毎月21日更新 エッセイ

日本を問う(2)――お国自慢はどこから?

前回を承けて

直言先生:「なぜ日本を問うのか?」につづくシリーズ2回目。和辻哲郎について論じた前回の印象はどうでしたか。

中道さん:和辻さんが、日本のことをいろいろ考えた人であるということが判って、私にとってはいい勉強になりました。

直:そうですか、勉強になったと。その言い方だと、話はあんまりおもしろくなかったということですか。

中:いえいえ、そんな……。ただ、明治以降の日本と和辻とを重ね合わせて、〈自分探し〉だとおっしゃったことが、もう一つ腑に落ちないというか、解りにくい感じがしました。

直:そうですか。猛志君はいかがですか。

猛志君:自然と文化のアナロジーが堂々めぐりになるという指摘は、ユニークで面白いと思いました。風土イコール人間性という決定論とは違って、「日本の制作」という見方が、そこから出てくるわけですね、なるほど、という感じがしました。

直:〈自分探し〉は、自分は何ものかを問うことに意味があるのであって、答えが出ないこともある。そういう場合、自分あるいは日本がこうあってほしいという思いから、一種の理想像がつくり上げられることになる。それを「日本の制作」と呼んだわけです。

中:すると「日本とは何か」を問うのは、日本はこうあってほしいという理想像を描く作業だということになりますか。

猛:しかし、そうだとするなら、日本の実像と乖離した虚像が提出される可能性があると思います。それでは何のために問いを立てたのか、意味がなくなります。

直:重要な問題点が指摘されました。〈自分探し〉の答えは、自分にとって受け容れやすいイメージを勝手気ままにつくり上げる結果を生じやすい、というのは猛志君の言われたとおりです。

中:では、どうすればよいのでしょうか。過去の歴史を振り返っても、実際にあったことをなかったと言ったり、なかったことをあったとするような例がよく見られます。「制作」ならよいが、「捏造」では困ります。

直:お二人がおっしゃるような問題を取り上げて考えることにしましょう。テーマは、〈自己像をいかに描けばよいのか〉、もしくは〈日本の国家像を描くうえで、何に注意すればよいのか〉という問題です。

中:そのテーマに賛成します。前回は、和辻の日本研究が取り上げられました。今回もその続きということになりますか。

直:前回とは内容を変えましょう。和辻のように終生日本の問題にこだわった人ではなく、折にふれてではあるが、日本に対する並々ならぬ関心を示し続けた人物、九鬼周造の場合を考えてみたいと思います。

九鬼周造と「日本」

中:前回のお話では、和辻が著書のタイトルに「日本」を掲げたのとは違って、九鬼は「日本」をタイトルに含むような本は書かなかったとのこと。九鬼の場合、どういう形で日本を論じているのでしょうか。

直:前のシリーズで九鬼を取り上げたときは、代表作の一つと言える『「いき」の構造』について論じました。「いき」が日本人に固有な美意識であることを論じた書物ですから、タイトルに「日本」がなくても、日本文化論であることに間違いありません。

中:おっしゃるとおりの印象を受けました。『「いき」の構造』以外に、日本をテーマにして論じたテクストはあるでしょうか。

直:『人間と実存』(岩波文庫)に、「日本的性格」という論文が収められています。旧制の大阪高等学校で行った講演をもとにしてまとめられ、19372月に『思想』に発表されたものです。内容は立派な論文ですが、発表された年代も絡んで、いくらか戦時色が感じられる内容になっています。

中:それはどういう点でしょうか。

直:あなたなら「三種の神器」をご存じでしょう。歴代の天皇が皇位のしるしとして受け継いだという三つの宝物、八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)です。鏡と剣と玉、三つの宝物が、日本的性格としての自然・意気・諦念を象徴している、というような説が示されています。

中:へェー、そうですか。九鬼さんがそんな論文を書いているとは知りませんでした。チョット驚きました。

直:驚きましたか。九鬼のように理性的でクールな哲学者が、皇国史観にいくらか寄り添うような文章を書いているのですから。猛志君、君はどう受けとめますか。

猛:すこし意外ですが、戦前戦中なら、そういう言動があっても不思議はないかな、という気がします。だって、当時の日本人は、みんな「天皇陛下万歳、一億玉砕」なんていうスローガンを叫んでいたわけですから。

直:とても冷静な受けとめ方で、感心しました。当時の学者連中は、国粋主義的な空気に乗って、いまでは考えられないような右翼的言動をとっていました。そんな中で、九鬼や和辻は好戦的な風潮に支配されることなく、日本の問題に向き合っていたことが明らかです。「日本的性格」は、旧制高校で講演されたことから窺えるように、青年に日本人としての自覚を促す立派な内容の文章です。

猛:それを伺って、興味がわいてきました。くわしい内容を知りたいと思います。

直:そういうことなら、論文の主なポイントを紹介することにします。

講義:「日本的性格」について

九鬼は最初に、「いったい何に対して日本的性格なるものを特色づけるべきか」という問いを立てます。それに対して、徳川時代の日本は、仏教のインド文化、儒教の中国文化に対して日本固有の文化を問題にしたが、今日では西洋文化に対してインドや中国の文化を摂取した日本文化を考えなければならぬと答えます。そういう日本文化の特色として、自然、意気、諦念の三つが挙げられ、それぞれの意味が明かされていきます。

日本的性格の重要な契機としてまず挙げられるのは、「自然」。日本にはおのずからな自然の道が存在しており、それは神の道であるという考えが、賀茂真淵や本居宣長の表現を引きながら説明されています。西洋では自然と自由とを対立させて考えるのに対して、日本では自然と自由とが峻別されず、「道徳の領野が生の地平と理念的に同一視される」のが、日本の道徳の特色であるとされています。自然の次に挙げられるのは、武士道精神としての「意気」。意気とは、「高い理想の実現のためには一身を賭すという気概である」。そういう理想主義は、「真ごころから生まれた自己犠牲の精神に結晶している」と。伝統的な文学や芸術にも武士道精神が反映され、気品を表しているとされます。日本的性格の第三の契機は、「諦念」。法然や親鸞の教えである他力本願の仏教を「諦め」の例に挙げ、実践上でも物にこだわらないこと、思い切りがいいことが尊ばれるとします。

日本的性格つまり日本文化の三つの契機である自然、意気、諦念は、神道、儒教、仏教に該当するというのが、九鬼独自の解釈。これらは、たがいにどういう関係に立っているか。九鬼は、質料と形相という哲学用語を使い、神道の自然主義が質料となって、儒教的な理想主義と仏教的な非現実主義とに形相化された、という考えを示します。神道という元からある地盤に、外来の儒教・仏教の精神が根づき、これら三つが合わさって国民精神が形成された、と言い換えてもよいでしょう。三つの契機は、「自然」が現実主義、「意気」が理想主義、「諦念」が非現実主義、というように区別されるから、たがいに相容れないように見えるが、そうではない。例えば、自然を凝視することによって自己の無力が諦められるという説明がされます。青森の豪雪が報じられている現在(20262月初旬)、多くの人々のうちに「自然」と「諦念」が結びつく状況が生じているはずです。また武士道が死を顧みないという「意気」のあり方は、死をあっさりと諦める態度に裏づけられています。和辻が日本の国民的性格を「戦闘的な恬淡(てんたん)」「しめやかな激情」(『風土』「第三章 モンスーンの特殊形態」)という二重性格で言い表したのは、そういうことだとされています。三つの契機が、たがいに矛盾しながら結びつくことについて、他の著作では用いられることのない「弁証法」という表現が使用されているのは、面白いことです。

三種の神器などをめぐる、やや国粋主義的な議論は飛ばして、日本的性格と世界的性格との関係を論じた最後の部分を紹介します。日本的性格と世界的性格、日本主義と世界主義、国民主義と国際主義との関係を、九鬼は個別と一般との関係として論じています。個別と一般とは、「個別を強調することによって一般が光り、部分を推重(すいちょう、尊び重んじること)することによって全体が輝く」関係にある、そういう考えに立って、日本主義と世界主義とは乖離的に対立するものではなく、相関的に成立するものだと主張します。国家と世界とが、個別と一般として並び立つこうした関係は、個人と国家との関係にも当てはまるというわけです。「個人的性格と日本的性格とが両立するように、日本的性格と世界的性格とも両立しなければならぬのである」というように。

満州事変(1931年)以後の日本の状況からみれば、「日本的性格」という九鬼の論文は、多少時局に同調した部分はあるとしても、全体としては哲学者らしい理性を十分に発揮した質の高い内容だと言えるでしょう。「日本を問う」ということに、どういう意味があるのかを考える好材料として、お二人といろいろ議論してみたいと思います。

「自然」をめぐって

直:現在からほぼ90年さかのぼる戦前に発表された「日本的性格」について、どんなことを感じられましたか。中道さん、いかがですか。

中:しばらく前の対話では、『「いき」の構造』が取り上げられました。そのとき、たしか「いき」の本質が、媚態、意気地、諦めという三つの要素から説明されていたと思います。そのうちの「媚態」が、こちらでは「自然」に置き換えられたことになるでしょうか。

直:そう、そのとおりです。『いき』の中では、日本文化の一例とした「いき」の現象が、三つの概念によって説明されました。それと同じ論じ方がされています。

中:『いき』の中で「媚態」と呼ばれたものが、こちらでは「自然」と言い換えられたのは、どういう理由からでしょうか。

直:人間の自然human nature、人間性)を表す代表的な現象は、異性に対する感情、性的な関係性と言ってもよいでしょう。「媚態」は、異性に対する性的なはたらきかけとして、どんな文化にも存在するものです。『いき』で焦点化されたのは、男女間の性的関係ですが、「日本的性格」では、それを含む人間的経験の全体が「自然」として言い表されたと考えられます。「自然」は全体、「媚態」は部分、という関係です。

中:いまの説明で、『「いき」の構造』がどういう作品であるかが腑に落ちました。どこの文化にもある媚態が、武士道的な意気地と仏教的な諦めによって限定されることで、「いき」という文化が生まれたと。そう考えられるわけですね。

直:そうです。言われたとおり、『「いき」の構造』では、「日本的性格」の代表的な例として「いき」が取り上げられたと考えられます。猛志君の感想は、いかがですか。

猛:いかにも九鬼らしい理詰めの議論だと思うけれども、僕にはあまりピンときません。

直:ピンとこないのはどういうところか、説明してもらえませんか。

猛:一つ挙げると、神道が「自然」を代表するとされたところです。なんだか皇国史観の宣伝みたいで、僕には違和感があります。

直:そうですか、まあ無理もないでしょう。戦後民主主義の教育を受けて育った君のような若者にとって、神道の表す自然が日本的性格の柱だという話を聴かされたなら、違和感や反発が生じたとしても、オカシクありません。

中:先生とあまり歳の変わらない私も、戦後の教育を受けて育ちましたが、猛志君のような違和感はありませんでした。天皇中心の国家体制の中で、「神道」というイデオロギーについてふれないということは、難しかったのでしょうか。

直:参考までに例を一つ。「日本的性格」とほぼ同じころ(1938年)、西田幾多郎が京大で学生向けに「日本文化の問題」という連続講義を行いました。これが、終戦直前の1944年に岩波新書として公刊され、西田の生前最後の著書となりました。それを読むと、神道どころか「皇国日本」や「八紘一宇」[全世界が天皇を中心に一体にならなければならないという主張]など、戦後の日本社会ではタブーになった用語がいっぱい出てきます。だからと言って、西田が時局に追随して国家主義を吹聴したわけではない。「当時極右的立場からなされた執拗な西田哲学攻撃に対する自己主張とアポロギアが一つの動機になって居り、時流に抗してあくまで学問的立場が擁護されている」(全集21巻「後記」)

猛:哲学者も、生きている時代の空気から自由ではないということですね。それはいちおううなずけますが、「自然」を神道に結びつける考えだけは納得がいきません。

直:どうしてですか。日本人にとっての自然観が神道に表現されていると考えることは、そんなに筋が通らない話でしょうか。

猛:「自然」というのは、だれにとっても同じだから、それを「自然」と呼ぶのではないですか。日本人にとっての自然があるのなら、他の国々にもそこだけの自然というものがあることになってしまいませんか。

直:九鬼は、「自然」は国や民族によってさまざまに異なる、という考えに立っています。その考えに何か問題がありますか。

猛:「日本的な自然」というように、他の自然から区別されるものは、「文化」だと思います。九鬼の説明だと、自然と文化との区別が立てられないことになってしまうのではありませんか。

直:オギュスタン・ベルクの言い方を借りるなら、自然は「文化としての自然」であり、文化は「自然となった文化」でしかない。文化と自然とは、たがいに他を表すメタファーだという考えが、彼の風土学のキモになっています。九鬼の日本文化論は、ベルクの思想を先取りしているように私には感じられます。

なぜ「日本」を問うのか

中:本質的な問題を議論されている最中に、割って入るようで恐縮ですが、戦争に入る直前の時期に、九鬼も西田も日本文化の本質を追究しようとしたのは、どうしてでしょうか。しかも、九鬼の「日本的性格」は旧制高校、西田の「日本文化の問題」は京大の学生を相手に行った講演だとか。

直:その質問に対しては、大きく二つのポイントを挙げなければなりません。一つは、時局の要請。日本が中国大陸に進出して、いずれ欧米列強との武力衝突が起こると予想される時勢において、やがて軍隊に入ろうとする学生たちに、日本人として持つべき心構えを説かなければならない。それも、極右的な言説が横行するご時世にあって、理性的な哲学の言葉で日本の将来を考えさせるものでなければならない。これが、九鬼と西田が、同じ時期に、学生相手に同じテーマで講演を行った第一の理由だと考えられます。

中:「30年代の哲学者」シリーズで取り上げられた田辺元の「種の論理」にも、青年に日本人の自覚を促すというような意図があった、というお話でしたね。

直:そうでした。あの折どこまでお話ししたか、ハッキリ思い出せませんが、「種」に属する個々の学生が、人類的使命を信じて戦地に赴く、といった事実がありました。哲学者が時局にコミットした一例として紹介しました。

猛:哲学者が、自分の社会的使命を果たすために、時局にコミットする。しかし、田辺の場合、それは若者を戦場へと駆り立てる「悪い一例」であった、というように聞きました。

中:私から言うのも何ですが、猛志君の考えは、哲学者が時局にコミットして発言することそのものが、よくないということですか。

猛:一概にそうだという訳ではありませんが、戦争のように人間の命がかかる深刻な局面では、慎重に対応すべきであると思います。

中:それは、結果論ではありませんか。敗戦後に世の中が一変して、それまでしてきたことがぜんぶ間違いだったというようなことが、平気で言えるようになってからの、無責任な言い方だと思う。

直:まあまあ…… 中道さんには珍しい、烈しいご意見です。戦争に対する哲学者のコミットの問題については、別の機会に議論しましょう。先ほどの質問は、九鬼や西田が日本文化をなぜ論じようとしたのか。その第一のポイントは「時局の要請」ですが、第二のポイントを挙げましょう。

中:年甲斐もなく興奮して、自分の質問したことを忘れるところでした。それは、どういうことでしょう。

直:一般的に言えば、〈他者(他文化)との出会い〉ですが、〈他なるものとの葛藤〉と言い換えた方がよいかもしれません。このポイントは、日本から外に出たことのない西田よりも、海外の生活を長く経験した九鬼の場合に顕著です。

中:〈他者との出会い〉は、『風土』についてのお話で耳に残っています。九鬼も、和辻と同じように〈出会い〉の問題を考えたのでしょうか。

直:二人とも西欧に留学して、それぞれの流儀で〈出会い〉を問題にした哲学者であると私は考えています。その違いを言うなら、〈他者に出会うとはどういうことか〉という問題が、和辻のテーマ。九鬼の場合は、〈他者といかに出会うか〉というのが、『「いき」の構造』で追究されたテーマです。もっとも、二人のテーマをこんなふうに解釈するのは、私一人だと思いますが。

中:なるほど。和辻の場合、風土をつうじて自他の違いを認識したという風に説明されました。九鬼が日本を問う仕方は、和辻と同じでしょうか。それとも違いがありますか。

直:他なるものを引き受ける仕方に、微妙な違いがあるように見うけられます。

中:その微妙なところを、私にも判るように教えていただけませんか。

直:立ち位置の違い、と言えばよいのかな。九鬼の場合は、自分が日本の「貴族」――明治になってからは、「華族」という称号で呼ばれました――の一人として、大げさに言うなら、日本を背負って外国の人間や文化に向かい合った、そういうおもむきがありますが、地方出身者[姫路近郊の医者の家に生まれた]である和辻には、そんな気負いは感じられません。

中:二人の書くものに、そういう違いが表れているのですか。

直:文章以外に、伝えられるエピソードから見えてくるものがあります。

中:どんなエピソードですか。興味があります。

直:ヨーロッパでは、バロン・クキ(九鬼男爵)とかプリンツ・クキ(九鬼公爵)という呼び方がされていました――ハイデガーの『言葉についての対話』では、後者が出てきます。これは、九鬼本人が現地でおのれの身分をアピールしていた事実を物語っています。ハイデガーが、九鬼を「金持ちの日本人」と蔭で呼んでいたことからも、現地でどう見られていたかが窺われます。

猛:貴族であるとかないとか、そんな外面的な問題が哲学の内容に関係があるのですか。

直:哲学とは無関係な問題ですが、〈人と人との出会い〉というテーマに関しては、重要な問題です。君は、対等同格な出会いがいかに難しいか、という問題をたぶん実感したことがないのでしょう。

猛:ありません。学問に関しては、上下関係などなく、対等で開かれた対話が可能であるとこれまで信じてきました。

直:タテマエとしては君の言うとおりですが、現実はそうではない。100年以上も前に渡欧して、周囲に知り合いもいない中で、日本人としての自覚と誇りを保とうとするなら、自分の貴族としての出自を相手にアピールする以外になかったはずです。わずか1年ですが、パリに暮らしたことのある自分には、九鬼の置かれた状況の厳しさがよく分かるのです。

自分を支えるために

中:パリ留学中に先生がどんなことを体験されたのか、お話を伺わせてください。

直:貴族でもサムライでもない、研究者の一人であった自分に、一つだけ九鬼と共通する部分があったとすれば、それは日本を背負ってモノを言うという気構えではないか、という気がするのです。

猛:「日本を背負う」ってどんな感じですか。留学したことのない自分には、そういう実感がどういうものか見当がつきません。

直:君も外国で研究発表をするとか、国際学会で論争するといった機会ができたなら、分かるはずです。下世話な言い方をすれば、なめられてたまるか、という感じかな。

中:おっしゃったような感じは、私にも覚えがあります。スペイン駐在中に、現地で知り合った向こうの人たちからなめられるような仕事をしたら、恥をかくという思いを抱いたものです。技術畑の同僚たちは特にプライドが高く、失敗したら「日本の恥だ」という言い方をよくしていました。

直:いまだから、口にしてもどうということはないけれど、留学中にフランスで発表するときには、相手と「刺し違えて死ぬ」覚悟で臨んだ、というと大げさかもしれませんが、それなりの緊張感があったというのは事実です。それぐらい気が入っていた体験からすると、九鬼が日本的性格の代表として武士道の「意気」を挙げた気持ちが、すんなり伝わってくる気がするのです。

猛:武士道によって自分を支えるということですか。分からなくはないけれども、それだとナショナリズムになってしまうんじゃないかなあ。

直:おっしゃるとおり、自分の対面する相手や周囲に対して身構えるというか、自分を守りたいという意識が生じてくるところに、ナショナリズムの芽があると思います。どんな国のどんな人にも、ナショナリズムの部分が生きているはずです。

猛:世界中の人々が、みんなナショナリズムに目覚めたとしたら、平和的共存が困難になるのではありませんか。僕は、ナショナリズムというのは、一人一人が克服しなければならない弱点だと思います。

直:「ナショナリズムの克服」という君の考えに異存はないけれども、ナショナリズムが生じてくるのはどういう場合かを自覚することが大切です。その自覚がなければ、克服することはできません。

猛:それは、どういう自覚でしょうか。

直:他者と出会って対話する、そういう局面において、自己確認の手続きとしてナショナリズム的なものが必ず生まれてくる、ということの自覚です。

猛:対話をするのは、自他が心を開いて理解し合う場面だと思います。それなのに、ナショナリズムが目覚めてくるのですか。

直:自分が対話に開かれるというのは、自己を無防備にさらけ出すという意味で、危険を冒すふるまいを意味します。相手の威力の前に身をさらすことによって、自分が壊されるというリスクを冒すことなしに、平和的な対話ができるという保証はありません。

猛:対話をするとき、自分がどういう立ち位置にあるかが問われる、ということをおっしゃっているのですか。そういうことなら分かります。

中:いまのお話から、「日本を問う」ことの理由が何となく見えてきました。日本人が世界に出て行って、他者と対話を重ねていく。その経験の中から、「自分とは何ものか」とか「日本とはどういう国か」という問いが生じてくる。九鬼が「日本的性格」という論文を発表したのは、ヨーロッパへの留学中に生まれたその問いに対する答えではないか。そんな気がします。

直:おっしゃるとおりで、間違いありません。九鬼が7年間の西欧留学の中で書き綴った短いエッセイが、「滞欧中小品」として全集第一巻の中に収められています。その中には、日本のよさをアピールする「大和魂」などと並んで、「それは田舎者だ」という小文が含まれています。こんな内容です(原文はフランス語、坂本賢三訳を利用します)

  日本には「お国自慢をするのは田舎者だ」という諺がある。だから、自国について語ることはあまり楽しい仕事ではない。最初にそう断ったうえで、九鬼は、日本を訪れたヨーロッパ人の例を挙げ、ヨーロッパで私の国が理解されないとしても、何の驚くことがあろうと書いています。最後の数行です――「私は、私の国が知られていないからといって何ら心配しない。しかし私の国について間違った考えが抱かれていることに気付くとき、そのたびに苦痛のようなものを感じる。だから私は祖国について語りたい。あえて田舎者となる危険を冒したい。政治や商業や陸軍や海軍のことなどは問題にしない。そのような皮相的なことは脇に置いておこう。私はあらゆるものの根柢にあるものについて語りたい。日本の魂とその精神文化について語りたい」。

〈日本を問う〉ということの底にある動機が、率直に語り出されています。今日は、人間だれしもがナショナリズムに傾く場合があることは避けられない。それを認めたうえで、それがどういう場合であるかを知ること、そのことだけがナショナリズムを克服する道である、という話をさせてもらいました。お付き合いくださって、どうもありがとう。

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