毎月21日更新 エッセイ

「日本」を問う(1)――なぜ「日本」を問うのか?

テーマの周辺

直言先生:年が変わって、この正月から新しいシリーズに入ります。「30年代の哲学者」全5回を終えたところで、さて次に何をテーマに取り上げるか?迷いましたが、ふっと浮かんできたテーマがあります。「日本」です。「日本を問う」というタイトルを掲げることにします。お二人、このテーマはいかがですか。

中道さん:「日本を問う」ですか。異論はありません。ただ、どうしてそのテーマにしようと考えられたのかを伺いたいと思います。

直:「日本とは何か」「日本人とは何ものか」といった問いに答える日本論、日本人論は、数多くあります。しかし、そういうテーマとは違って、「日本を問う」というテーマは、日本についての問いを立てるということ、そのことの意味を問題にするという含みがあります。二つの問い方がどう違うか、お判りになりますか。

中:判りませんが、「日本を問う」というテーマが「30年代の哲学者」に関係する、ということをおっしゃっているのでしょうか。それなら、何となく判るような気がします。

猛志君:西田幾多郎から三木清まで、シリーズで取り上げられた日本人哲学者は、それぞれのやり方で「日本を問う」ことをした人たちだと。先生は、そうおっしゃりたいのではありませんか。

直:そのとおり。ですが、私が言いたいのは、彼らが日本についての問いを立てて、それにどう答えたかということよりも、日本について問わなければならない状況をつくりだした、そのことに重要性があるということです。チョットややこしい言い方をしたけれども、通じたかな?

猛:彼らの哲学が「日本の哲学」であるために必要な条件は何か、という問題を考えたということでしょうか。じっさいに日本や日本人について論じたかどうか、じゃなくて。

直:急所を突いた、君らしい的確な解釈ですが、そこまで言ったのでは言い過ぎになる。彼らの哲学は、「日本の哲学」を自覚的な目標として立てるところにまでには至っていないと思います。例えば、西田幾多郎であれば、哲学に日本も西洋もない、自分の目ざす哲学は普遍的な唯一の学問だ、というように主張したのではないかと思われる。そのように、各自の思惑はいろいろでしょうが、全体として見たとき、「日本」が問題になる状況をつくったという受けとめ方ができるということです。

中:すみません。「日本の哲学」と言われても、私にはピンとこないのですが、日本のことを考える哲学ということなら、理解できます。そういうふうに受けとめたのでは、いけませんか。

直:おっしゃったことは当然のことで、「日本を問う」ことは「日本のことを考える」ことが基本です。「日本の哲学を問う」ことと日本の問題を考えることとは、切り離せません。現に、5人の哲学者の中に「日本を問う」ことが本命であった人も含まれていますから。

中:ほう、誰ですか、それは。

直:和辻哲郎です。和辻は学者としてのデビュー以来、ずっと日本の問題に関心を向けてきました。著書のタイトルを見ても、『日本古代文化』(1920年)、『日本精神史研究』(1926年)、『埋もれた日本』(1951年)、『日本倫理思想史』(1952年)といった具合に、「日本」が前面に出ているものが目立つし、タイトルに「日本」が謳われていない場合でも、日本のことが出てこない作品は珍しいぐらい。それぐらい日本についての意識がつよかった哲学者です。

中:それは知りませんでした。他の人たちはどうなんでしょう。和辻のように日本をつよく意識した哲学者はいないのですか。

直:「日本」を直接テーマにする著書を発表した人は、いないんじゃないかな。すくなくとも、タイトルに「日本」が付いた本を書いた人はいないと思います。和辻と歳がほぼ同じ九鬼周造は、日本的な美意識である「いき」を問題にしました――前々回のエッセイで説明したとおり。日本のことをテーマにした評論・随筆なら、かなりあります。ですが、『「いき」の構造』などの著書に関するかぎり、タイトルに「日本」を掲げて正面から論じた例はありません。

中:そうですか。和辻が特に「日本」を意識して研究のテーマにしたのは、どんな理由からでしょうか。

「日本」との出会い

直:和辻は、『倫理学』上・中・下を完成させたことから、倫理学者あるいは哲学者として知られていますが、研究の出発点は美術史を中心とする文化史でした。その分野で最初の重要な著作が、『日本古代文化』(1920年)。「大正九年九月二十日」という日付のある「初版序」――改稿・改訂されるそのつど、計4つの「序」が書かれているうちの最初のもの――には、次のように書かれています。

  日本文化、とくに日本古代文化は、四年以前の自分にとっては、ほとんど「無」であった。すでに少年時代以来、数知れぬさまざまの理由が、日本古来のあらゆる偶像を破壊しつくしていたのである。が、一人の人間の死が偶然に自分の心に呼び起こした仏教への驚嘆、及び続いて起こった飛鳥、奈良朝仏教美術への驚嘆が、はからずも自分を日本の過去へ連れて行った。そうしてこの種の偉大なる価値を創造した日本人は、そもそも何であるかという疑問を、烈しく自分の心に植えつけた。この書もまたこの疑問から生まれたものにほかならない(『和辻哲郎全集』第三巻、岩波書店、1962年、11頁)。

 それまでなかった日本文化、日本人に対する関心が、「一人の人間の死」によって呼びさまされた、という内容です。どう思われますか。

中:へ、偶然の出会いが生じるまで、日本に対して特に関心はなかったと。そういうものですか。

直:そういうことです。仏教や仏教美術への驚嘆が生じたことで、和辻は日本の、それも古代文化に目を向けるようになった、その結果が『日本古代文化』という作品を生んだわけです。

猛:ということは、もしそういう偶然の出会いがなかったら、和辻は日本をテーマにする研究を手がけていなかったということですよね。

直:そう言ってよいかどうか。遅かれ早かれ、日本に関心を向けることになったと思われるが、初期の時点で『古寺巡礼』や『日本古代文化』といった日本文化についての本は書かれなかったかもしれません。

猛:引用された中で、「少年時代以来、数知れぬさまざまの理由が、日本古来のあらゆる偶像を破壊しつくしていた」とあるのは、どういうことでしょうか。

直:微妙な事情はよく分かりませんが、西洋文化に比べて日本文化を低く見る習いが、当時の社会にはあった。文化史研究者として出発したころの和辻にとって、古代ギリシア以来の西洋文化こそが本物であって、それに比べるなら日本の仏教や美術なんてメじゃない、そう思っていたということでしょう。

猛:日本文化、日本美術の価値を否定していた和辻。その和辻に、日本美術を見直す機会が生まれたということですね。判りました。

直:このさいお二人に考えていただきたいことは、二点。一つは、「日本」は、それを問うという事態が生まれる前には、何の実体もないものだということ。もう一つは、日本とは何かを問うたとしても、答えが見つかるとはかぎらないということ、この二点です。いかがですか、中道さん。

中:「日本」を問う前に「日本」という実体はない、とおっしゃることは、分かるような気がします。だからこそ、日本とは何かを問うのでしょうから。よく分からないのは、後の点、問うたとしても答えが見つかるとはかぎらない、とおっしゃったことの方です。もしそうなら、何のために「日本」を問うのでしょうか。

直:答えが出ないのに、どうして「日本とは何か」を問うのかと。おっしゃることは、ごもっとも。それに対して答えるなら、人間は答えの出ない問いに向かい続ける場合がある。それは、答えを出すことよりも、問い続けることの方に意味があるような場合です。そんな問いがあると思いませんか、猛志君?

猛:ウーン、何だろう、そんな問いっていうのがあるかな……?もしかすると、〈自分探し〉って奴かな、最近あまり耳にしないけれども。

直:その答えを待ってました。ドンピシャの答えです。明治に生まれた和辻が、まだ若いころに向き合った「日本とは何か」「日本人とは何ものか」という問い、それは近代化を突き進む明治期日本が、言ってみれば、その青春時代に提出した〈自分探し〉の問いではないだろうか。そんな気がするのです。

中:昔、〈自分探し〉というのは、ラッキョウの皮をむくようなものだ、という喩えを聞かされたことがあります。いくらむいても中身が出てこないことから、答えが出ない問題のことだと説明されて、なるほどと思いました。和辻と近代日本が、両方ともそういう〈自分探し〉をしていたとおっしゃるわけですが、具体的に言うとどんな問いになるのですか。

直:もう一時代前になりますが、『風土の論理――地理哲学への道』(ミネルヴァ書房、2011年)の第二章「日本の「制作」をめぐって」の中で、その問題を論じました。和辻にとって「日本」への問いがどういうものだったかを、「「日本」というアポリア」の一節で追及しています。

中:そうでしたか。その内容をここで講義していただけないでしょうか。

直:昔の議論を今ごろ繰り返すのは気が引けるけれども、今回の対話に直接かかわるポイントなので、簡単に紹介することにします。

講義:日本の「制作」

〈自分探し〉に覚えのある方がいらっしゃるなら、お訊ねしたい、答えは出ましたかと。「自分は何ものなのか」という青春の問いは、自分は何をしたらよいのか、どう生きたらよいのかという、よりいっそう切実な問いと一体です。それは、知的な反省によって答えが出せるような問題とは訳が違います。今日の空き時間に何をして過ごそうか。そういう問いなら、「読書をする」「好きなゲームに興じる」といった具体的な答えを出すことができる。しかし、そういった答えの出せる問いと、〈自分探し〉の問いとは、問いの意味が違うのです。

「自分は何ものなのか」という問いに対して、答えが出せないというわけではない。「自分はである」といった形の答えは、どこかから引き出すことができる。それにもっともらしいリクツを添えることもできるでしょう。しかし、それが本物の問いである場合には、どんな答えをヒネリ出したとしても、満足が行く道理はありません。なぜなら、自分は何であるかという問いは、〈本質〉を求める問いであって、〈本質〉なるものはそれに到達できないことによって、そう呼ばれるような何かだからです。お解りでしょうか。

若いころ、誰もがいちどは通過する〈自分探し〉の時期。それを言い換えれば、答えの見つからない〈本質〉の探究であると。そう申し上げても、腑に落ちないとおっしゃる方もいるでしょう。無理もない。人生の終わりまで、自分はどう生きたらよいのか、という問いが止むときはないからです。それでも、その問いが他の時期に比べて格段に高い密度で集中的に問われる時期が、「青春時代」というものです。その時期のテーマを一言でいうなら、「アイデンティティの確立」。和辻哲郎の場合には、文学か哲学かの選択に迷って、後者を選んでから後も、夏目漱石の家に出入りするなど、文学への思いを引きずっていた20代の後半に、引用したように「日本」への問いに目覚めるきっかけが生じた。この問いを私は、青年和辻が自身のアイデンティティを確立するための問いであると同時に、明治期後半の近代化途上にある日本が自らに課した問いである、というふうに二重の意味に受けとりたいと考えます。若き日の和辻自身と近代化の道を突き進む日本、その両方が引き受けなければならなかった〈自分探し〉の問いとして理解したいわけです。

前置きが長くなりました。〈自分探し〉としての〈日本探し〉、それに答えが出たでしょうか。先ほど述べたように、それは〈本質〉への問いとして、答えがそもそも出ないような種類の問いにほかならない。にもかかわらず、和辻は答えを出します。三か月前にもこのエッセイの中で言及した中宮寺観音像(「30年代の哲学者(3――和辻哲郎」)。和辻はこの像の前にひざまずいて、これこそが日本的な「愛」の表現であるという結論に至るのです。そう断じる理由は、「愛らしい、親しみやすい、優雅な、そのくせいずこの自然とも同じく底知れぬ神秘を持ったわが島国の自然は、人体の姿に現わせばあの観音となるほかはない」(『古寺巡礼』)ということ。日本の自然が「愛らしい」、そのように中宮寺観音像は優しく愛らしいと。ここには、自然を根拠として文化を規定するアナロジー(類推)が働いています。

アナロジーとは何でしょうか。一つの判断(A)を元に、そこから別の判断(B)を引き出す思考方法です。「島国日本の自然は愛らしい」(A)から「中宮寺観音像は優しく愛らしい」(B)という別の判断を引き出すやり方。この論法が成立するためには、起点となるAもしくは終点Bのすくなくともいずれかが確実でなければなりませんが、ABもそれだけ単独に取り出して確実だということはできない。ABのどちらかが確実でなければならないのに、そうではなく、ABBAという両方向の推論が成り立つことで、一応もっともらしい判断のように見えるというのが、アナロジーの特徴です。

和辻は、確実ではないアナロジーによって、「日本的なもの」の本質を規定しようとしました。それが正しいか間違っているかを言うことは難しい。判断の真偽を論理的に決することができないということが、アナロジーという思考方法の特徴です。この点を踏まえるなら、和辻は「日本」「日本的なもの」の本質を決定したのではなく、「日本」を制作したに過ぎないということができるでしょう。「日本」を制作したというのは、どういうことか。判りにくいと感じられるかもしれません。そういう点も含めて、対話で検討することにします。

アナロジーの問題

直:和辻にとって、〈日本探し〉は〈自分探し〉の延長版。しかし、その探究は、〈日本〉の正体を突き止める結果にならず、自分のうちにある「日本」のイメージを外部に投影したに過ぎない――私は、それを「日本」の制作と呼びました。この説明は納得されましたか。

猛:アナロジーは類推。一つの事実判断から推して、別の判断を引き出す方法である。しかし、それは絶対確実な推論ではなく、根拠が不確かな推論であるという説明を、哲学の講義で聞いたことがあります。

中:専門的な知識がない私にも理解できるように、先生の講義に沿って具体的に説明していただけませんか。

猛:先生の説明によれば、(A)「日本の自然は愛らしい」、そこから(B)「中宮寺観音像は優しく愛らしい」という別の判断を引き出すやり方が、アナロジーということでした。Aがもし確実な前提であるなら、ABの推論は妥当である。しかし、Aは確実ではない。そこで、BAというもう一つの推論がかみ合わさることで、ABとがどちらも確からしいように見える。こんな言い方でも構わないでしょうか。

直:君の説明は、私よりも正確でよく分かる。私が言いたかったのは、日本的なものが何かという問いに対して、事実判断によって答えることはできないということです。自然にしても仏像にしても、それをどう感じるかは主観の問題であって、客観的に判断できることではありません。「日本の自然が愛らしい」ということと、「中宮寺観音像が優美で愛らしい」こととは、和辻という個人の主観的意識の中で結びついているだけであって、客観的な事実ではないということです。

中:それが、日本の「本質」を制作したということなのですね。講義されたことの趣旨が、それで呑み込めました。

直:言っておきたいのは、「日本」を制作することが不当であるとか、間違っているということではありません。それ自体として姿を現すことのない〈本質〉については、それぞれの立場から「ああだ」「こうだ」と論じ合う以外にない。つまり、制作しなければならないわけです。

猛:日本の本質を論じるためには、それぞれの視点から〈本質〉を制作する手続きが必要だということですね。その点は了解しました。しかし、僕には疑問があります。

直:どういう疑問でしょう。

猛:和辻は、美術史研究者としての立場から、日本の自然と文化とを「優しさ」「愛らしさ」といったタームで結びつけた。それが彼の直観だとするなら、別の研究者から違った直観が示されることもあると思います。さまざまな考えがぶつかり合ったときに、どれが正しいという判断はできるのでしょうか。それができなければ、何でもありということになりませんか。

中:猛志君と同じことかもしれませんが、〈自分探し〉とか〈日本探し〉とかいったことを何のためにするのだろうか、と疑問に思います。答えがもし出ないような問いだとしたら、それを問うことに一体何の意味があるのか、ということです。

直:今日のテーマにふさわしい質問が、お二人から出されました。何とかお答えしなければなりません。

〈自分探し〉の答えとは?

直:はじめに言ったように、「自分とは何ものか」を問うのは、客観的な答えを求めるのではなく、自分が何をしてどう生きたらよいのか、という切実な要求によるものです。そういう問いの場合、答えを出すことよりも、問うことそれ自体に意味があると言えます。

中:答えることよりも、問うこと自体に意味があると。それはどういうことでしょう。

直:〈問う〉ということは、自分の生きるエネルギーを放出する行為です。答えが出ることによって、問う意欲は失われ、エネルギーの放出は終わってしまう。だから、一つの答えを出しても、違う、それではない、として打ち消し、別の答えを求めようとする。そういう仕方で、自分の出す答えをそのつど打ち消し、問い続けることによって、エネルギーが維持され、生きる意欲も保たれるのです。

中:答えが出ないことによって、問い続けるエネルギーが保たれると。判るような気もしますが、和辻にとっての「日本」への問いもそういう性格のものだったのでしょうか。現に『古寺巡礼』では、きちっとした答えが出されている印象があります。

直:いちおう答えが出されていますが、それは「仮説」なのです。アナロジーによって、確からしい一つの回答が提出される。しかし、それはあくまでも仮説にすぎないから、別の答えと突き合わせて検討される必要があります。

猛:僕が和辻の本を読んだ印象では、和辻は自分の直観に自信を持っていて、自分の出した答えが仮説にすぎない、というような論じ方はしていないように思われます。

直:私の印象も君と似ています。作品を見る自分の目の確かさを信じていて、直観的な把握を前面にうちだすところが、その書きぶりにも表れています。アナロジーは、直観の裏づけという役割に用いられているかのようです。

中:そうだとすると、分かったつもりの独りよがりになる危険が生じてきませんか。先ほどお訊ねしたことの繰り返しになりますが。

直:独りよがりになることを防ぐためには、自分が「結論」だと考えていたものが、実はそうではなかったということに気づくことが必要です。

中:そうなるための条件は何でしょうか。

直:自分を変えるきっかけになるのは、〈他者〉との出会いです。若き日の和辻は、自分の直観を信じて生きていたが、ある人の死をきっかけに仏教美術の優秀さに目が開かれたという。そのような〈他者〉との出会いがなければ、独断的な思い込みを打ち破るきっかけは生じなかったと考えられます。

中:三か月前の対話とのつながりで言うなら、『風土』に描かれたさまざまの風土との出会いが、そのきっかけになったということでしょうか。

直:そうです。それまで日本の中にいて、他の風土を知らなかった和辻が、沙漠や牧場にふれ、その中に身を置いたことで、自分がそれらとは異なるモンスーンの人間だということが自覚される。他者を知ることで、自己を知る。つまり〈他者認識〉と〈自己認識〉とが同時に成立するわけです。

中:〈他者認識〉と〈自己認識〉の同時成立ということが、〈邂逅の論理〉の柱になるわけですね。その立場から「日本」を問うと、どういうことが言えるのでしょうか。〈本質〉への問いには答えが出ないということをおっしゃった。そのことと〈自己認識〉とは、どう関係するのでしょうか。

〈問い〉の帰趨

直:風土学の考えに立つなら、他者と出会うことによって、「自分とは何ものか」という問いが生じてくる。〈自分探し〉に目覚める、と言ってもよい。和辻が「日本人」「日本」について問いを立てた状況は、そういうものです。これをマクロに拡大するなら、幕末の開国以来、西洋の国々と交渉を続けてきた日本が、立ち止っておのれの姿を鏡に映してみる。そういう所作を知識人がとることによって、「日本とは何か」「日本人とは何ものか」という問いが浮上してくる。国家としての日本と個人としての和辻、双方がともに切り離すことのできない同じ問いに向き合う状況が生まれたと考えられます。

猛:そういう問いが生まれたころの社会の状況が気になります。『日本古代文化』が書かれたのは1920年、日露戦争が起こった1904年から16年後のことです。

直:いま君が挙げた歴史的事実は、重大な意味をもっています。日本は、富国強兵の欧化路線を進むことによって、日清、日露の両戦争に勝利するという想定外の結果を生み出した。にもかかわらずというか、むしろそれゆえに、日本はこのままでよいのか、どうあったらよいのか、という自問が生まれてきました。

中:思い出しました。夏目漱石の『こころ』(1914年)の中で、日本はこれからどうなるのか、と問われた「先生」が、「滅びるね」という一言を返した箇所が、記憶の中からよみがえってきました。

直:漱石のような知識人は、大国への勝利に熱狂する一般大衆とはうらはらに、近代日本のゆくえを見てとって、絶望的になっていたのです。先ほどふれたように、和辻もまた漱石門下の一人に数えられてよい存在でした。

猛:一点、質問があります。『古寺巡礼』や『日本古代文化』は、古い時代の日本文化がテーマになっています。「日本」を問うのに、近代ではなく古代の文化が取り上げられたのは、どうしてですか。

直:歴史書には、『大鏡』のように「鏡」の名が付されているものがあります。過去に現在を映し出す鏡の意義を認めていることの証です。現在の自分が何ものであり、どこに向かおうとしているのかを知るためには、迂回して過去のおのれの姿を見なければならない。それが歴史に負わされた役割です。

猛:でも、自分が何ものかという〈本質〉への問いには答えが出ない、ということを先ほどおっしゃった。そのことと今の説明とは矛盾しませんか。

直:たしかにそう。けれど、自分が何ものかを問うのは、自分がこれからどう生きるかを問うことにほかならないということも、あわせて申したはずです。自己の〈本質〉を問いただそうとするのは、これからの自己をつくるため。過去に目を向けることをつうじて、未来を切り拓くためなのです。

猛:「日本」への問いが、「日本」を制作することだとおっしゃったことの意味が、それで解りました。〈本質〉が探しても見つからないのは、自分の生き方を自分で決定しなければならないということですね。なんだか、サルトルの実存主義みたいだなあ。

直:「実存は本質に先立つ」というのが、サルトルのテーゼ。ただし、過去に目を向けることによって、動かしがたい〈本質〉的なものが見えてくる、という事実もある。歴史が〈鏡〉であることには、そこから将来への指針を導き出すように、という教えが含まれています。

中:お話を伺って、歴史を学ぶことの難しさが感じられてきました。過去から教訓をくみ取ると同時に、過去に縛られすぎてもいけないというような……

直:まさしく、おっしゃるとおり。森鴎外に「歴史其儘(そのまま)と歴史離れ」という重要なエッセイがあります。晩年に「史伝物」と称される作品群を手がけた鴎外が実感したディレンマを表現した作品です。「日本」を問うにあたっても、参考になるかと思います。

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