と他者は切り離されて存在する。このような「二元論」の常識が、どのようにして成立したのか、二元論的でない考え方がありうるのか、を検討する。
6 〈あいだ〉を開く(6.18)
自己と他者、心と身体、人間と自然、こうしたものを根本的に区別する二元論に対して、風土学は対立する二者の中間(あいだ)を開く。〈あいだ〉とは何か、〈あいだを開く〉ことが、どうして必要なのかを考える。
7 〈出会い〉と〈縁〉(7.2)
人と人の〈あいだ〉は、〈出会い〉によって開かれる。出会って、たがいの違いを認め合うと同時に、自他の結びつきを確認することによって、〈縁〉が結ばれる。風土学最大のテーマ〈出会い〉(邂逅)と〈縁〉の意義を明らかにする。
8 総括討議(7.16)
「哲学とは何か」をめぐって、各自が考え、導き出した答えは、どういうものだったか。それぞれの発見したことや、残った疑問を提出し合い、全員で検討する。
2021年度木岡哲学塾 [秋期]:「時間とは何か」
哲学の世界では、古来、「時間とは何か」が根本問題として問われ、論議が重ねられて、今日に至っている。私たちの日常生活でも、「時間とは何か」を直接に問うことはないとしても、時の経過をしじゅう気にかけるなど、時間に注意を奪われ、いわば「時間に支配される」生き方を余儀なくされている。偉大な哲学者たちが論じ続けてきながら、いまなお答えの出ないテーマ――時間。それに答えを提出しようとする意図まではなくとも、参加者がそれぞれ「時間」の問題に注意を向けることによって、それを考えることにどのような意味があるのかを、理解することをめざす。後半の「哲学対話」は、参加者の希望に応じて、研究発表と討論に充てる予定。
1 時間と〈私〉(9.10)
各自がこれまで体験してきた「時間」の意味を、それぞれの言葉で語り出し、意見を交換する。時間を考えることの意義にふれた人々の発言を手がかりに、それぞれの時間についての理解や疑問点を付き合わせて検討する。
2 瞬間と持続(9.24)
主宰者が、若き日に取り組んだベルクソン哲学、その中心思想は「持続」。時間の連続を否定する「瞬間」の問題に目覚め、以来、ほぼ半世紀を費やして今日に至った、自身の研究歴を振り返りながら、連続と非連続の関係を考える。
3 時間の比較社会学(10.8)
人間社会は、それぞれの世界に適合する時間の観念をつくり出し、それに一致する生活を営んできた。直線的な時間、循環的な時間など、古今の代表的な時間観念を取り上げ、それがどのようにして成立したのかを考える。
4 近代の時間意識(10.22)
科学技術の発達により、空前の「進歩」を遂げた西洋近代世界。その「進歩」は、直線的時間の図式と深く結びついている。現代人の常識の底にある時間観念が、近代に生まれたフィクションであるゆえんを解き明かす。
5 仏教の時間意識(11.5)
仏教的な「輪廻」に代表される反復的・循環的な時間は、西洋近代の直線的時間と鋭く対立する。仏教にはもう一つ、「刹那滅」と呼ばれる特殊な考え方が存在する。「輪廻」「刹那滅」の考えが、どうして成り立ったのかを明らかにする。
6 「瞬間」とは何か(11.19)
ここまで検討してきた東西の時間観念をふまえ、ほぼ同義とされる「瞬間」と「刹那」の共通点と相違点を明らかにする。両語の意味の重なりと食い違いは、そのまま東西両世界の共通性と差違にほかならないことを示す。
7 〈邂逅〉の条件(12.3)
東西の時間論を比較して、共通の地平を開くことは、二つの世界が出会う(邂逅する)ために必要不可欠な手続きである。〈邂逅〉の条件となる時空のあり方を、風土学の立場と目的に沿って明らかにする。
8 総括討議(12.17)
参加者が年間の講義から得た成果や疑問を、それぞれが披露し、今後に向けてのテーマを確認するための対話を展開する。