毎月21日更新 エッセイ

30年代の哲学者(4)――九鬼周造

前回を承けて

直言先生:前回取り上げた哲学者は、和辻哲郎。多数ある彼の著作の中で、よく読まれている『風土』について、いろいろ話をしました。お二人は、どんなことを感じられましたか。

中道さん:『風土』の中で、美術について書かれている箇所が思ったよりもたくさんあることに、少し驚きました。「第二章 三つの類型」の「三 牧場」の中で、ギリシアやイタリアなど南欧の美術と西欧の美術との違いが、風土の違いによるものだという説明が具体的になされていることに感心しました。ヴェラスケスとレムブラントの絵の違いが、風土によるものだというような考えを知って、なるほどという感じがしました。

直:「とき」と「ところ」によって異なる芸術の性格は、「第四章 芸術の風土的性格」で、まとめて論じられています。風土学と文化論とが一つに結びついた考察です。

猛志君:あれから読んだ「第三章 モンスーン的風土の特殊形態」の「二 日本」が、「間柄」をテーマにしていることが判りました。人と人との「間」の代表的なものが、「男と女の間」であるとして、恋愛が取り上げられているところが新鮮でした。

直:そうですか。人の間柄を恋愛に代表させているということですね。君はそこから何を考えましたか。

猛:昔の恋愛は、ここに書かれているとおり、家族をつくるための手段だったと思います。恋愛関係が夫婦関係や親子関係の前提であるという考えが、当然のように示されています。でも、恋愛と結婚とはイコールではないとして、二つを切り離すということが、現代の常識です。恋愛を間柄の出発点のように考えないとしたら、倫理学はどういうものになるのだろうか。そんなことが気になりました。

直:間柄に立脚する和辻のような倫理学の立場は、はたして可能だろうかという問いかけですね。重要な着眼点だと思います。そこで、と言っては何ですが、男女の仲について、和辻のように家族と結びつけない考え方が可能であることを、本日のテーマにしてみようかと考えます。

中:恋愛が結婚つまりは生殖と結びつかない考え方、それを説いている人が、いるということですか。それは誰ですか?

直:九鬼周造です。和辻と同じく第一高等学校に入学して、ケーベル先生を師と仰ぐことでも二人は共通しています。ところが『「いき」の構造』には、結婚や家族に結びつかない恋愛の形が表現されていて、和辻とは対極的な恋愛観が、そこには認められます。そういうことから、今回、30年代日本の哲学者として、九鬼を取り上げることにしましょう。

二人との〈縁〉

直:いま言ったとおり、恋愛に対する和辻と九鬼の立場は、まったく対照的です。伝統的な家族社会のイデオロギーを和辻が代弁するのに対して、家族をつくらない恋愛の形を九鬼は表現している。ところが、両者のたどった人生の軌跡には、いろんな共通点があります。境遇・環境が似ているだけに、二人の思想の違いがより鮮明に印象づけられる。そういう二人に対して、私の方から見ると、一種の〈縁〉が感じられるのです。

中:和辻と九鬼に対する〈縁〉、それは具体的に言うとどういうものですか。

直:生年は、1888年(九鬼)と1889年(和辻)で、一年違い。同じ第一高等学校に入学したものの、九鬼が一年落第したことで、同じ1909年に卒業。同じく東京帝国大学哲学科でケーベルに師事。卒業後の針路は分かれるものの、二人とも西洋に留学したことが、自身の思想形成に重大なインパクトを与えたという点が、共通しています。時期は異なっていても、京大で教鞭をとった経歴も共通しています。

猛:いろいろ接点がある二人であるのに、和辻と九鬼を比較して論じた研究にふれたことがありません――僕が知らないだけかもしれませんが。どうしてだろう?

直:私も両者の比較論を知りません。たぶん研究はされているのでしょうが、それほど目立った成果が出ていないので、知られていないのでしょう。同じ時代に生きたものの、タイプの異なる哲学者、という受けとめ方が一般であるように思われます。

猛:タイプが異なると言われたのは、どういう点を言うのでしょうか。

直:和辻の代表作は、『倫理学』(19371949)。戦前から戦後まで書き継がれ、上中下に分かれた大作で、倫理学の理論体系を構成します。対する九鬼の代表作は、『偶然性の問題』(1935)。「偶然性」に特化して徹底追及した、モノグラフ(専門研究)というべき作品です。この点は、主著が体系的であるかないかの違いですが、そこに二人の哲学者としての個性が表れていると言えるように思います。

中:個性の違いがあるということですが、先生が二人との〈縁〉を特に感じられるような点が、何かあるのでしょうか。

直:外国留学の経験が、それぞれの学問に具体的な方向性をもたらしたことです。和辻の場合は、空間性・風土性が人間存在の構造契機になるという着想をもとにして、倫理学の本体となる人間存在論を構成しました。九鬼の方は、一人の日本人として外国人と付き合った対人的な経験を掘り下げて、〈邂逅の論理〉を含む偶然性の論理を仕上げた、というのが私の解釈です。二人は、私の風土学理論の柱となる存在論と実践論についての手がかりを与えてくれた点において、恩人というべき存在なのです。

中:先月取り上げられたテクストは、『風土』。今回は、九鬼のどの作品が取り上げられるのでしょうか。

直:『「いき」の構造』を取り上げます。これも『風土』(1935)と同様、岩波文庫に入っていて、よく読まれているロングセラーです。読書ガイドのようなつもりで、この本の勘どころを紹介したいと思います。

講義:〈出会い〉と「いき」

九鬼周造(18881941)の主著『偶然性の問題』(1935)の前に世に出た『「いき」の構造』(1930)。それ自体は主著ではないものの、主著の準備作という位置づけができるという性格は、『倫理学』に『風土』が先行する和辻の場合と共通しています。人間存在の空間性・風土性についてのフィールドワークである『風土』から、理論体系としての『倫理学』が生み出されたように、「いき」(粋)という特殊なテーマの研究から、より一般的な『偶然性の問題』が生まれた。そういう意味では、両者の学問研究はよく似た歩みをたどっていると理解することができるでしょう。

とはいっても、『風土』から『倫理学』につながる線が明らかなのに対して、『「いき」の構造』が『偶然性の問題』に明確に結びついているという印象はありません。というのも、「偶然性」という難しい哲学的概念と、「いき」にかかわる男女関係の事実とが、スッキリつながるようには見えないからです。『いき』が取り扱うのは、江戸時代の色里で遊女と客とのあいだに交わされた情愛としての「いき」のあり方。そんなものが、哲学という謹厳実直な学問のテーマになるなどとは、誰も予想しなかったことでしょう。「昭和五年十月」と日付が打たれた冒頭の「序」には、「生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。我々は「いき」という現象のあることを知っている。しからばこの現象はいかなる構造をもっているか。「いき」とは畢竟わが民族に独自な「生き」かたの一つではあるまいか。現実をありのままに把握することが、また味得さるべき体験を論理的に言表することが、この書の追う課題である」(岩波文庫版7頁)と記されています。江戸時代以来、おそらく今日に至るまで、「いき」と称される行為や感情は、日本人の生活に息づいています。そういう当たり前の生活経験を「論理的に言表する」というのは、意外なことに、誰によっても行われていない。哲学という学問の立場から、そうした身近な現象の構造を分析しようとしたものが、『いき』の本文である、そう理解することができるわけです。

といっても、なぜ「いき」なのでしょうか。他にもいろいろある問題の中から、「いき」というテーマが選ばれたことに、どういう理由があるのでしょうか。それが問題です。いろんな解釈が可能な中で、私は「「いき」の本質」(『「いき」の構造』準備稿)がパリで作成されたという事実に注目します。1921年から1929年にかけて、8年に及ぶ長い滞欧生活の中で、それも花の都パリにいる間に、江戸時代日本人の美意識をテーマにする日本文化論が取り上げられたのは、いったいなぜ?――誰が考えても不思議な話ではないでしょうか。それには、ハッキリした理由がある。事は、九鬼自身が「邂逅」(辞書的意味は「思いがけない出会い、めぐりあい」)と称する〈出会い〉の問題に関係します。そこに立ち入る前に、この作品のポイントを説明しておきましょう。

「いき」が問題となる典型的な場面は、異性同士が惹かれ合う局面です――「「いき」の第一の徴表は異性に対する「媚態」である」(22頁)。「媚態」は、平たく言えばセックス・アピール、異性に対する魅力を発散して、相手に近づきたいと思わせるふるまいを表します。九鬼によれば、「媚態とは、一元的の自己が自己に対して異性を措定し、自己と異性との間に可能的関係を構成する二元的態度である」(23頁)。解りますか?誰もが抱く恋愛感情を、哲学者が表現すると、こうなる。一人の女として、「一元的」である自分。その自分が、好きな男と結ばれることを願う。けれども、願うだけなら、それは「可能的関係を構成する」にとどまり、相手と自分とは別々で「二元」のまま。相手と結ばれたいけれども、現実には結ばれることなく、可能的関係にとどまり続ける「二元的態度」、それこそが「いき」である。九鬼は、そのように「いき」を定義づけます。結ばれたいと思いながら、それをグッと我慢するのは、「いき」の第二の徴表である「意気」「意気地」のはたらき。その結果として、好きな相手と結ばれることを断念するという「諦め」が、「いき」の第三の徴表です。「媚態」は、異性に恋情を抱くという、万国共通の感情部分。そこに、武士道に由来する「意気地」と仏教に由来する「諦め」とが結びつくことで、日本文化に固有な「いき」が成立した、というのが九鬼の歴史的解釈です。

ここから議論したいポイントは、たくさんありますが、それは端折って、なぜこの作品の準備稿が異国のパリで書かれたのか、という先の問題に戻ります。「いき」についての哲学的な考察を、日本ではなくパリ滞在中に書き上げたという事実は、九鬼がその後に、さる有名な哲学者のもとを訪れて対話した、というもう一つの歴史的事実と深く関係していると私は考えています。その哲学者とは、ハイデガー。対話で取り上げられたテーマは、「いき」。この事実は、九鬼の来訪からずっと後、およそ30年後に発表されたハイデガーの著作『言葉についての対話』が物語るとおりです。ハイデガーのテクストは、対話篇の形式をとるフィクションで、内容はハイデガー自身と想定される「問う人」と仮想の「日本人」との間に交わされる対話。「九鬼伯爵」の回想からはじまり、二人のあいだで、「いき」をめぐるやりとりが進んでいきます。その中で、「問う人」は、「いき」をめぐる「九鬼伯爵」との対話についての歴史的事実を証言しています。そこから推すなら、『「いき」の構造』の準備稿が、この対話に先立ってパリで書かれたことの理由は明らかです。それは、ハイデガーという、当時の九鬼が最も高く評価する哲学者との対話に向けて、文字どおりその準備のために、テクストが作成されたということです。

私は、過去に発表した論文や著書――特に、『邂逅の論理』第四章――の中で、以上のようなことを指摘してきましたが、研究者からの反応はありません。ですが、そんな些細なことよりも、九鬼のこだわったテーマが、他者との〈出会い〉と〈対話〉であるということの方が重要です。「いき」というテーマは、単に異性との関係に限られることなく、他者といかに出会うかという、日本の哲学が真剣に引き受けなくてはならない課題を意味していると私は考えます。この点については、この場にいるお二人との対話をつうじて掘り下げてゆきたい。ということで、講義はここで打ち切ることにします。

〈いき〉についての対話

直:大急ぎでポイントだけを話したので、『「いき」の構造』という作品全体の紹介ができませんでした。聞きたかった点があるでしょうから、お二人から何なりと質問していただきましょう。

中:「いき」という言葉は、現在でもときどき耳にします、着ている服のデザインが「いき」であるとか、相手のためになるさりげない配慮を「いきなはからい」というように。男女の関係以外で、「いき」に当たるような事柄は取り上げられていないのでしょうか。

直:私がお話ししたのは、「いき」とは何かという本質論、「一 序説」に続く「二 「いき」の内包的構造」の部分です。それに続いて、「いき」に関連するさまざまな概念――「上品」「野暮」「地味」など――と「いき」との違いを論じる「三 「いき」の外延的構造」が論じられ、さらに、身体的表現をめぐる「四 「いき」の自然的表現」に続いて、着物の柄模様や建築、音楽などを扱う「五 「いき」の芸術的表現」と続きます。

中:そういうことなら、「四」や「五」を読むと、「いきな着こなし」とそうでない身なりとの違いが判るわけですね。

直:そう、この本はファッション論としても面白い。「五」で着物の柄の縦縞が「いき」、横縞が「野暮」とされる例は有名です。

中:そうですか。縦縞が「いき」で横縞が「野暮」である理由が書かれているわけですね。読んでみます。

猛:僕は、ハイデガーと対話するための準備として、パリで「「いき」の本質」が書かれたというエピソードに、興味を感じました。そんな解釈は、これまで誰からも聞いたことがないので。

直:そうでしょう、九鬼が他者との〈出会い〉を哲学のテーマにした事実の重みが、研究者から理解されていないのです。

猛:質問したいのは、どうしてハイデガーとの対話のテーマに「いき」を選んだのか、ということです。哲学的なテーマなら、他にたくさんあるでしょうに――

直:日本にハイデガー哲学を紹介したパイオニアであるという点からすると、九鬼が取り上げたい話題は、たくさんあったはず。しかし、どうしても「いき」でなければならなかった理由がある、と私は考えます。

猛:それは何ですか。どうして「いき」を問題にしなければならなかったのでしょうか。

直:〈対話〉をするためです、質問やインタヴューのためではなく。

猛:それはどういうことでしょうか、よく分かりません。

直:西洋に留学する日本人は、西洋の学問をお手本として学び、吸収しようとする。明治以後の日本の近代化は、そういう留学生によって推し進められました。その基本は、生徒が先生から教えてもらう関係。対等な人格同士の付き合いではありません。

猛:先生は、〈対話〉が対等同格の人間同士の関係によって成り立つと言われています。九鬼は、ハイデガーとそういう意味での〈対話〉をしようとした。そういうことでしょうか。

直:そうです、そのとおり。

中:九鬼は、ハイデガーと対等な対話をやろうとした。でも、そのために「いき」をテーマにしなければならない理由があるのか、と猛志君は訊いておられる。私にも、その点が疑問です。

直:なら、ちょうどよい。お二人を相手に、九鬼が「いき」を話題にした理由は何かを説明しましょう。中道さん、「いき」は世界中のどこにでも見られる現象でしょうか、それとも、日本でだけ見かけられる現象でしょうか。どちらだと考えられますか。

中:ウーン、どう答えたらよいか……自分は昔、スペインに駐在していたとき、現地で「いき」を実感したという経験はありません。スペイン人は、男女ともスラッとしてカッコいい人が多いなあ、と感じることが多かったのですが……と言っても、スペインに「いき」がないとまで言い切る自信はありません。

直:答えにくいというのは、よく分かります。その国に「いき」があるとかないとかは、どうとでも言える話ですから。一つだけハッキリしているのは、日本語の「いき」に当たる言葉は、スペイン語には存在しないということです。

中:エーッ、ないのですか。「いき」はスペイン語に翻訳できないということですか。

直:「いき」は外国語に翻訳できない日本語として、民族的特殊の表現であるということを、九鬼が主張しています。例えば、フランス語でchicélégantといった単語には、「いき」に近い意味があるけれども、それでは「いき」そのものを表現できない。「いき」は、日本人によって「生き」られる民族的体験である以上、それと同じ体験に根ざさない外国語には、同じ意味の言語表現は存在しないのだということが、「一 序説」の中で説かれています。

猛:でも、「いき」がもし日本人にだけある特殊な体験で、外国語に翻訳できないというのなら、「いき」をテーマに外国人と対話することは不可能だ、ということになるのじゃありませんか。

対話の目的

直:日本語「いき」は、日本人固有の特殊な体験を表現する。したがって、フランス人やドイツ人がそれを理解することはできない、というのはたしかにそう。でも、だからこそ、「いき」についての対話に意義があるのです。

猛:何をおっしゃっているのか、意味が分かりません。

直:対話の目的は、相手を理解することにある。君はそれを認めますか。

猛:もちろんです。なのに、先生は相手が理解できない例として、「いき」を挙げられている。いったい、どういうことですか。

直:対話の相手を「理解する」ということは、相手が「理解できない」ということを理解することである。こう言えば、解ってもらえるでしょうか。「いき」に関して、それを体験したことのない相手、たとえばハイデガーには、それを理解することができない。対話をするのは、そういうことを相手に理解させる目的のためです。

猛:少し解ってきました。対話をするのは、相手に自分を理解させるため、というより自分に理解できないところがあることを相手に悟らせるため、ということですね。でも、相手が自分のことを理解できないと解ったなら、それ以上、対話を続ける意味があるのですか。

直:本質的なポイントにふれる質問です。何のために対話をするのか。目的の第一は、相手と自分とは違う存在である、相手には自分の理解できない部分がある、同様に自分には相手の理解できない部分がある、ということをおたがいに認め合うことにあります。

中:割り込んで言わせてください。九鬼が「いき」についての対話をハイデガー相手にしかけた理由は、「いき」が理解できないということを、相手に解らせるためであったと。そうおっしゃっているわけですね。

猛:でも、そういうことなら、それ以上対話を続ける意味がない、と僕は思います。

中:私も同じ疑問をもちます。相手と自分とが違うことが判ったら、それ以上対話を続ける意味があるのだろうか、と。

直:重要な問題なので、慎重に説明しましょう。自分には、相手の理解できない部分がある。そのことを相手が知ったとする。ですが、「理解できない部分がある」ということは、同時にその半面、「理解できる部分がある」ことを意味する。解りますか。

中:「理解できない」ということは、「理解できる」ということと表裏一体の関係にある、ということですか。そういうことなら解ります。

直:「理解できる」と「理解できない」とは表裏一体、うまい言い方をされますね。そのとおりです。私がよく使う言い方では、「似る」と「似ない」とは、一見反対のようだが、実は同じことを意味している。その意味は、中道さんがいま言われたことと変わりません。

猛:以前、「似る」と「似ない」とが同じであることに気づくのに三年かかった、と言われたことを思い出しました。

直:「三年」は大げさだとしても、気づかれにくい盲点であることは確かです。「似た者」同士の二人が、チョットしたはずみで言い争いになって、口を利かなくなるのは、よくあること。もともと「似ない」部分があることで成り立っている付き合いであることを忘れて、自他を一体化してしまうために、いったん関係がこじれてしまうと、修復できなくなるのです。

中:言われたことは、対話をつうじて自他の共通性と違いをともに認識しなさい、ということですか。言い換えると、相手に理解できない部分があることに気づくために、対話が必要ということでしょうか。

直:まさしく、そのとおり。相手が理解できないと認めた時点で、対話を止めるのではなく、対話を続けることによって、自分と相手との違いをより深く理解できるようになる。それが、対話の目的だと言いたいのです。

中:少し先回りして言わせていただくなら、対話を続けることによって、最初は「理解できない」と思っていた部分が、「理解できる」ようになる場合がある。そういう変化が生じることもある、と考えられるでしょうか。

直:こちらの言い足りないところを補足していただきましたね。そういうことです。

九鬼とハイデガーの〈あいだ〉

猛:対話の目的がどういうことかについては、だいたい解りました。その点からすると、九鬼がハイデガーと交わした対話の成果は、どうだったのですか。

直:よく分かりません。「いき」についての対話をしかけた九鬼本人の証言が、残っていませんから。しかし、ハイデガーの側には、さっき申し上げたとおり、『言葉についての対話』という作品が残されています。そこから、二人が行ったやりとりの中身を想像することは不可能ではありません。

猛:フィクションとしての対話篇から、どういうことが想像されるのですか。

直:「問う人」――ハイデガー自身――と、相手をする「日本人」――むろん九鬼ではなく、九鬼のことを知るとされる架空の人物――とのやりとりから、実際に行われた対話の様子をある程度窺うことができます。

猛:どんなことが窺えるのでしょうか。

直:冒頭、日本的な美意識を表す「いき」を、九鬼が概念化して説明したことに対する違和感が、「問う人」から表明されます。

猛:対話は、ドイツ語で行われたのでしょう。だったら、「いき」をドイツ語に翻訳して説明する以外にないじゃありませんか。

直:そう、九鬼としては、翻訳できないことを承知したうえで、「いき」は媚態・意気地・諦めの結合体であるというように、「概念化」する以外にありません。

猛:そのやり方が、間違っているというのですか。だったら、どうすればよいのですか。

直:ハイデガーの言い方によれば、自分たち西洋人と東洋の人間とは、異なる「存在の家」に住んでいる。異なる家から家への対話は、不可能であると。

猛:その言い方は、対話そのものが不可能だと言っているように聞こえます。

直:ハイデガーと九鬼、それぞれの住む家が異なるという認識について、両者に違いはない。けれども、異なる家と家との対話ができるように、と九鬼はあえて「いき」を概念化しました。概念とは、日本語とドイツ語に共通する意味の要素です。その手続きを否定したのでは、対話は成立しなくなります。

中:自分のことを言って恐縮ですが、スペインに駐在している期間中、現地の仲間に対して、下手なりにスペイン語で話しかけようと一生懸命試みるのが、私の習いでした。そうすると、相手も心を開いて応じてくれました。そのときのことを、いまのお話から思い出しました。

直:たとえコミュニケーションが不完全だったとしても、あなたとスペインの人とのあいだに対話が成立したのは、おたがいに同じ目線に立つ対等の関係があったからです。対話をするためには、対等同格の関係がなければなりません。

猛:九鬼とハイデガーのあいだには、そういう関係がなかったということでしょうか。

直:おそらくそうだと思います。ハイデガーの日記には、九鬼を「金持ちの貴族」と軽蔑的に呼んでいる箇所がある。二人に対等の付き合いがあったとは、とても思われません。

中:それでも、九鬼はハイデガーを信頼して対話しようと試みたわけですね。それは、どんな思いからだと考えられますか。

直:ハイデガーを尊敬すればこその働きかけであった、そのことに間違いありません。最後に、対話のテーマに「いき」が取り上げられた理由を、私なりに解釈して終わることにします。「いき」とは、媚態に意気地・諦めが付け加わった「生き」方。相手が好きで一緒になりたいと願いながらも、おのれのプライドを保って相手との一体化を断念する、という〈出会い〉の作法です。このマナーは、西洋の学問文化に追随しながら、安易にそれと合流する途をとることなく、独自の生き方を追究しなければならない日本人の立場に、そのまま重なります。「いき」の美意識は、近代において、西洋に対する日本の立ち位置を象徴しています。「いき」をめぐる対話を、西欧を代表する一人の哲学者にしかけたということ。この出来事は、1930年代の日本哲学が、西洋との〈出会い〉という課題に正面から向き合った事実を物語っているように、私には思われます。

  最後にひとこと、『「いき」の構造』は〈出会い〉の倫理学である、と申し上げて終わることにします。

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