手はじめに
直言先生:「日本を問う」シリーズの三回目。過去二回は、和辻哲郎と九鬼周造が、それぞれどのように日本を問うたのかを見てきました。どういう感想をもたれたかを、お二人に伺いましょう。
中道さん:最初の和辻の場合は、「日本人」や「日本文化」とは何か、という若いころからの問いに答えるために、いくつも本が書かれた。その中でも『風土』は、他者との出会いをつうじて、〈自己〉と〈他者〉についての認識が同時に生まれるということを証明した作品である、とおっしゃったことが印象に残りました。日本を考えるためには、他者を知らなければならない、ということを教えられた気がします。
直:そうですか。〈日本への問い〉は、〈他者への問い〉とセットでなければならない、ということですね。猛志君はどうですか。
猛志君:「お国自慢はどこから?」と題された前回、九鬼周造が日本のよさを論じたことのきっかけは、外国に留学しているときに「日本人」であることをアピールする必要があったからだ、というような解説がありました。いま風の言葉で言えば、「承認欲求」がはたらいたと。そう受けとめて、ナットクできる気がしました。
直:私の若いころなら、「自己主張」という言い方をしたものが、君の感覚だと「承認欲求」になるわけですね、ナルホド。
中:私も先生と同じ世代ですから、「自己主張」という言い方になじんできました。自己主張と承認欲求とは、同じことでしょうか。
直:事実としては同じことでも、視点が違います。自己主張の方は、あくまで自分が中心。それに対して承認欲求は、他人が認めてくれることを欲求するわけですから、他者の視点に立った言い方です。
中:そうか、他人の視点が入ってくる仕方で、自分の存在を意識するわけですね。自己主張というだけなら、他人の思惑は気にかけなくてよいのですから。
直:いまおっしゃったのは、たいへん重要なことです。西洋文化が日本に入って来て、半世紀以上が経った昭和の時代に、他者の目を強く意識した日本文化論が、哲学者の手で書かれました。和辻と九鬼に共通するのは、彼らの日本文化論が、近代化途上にある日本の「承認欲求」を表現している、という点です。
猛:軽い思いつきで使った「承認欲求」が、キーワードになるなんて……。で今回、九鬼の次に取り上げる哲学者は、誰でしょうか。
直:哲学者ではなく、文学者を取り上げます――昔風に「文士」と呼んだ方がふさわしいかもしれない人物です。
猛:誰ですか、その文学者は?
直:坂口安吾(1906-1955)。戦争中に文壇に登場、戦後に活躍して一世を風靡(ふうび)した作家で、ダダイストとか無頼派(ぶらいは)というグループに入れられることもあります。今回は、彼が戦時中に発表した「日本文化私観」(1943年)を取り上げたいと思います。
文士と酒
中:学生時代に太宰治を読んでいた関係で、坂口安吾の名前はよく知っています。二人は親友同士だったとか。
直:そうです、二人は無頼派らしく、しょっちゅう一緒に呑み歩く、といった「濃い」付き合いだったようです。
猛:いったい何ですか、「無頼派」って。
直:「無頼漢」は「ゴロツキ」と読むように、品性のよろしくない輩(やから)、という意味です。無頼派は、小説を書く本業以外に、呑んだくれてハメを外し、ケンカを売ったり暴れたりする連中、と見られています。しかし、そういう不品行を重ねる中から、アッと驚くような傑作を書き上げたりする。太宰や坂口以外にも、檀一雄やオダサクこと織田作之助など、戦後の一時期によく似た生き方をした人たちを「無頼派」と呼んで、ひとくくりにしています。
中:織田作之助は大阪出身で、『夫婦善哉』が有名です。檀一雄は、たしか檀ふみの親父さんでしたね。あの上品な女優さんの父親が、無頼派の一人だとは!
直:不思議に思われるでしょうが、無頼派であることが、「文士」と呼ばれる小説家の身分証明になったような時代があったのです。戦後の混乱期、社会の向かうべき方向が見えないような時代の姿が、彼らの書くものに反映されました。
猛:小説を書くのに、酒の力が必要だったということでしょうか。そのあたりが、僕にはよく分かりません。
直:酒に頼らざるをえない人間の弱さを、君はまだ理解できないようにお見うけする。酒はちっともウマクない、けど吞まずにはいられない、という意味のことを安吾が書いています。
中:仕事がうまくいかないときに、アルコールに頼った時期が、私にはあります。呑みたいわけではないし、吞んでもおいしくない、だけど呑まずにはいられない、というのが自分を振り返ってみて、酒吞み一般の心理ではないかと思います。
直:同じことを安吾が書いています、「酔うと眠れます」とね。恥ずかしながら、私自身も不眠から逃がれるキメテは飲酒でした。脳卒中で斃れることがなかったら、間違いなくアルコール依存症になっていたところです。
猛:文士と酒とが、切っても切れない関係だということは分かりました。しかし、そのことと「日本文化私観」とは、どういうつながりがあるのですか。
直:これは失礼、本題に入る前に酒談議になってしまいました。しかし、ここまでの酒の話と坂口安吾が描いた傑作とが、まったく無関係だという訳ではありません。
猛:それはどういうことですか。酒を呑まなければ、このエッセイが書けなかったということですか。
直:そういうことではではないけれども、日常の常識どおりにものを見て書く、そういう生活態度をひっくり返して、一から出直す、いわばリセットする。そういう態度変更に、酒が一役買ったということです。それだけこの作品が、ふつうの常識に背く革新的な思想を表している、と言いたいのです。
中:常識破りの日本文化論だとおっしゃるわけですね。その内容をお聞かせください。
直:常識的な意味での日本文化論ではなく、日本文化を問う、というそのこと自体を問題にする作品です。お二人と議論するための材料として、何が書かれているのかをざっと紹介しましょう。
講義:「日本文化私観」
論文というより、エッセイ――「随筆」という意味での――という感じで、いろんなことが綴られています。それでも、論文のように全体が四つの部分に分けられているので、順を追って内容を紹介していきます。
一、「日本的」ということ
「僕は日本の古代文化に就(つい)て殆(ほとん)ど知識を持っていない」という冒頭の一文が示すのは、伝統文化や古美術の作品をつうじて日本文化を論じるのとは、まったく違った著者の姿勢です。その中で、安吾がいきなり槍玉に挙げる相手は、ブルーノ・タウト。ドイツの現代建築家で、桂離宮など日本の古い建築物に見出した「永遠なるもの」の印象を、ベスト・セラーになった『日本美の再発見』(岩波新書)に綴ったことで知られています。安吾の文章からは、日本社会にブームを巻き起こしたタウトに対する異論というよりも、日本文化の精髄が桂離宮にある、という外国人の意見を喜んで受け容れる日本人を批判しているということが感じられます。先ほどの言い方でいえば、日本人が西洋人に対して抱く「承認欲求」――むろんそんな言葉は文中にありませんが――に対して、キビシイ目を向けているのです。
日本の伝統文化を高く評価する西洋のインテリと、そのご託宣をうやうやしく押しいただく日本人。この対比の構図は、「日本文化私観」が書かれた80年以上前だけでなく、現在でもよく見かけられます。西洋に対するコンプレックス、それと対になった承認欲求に対して、安吾は強烈な毒を浴びせかける。比較の対象として、西洋から入ってきた洋服、欧米風の建物、電車などの交通手段、といったものは、どんなにチンケな代物であっても、それがなくては日々の生活に困る必需品です。それに対して、「京都の寺や奈良の仏像が全滅しても困らない」と。こういう表現だけを見ると、安吾は伝統文化否定の近代主義者のように受けとられそうです。しかし、彼が言いたいのは、われわれに大切なものは「生活の必要」だけだ、という一点。伝統美の否定に力点が置かれているように受けとるとすれば、大きな誤解です。外国人が日本文化をどう評価するか、などという些事に囚われるのではなく、自分がいま現在を生きるうえで、何がいちばん大切かを考えよ、というゲキを飛ばしている。そう受けとめるべきだと私は考えます。
二、俗悪について(人間は人間を)
話題は転じて、昭和12年の初頭から翌年の初夏まで安吾が住んでいたという京都について、さまざまのことが語られます。ここでも、京都の名所や神社仏閣といったありきたりの話題ではなく、京都の地に身を置きながら、〈いかに人間らしく生きるか〉という自身のテーマと本気で向き合った経過が語られます。彼が心を惹かれたのは、たとえば、伏見稲荷の「俗悪極まる」赤い鳥居のトンネル、嵐電車折(くるまざき)神社の社殿の前に山と積まれた願掛けの小石、その裏にある芝居小屋で見物した旅芸人たちの姿、亀岡にあった大本教(おおもときょう)の本部跡――教祖出口王仁三郎(でぐち・おにさぶろう)は不敬罪に問われ、弾圧を受けたため、本部は廃墟となった――など、高級文化とは縁のない事物、人々の「俗悪」な生きざまです。「俗なる人は俗に、小なる人は小なるままの各々の悲願を、まっとうに生きる姿がなつかしい」という一文が、その思いを表しています。
三、家に就て
当時、一人暮らしであった――後に結婚します――安吾ですが、家に帰るといつもうしらめたさがつきまとうと書いています。そこに「帰る」以上、家族がいなくとも、悔いと悲しさから逃げることができない、という孤独の思い。この箇所だけは、前後の議論から離れて、孤独に向き合って生きる作家の業(ごう)を告白しています。
四、美に就て
最後の本節に至って、安吾は自分が美しいと思う対象を三つ、具体的に挙げてゆきます。住んでいた取手から上野に向かう途中で見る小菅(こすげ)刑務所、佃島にあるドライ・アイスの工場、さらに港に休む軍艦。これらのものが、なぜ美しいのか。「ここには、美しくするために加工した美しさが、一切ない」。必要なものだけが必要な場所に置かれ、不要なものはすべて除かれ、必要のみが要求する独自の形が出来上がっていると。そのあり方は、どうしても書かねばならぬことだけを書く、という文学と同じであると言います。「必要」以外の理由によって美しくされた芸術は、本当のものではない。バラックの建物であろうとネオン・サインであろうと、実際の生活が魂を下している限り、美しくないはずはない、と。印象深い最後の数行を写して紹介を終わります。
見給え、空には飛行機がとび、海には鋼鉄が走り、高架線を電車が轟々と駆けて行く。我々の生活が健康である限り、西洋風の安直なバラックを模倣して得々としても、我々の文化は健康だ。我々の伝統も健康だ。必要ならば公園をひっくり返して菜園にせよ。それが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生まれる。そこに真実の生活があるからだ。そうして,真に生活する限り、猿真似を羞(はじ)ることはないのである。それが真の生活である限り、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである。
安吾の戦略?
直:岩波文庫版で40頁足らずのエッセイ、その中の読んで面白いエピソードはカットして、主張の部分だけを拾い上げました。主張の要約だけだと、読む人に誤解されそうな気がしますが、どうでしたか。
中:誤解されそうと言われたのは、どういう点でしょうか。
直:はじめの方でふれましたが、西洋を模倣してつくられた新しい物がよくて、古い伝統的な文化は無用である、といった式の近代主義が主張されている、と受けとられるかもしれないということです。
中:ブルーノ・タウトを槍玉に挙げた、と言われたことの趣旨は理解したつもりですが、桂離宮が素晴らしいと思っている人は大勢います。そういう人は、安吾がタウトだけでなく伝統的な芸術をやっつけることに対して、カチンとくるかもしれません。
猛:講義を聴いて、よく判らなかったのは、安吾が批判しているのは、桂離宮が「永遠なるもの」を表現しているというタウトの見解なのか、それともタウトの評価を喜んで受け容れる日本人なのか、そのどちらかということです。
直:両方だと思います。タウトが日本の美を桂離宮に代表させたことも、そういうタウトの「ご託宣」――と言いましたね――をうやうやしく祀り上げる日本人の態度も、どちらも気に入らなかったはずです。
猛:どちらもということですが、先生がより重要だと思われるのはどちらですか。
直:それは、もちろん後者の方です。安吾がこのエッセイを書いたことの動機は、他者である外国人の評価を気にする日本人に対して、自分に必要なものが何かを第一に考えよ、とハッパをかけることにあったと思います。
中:ということは、伝統文化の価値を否定することが、エッセイの目的ではなかったと。
直:そうです。最初に、日本の古代文化を殆ど知らない、と断っておきながら、桂離宮や龍安寺の石庭について否定的な意見を提示するのは、伝統文化の代表的な作品を引き合いに出した方が、自身のメッセージを伝えやすいと考えたからでしょう。日本文化「私観」というタイトルは、日本文化を材料にして、自分の言いたいことを主張するという意味であって、日本文化論そのものが目的ではないということです。
中:日本文化論が目的ではないということですね。そうだとすると、ふつうの意味での日本文化論は、どう考えればよいのでしょうか。たとえば、前々回で取り上げられた和辻の『古寺巡礼』などについては――
直:一見すると、非常に大きな違いがあるようですが、和辻と安吾にはハッキリした共通点があります。
中:何ですか、その共通点というのは。
直:和辻は過去に、安吾は現在に、主として視線を向けていますが、どちらも自分が生きていくうえで――何なら「日本人にとって」と言いかえてもよい――本当に必要なものは何か、という問いから出発しているということです。
中:自分にとって、あるいは日本人にとって、何が必要かという問いが、共有されているということですね。
猛:それは、このシリーズのテーマである「日本を問う」ということですか。
直:仰せのとおり、二人とも「日本を問う」という基本姿勢が一致しています。たとえ伝統文化に対する評価が正反対であったとしても、出発点となる問いは共通していると考えられるのです。
二つの超越
猛:そう言われても、いまいち僕にはピンときません。だって、二人が挙げている文化の例があまりにも対照的ですから。和辻は古代美術の作品、法隆寺や中宮寺の仏像を高く評価しているのに、安吾の方は現代の小菅刑務所やドライ・アイスの工場が「美しい」と言っているのですから。
直:君がそういうのは無理もない。「日本的なもの」をつくられた対象の中に読みとろうとするなら、彼らの挙げる作品は違いすぎる。和辻はハイ・カルチャー、安吾はロー・カルチャーに目を向けています。
猛:なのに、日本を問う姿勢が共通しているというのは、どういうことですか。
直:和辻の日本文化論を取り上げた際に、「日本の制作」という表現を用いたことを覚えているでしょう。「制作」というのは、実際にどうあるかということより、こうあるべきだ、こうあってほしい、という思いを形にすることを表します。和辻は、「愛らしく優しい」仏像の表情を日本の自然に結びつける所作をとった。そこには、日本人や日本文化がそうあってほしいという願望が込められているのです。
中:そのお話は記憶に残っています。中宮寺の観音様が一種の理想像である、とされた事情は、理解できたと思います。でも、龍安寺の石庭や桂離宮の価値を否定して、刑務所や軍艦を美しいという安吾に、どんな理想があるのでしょうか。
直:お二人と対話するうちに、考えついたことがあります。昔、京大で武内義範(たけうち・よしのり)先生が、宗教学の講義で使用された「逆超越」という言葉です。
中:「超越」は知っていますが、「逆超越」は聞いたことがありません。どういう意味でしょうか。
直:哲学の世界で「超越」(transcendence)という言葉を用いるときは、人間の経験が及びがたいような、高い水準にあるものを指します。「神」とか「絶対者」と呼ばれる存在が、その典型です。そうして、私たち人間の経験は、そういう超越的なものに関係することで成立するという考えを、「超越論的」(transcendental)と呼んで、「超越的」(transcendent)から区別することが、哲学では一般的です。猛志君なら、よくご承知のように。
猛:カントの哲学は、超越論哲学の典型です。でも、「超越」がここで話題になるとは、思ってもいませんでした。
直:私の方も、そういう小むずかしい話をするつもりはなかったが、事の成り行きから、「超越」に言及する次第。すこしだけ辛抱してください。
中:われわれ平凡な人間が、神のような高い存在にあこがれる気持ちを、「超越」と受けとめてもよろしいでしょうか。
直:それで結構です。よりよくなろう、もっと向上したい、という人間の思いが、「超越」という考えを生み出しました。一般的な例で言うと、神に向かって祈るという信仰のあり方は、「超越論的」であると考えられます。
中:おっしゃったことは、だいたい解りました。「超越」はよいとして、「逆超越」というのはどういう意味でしょうか。
直:武内先生は、親鸞の「他力本願」という思想の本質が「逆超越」(trans-descendence)であると言われました。他力本願とは、おのれの罪深さはどんなに努力しても消えようがないと思う人々に対して、自力救済をあきらめて、衆生を救おうとする弥陀の本願に乗じて、ひたすら「南無阿弥陀仏」の名号を唱えなさいと説く考えのことです。救われたいと願って、自力で高みをめざす行き方が「上への超越」であるとしたら、こちらはその反対、「下への超越」です。救いがない、という最低の地点に堕ちきることによって、逆説的に救済の道が開かれるという思想が、「逆超越」という言い方で言い表されたわけです。
猛:いまのお話から、僕は安吾の書いた「堕落論」を連想しました。「堕落のススメ」のような気がして、まだ読んでいないのですが、おっしゃったような「逆超越」が考えられているのでしょうか。
直:そう言ってよいと思います。戦後まもないころに発表された「堕落論」(1946年)は、徹底的に堕落することだけが人間の生きる道である、と呼びかけます。その内容は、「日本文化私観」以上に「逆超越」を主張している、と言えるかもしれない。ただ安吾の書くものには、本人の信仰を窺わせるような内容は見当たらないし、字面からは、無神論者ではないかと思わせる雰囲気があります。ですが、先ほど「俗なる人は俗に…まっとうに生きる姿がなつかしい」という一節を引用したとき、不意に、昔耳にした武内先生の講義がよみがえってくるような気がしました。
猛:僕はカント哲学を専攻していますが、カントの道徳哲学や宗教論に、「逆超越」の思想がないかどうかを確かめたい気になりました。
直:ぜひ、そのテーマを研究してください。期待しています。
安吾から何を学ぶか
直:話が思いがけない方向に展開しました。安吾のテクストに話を戻します。お二人、今回私が坂口安吾の「日本文化私観」を取り上げたことの狙いを、どう受けとめられましたか。
中:これまでの二回、和辻や九鬼が論じたのは、過去の日本文化だったと思います。ですが、今回の安吾は、現代を生きている日本人が、自分にとって必要なものは何かを考えよ、というメッセージを発している。現在を中心に置いて「日本を問う」ことの大切さを説こうとされているのかな、という印象を受けました。
直:過去に目を向けるのではなく、現在の自分を中心にして文化を考えなさい、というメッセージだと受けとめたわけですね、なるほど。
中:そういう理解でよろしいでしょうか、間違っていないでしょうか。
直:間違ってはいません。こちらの問題提起をどう受けとめるかは、そちらの自由ですから、それについて「正しい」とか「間違っている」とかいう言い方はあてはまりません。そうお断りしたうえで、安吾がいま現在の生活が重要だと強調したことについては、私自身もそのとおりだと思います。
中:しかし、過去の伝統が大切だという考え方も有力です。それに対しては、どう考えられますか。
直:過去から現在に至る過程をつうじて、われわれのアイデンティティが成立した。そういう歴史の流れのどこに焦点を合わせるかが問題になります。現在の生き方を反省するためには、過去の文化に目を向けずに済ますことはできない。教科書風な言い方だと、そういうことになります。
中:安吾の議論だと、過去はどうでもいい、現在だけが重要だ、と主張しているようにも聞こえます。そういう主張は正しくないと?
直:いや、そうではない。過去の伝統にとらわれて、現在の課題を見失うことがあってはいけないということから、「生活の必要」を強調したのが、安吾のこのエッセイです。言ってみれば、伝統主義に対するカウンター・バランスとしての現在中心主義です。
猛:僕は、先ほどの「超越」に関する議論を、過去と現在についてのやりとりに当てはめて考えてみたくなりました。
直:それは面白い。君の考えでは、どういうことが言えますか。
猛:うまく言えるかどうか……。超越というのは、自分の生活をもっとよくしたい、向上したいという欲求のことですよね?
直:そう、そのとおり。人間ならだれしもそういう欲求に動かされています。
猛:それに対して、どうにもならない、うまくいかないと、落ち込むことがありますよね、人間ならだれでも。
直:それは君の言うとおり、間違いないことです。
猛:僕は、そちらが「逆超越」じゃないか、と思うのです。親鸞の教えには、もっと深い意味があるのかもしれないけれども……。
直:面白い着眼です。君は日本人の精神構造に、超越と逆超越、両方の要素が含まれていると考えるわけですね。
猛:そんな気がしてきたのです。過去の日本文化が、上昇志向で超越をめざしていたとすると、現在の日本でその反対というか、逆超越的な方向を主張したのが、坂口安吾じゃないかと。「堕落論」を読んだなら、そういう直観が当たっているかどうかが、判るかもしれません。
直:すごくインパクトのある意見です。「日本文化私観」が発表されたのは1943年で、まさに戦争中。「堕落論」の発表は、1946年4月、敗戦から半年後のことです。君の直観は、おそらくジャストミートしているように思います。
中:お二人のやりとりを伺って、一つ考えついたことがあります。口にしてもよろしいでしょうか。
直:どうぞ、何なりと。
中:それは、戦後80年たった現在、私たちが忘れてしまったことがあるのではないか、ということです。経済成長を遂げて豊かになった戦後の日本で、自分にとって本当に必要なものは何か、という問いが見失われてしまったのではないか、という気がします。安吾の作品は、そういう問いを私たちに突きつけているように思います。
直:私の思いを代弁していただいたようなご意見です。安吾による〈日本への問い〉は、そのまま現在を生きるわれわれ日本人への問いだと思います。
中:そうおっしゃっていただけたのは、うれしいことです。それでは最後に、安吾のエッセイで今日紹介された以外に、何かこれはと思われるおススメのものがあれば、教えていただけないでしょうか。
直:そうですね……太宰の文学に関心がおありだったとすると、『堕落論・日本文化私観』(岩波文庫)の最後から二つ目に置かれた「不良少年とキリスト」というエッセイを挙げましょう。太宰と同じ時代を生きる分身のような安吾が、親友の死の直後に吐露した追悼文――酔ってクダを巻いたような見かけに反して、プロの技が読みとれる最高のエッセイです。
中:どうもありがとうございました。


この記事へのコメントはありません。