和辻との接点
猛志君:「30年代の哲学者」シリーズに入って3回目、今日は和辻哲郎が取り上げられますね。楽しみです。
直言先生:そのとおりですが、どうして判りましたか。
猛:以前、5名の日本人哲学者を挙げられた中で、3番目に和辻の名前が挙げられたからです。西田、田辺の次は、当然和辻じゃないかと思いました。
直:そうでしたか。君が「楽しみ」と言ってくれたのはうれしいが、どうしてですか。
猛:和辻倫理学についての講義を聴いたことのある自分としては、「間柄」という考え方が、ふつうの倫理学にはない発想で、新鮮な感じがしました。この機会に、くわしい説明を聞かせてもらえるかな、と期待しているからです。
直:そうですか。和辻の言う「間柄」に関心があるということですね。中道さん、あなたはいかがですか。
中道さん:若いころ、和辻の書いたものを少しだけ読みかじったことがあります。『倫理学』のような難しい本ではありませんが。
直:それは何という本ですか。
中:『古寺巡礼』を読みながら、奈良の社寺を巡り、いろんな仏像を鑑賞しました。学生時代の懐かしい思い出として、記憶に残っています。
直:ほう、『古寺巡礼』の中で印象に残っている部分は、どのあたりですか。
中:いろいろありますが、中宮寺の観音さまとの出会いを語っているあたりのところです。
直:そうですか。どういうところがよかったのですか。
中:法隆寺につづいて中宮寺を訪れたところで、観音さまの「おそばに近づく」というような表現がされていて、単なる仏像ではなく恋人に会うときのような、ときめく思いが伝わってくる感じがしました。
直:なるほど。今年の春、奈良国立博物館で「超国宝展」が開催されました。そこに展示された観音像は、ご覧になりましたか。
中:拝観しましたが、観音さまは美術品としてガラス・ケースの中に陳列されていて、和辻さんのように近づくことができません。ガッカリしました。
直:ここまで、それぞれに和辻との接点があると判りました。そこでお二人に伺いますが、『風土』は読まれていますか?
中:少しだけですが、「三つの風土」を比較して論じているあたりを読みました。
猛:僕は、最初に風土の概念を論じているところに興味があったので、第一章を読みました。第二章以後は、読んだという記憶が残っていません。
直:面白いことですが、一般の読者は、「モンスーン」や「沙漠」といった風土の分類が描き出されている第二章に興味をもって読むけれど、リクツっぽい第一章は読み飛ばす。猛志君のように哲学をやっている人は、第二章のような地理学的記述には、それほど惹かれるということがない。読み手の関心に応じて、本の読まれ方が分かれる。そういう独特な作品が、『風土』なのです。
中:でも先生、『風土』は日本の哲学書の中で一番よく読まれている本だと、人から言われたことがあります。
直:刊行されて以来、今日まで版を重ねてきた『風土』。読者の圧倒的多数は、哲学の議論よりも、風土の類型や風土間の比較を論じた第二章、第三章あたりに興味を惹かれる。「人間存在の空間的限定」とされる具体的な内容が、読者を惹きつけるわけです。
猛:僕は、和辻倫理学の「間柄」という考えが、風土論とどう結びつくのかが気になります。『風土』に倫理学の議論はあったでしょうか。
直:倫理学に特化した議論を展開しているところはありません。ですが、和辻倫理学の土台は人間存在論。人間存在の空間的・時間的構造のうち、空間性は「風土性」と言い換えられますから、風土学は時間性にかかわる歴史哲学と相まって、倫理学の両輪を構成します。
猛:『風土』を読むことが、「間柄」を理解することに役立つということですね、分かりました。
中:私を仏像鑑賞へと導いてくれた和辻さんの本ですから、美術に関する話題も取り上げられているのでしょうか。
直:ええ、和辻は文化史家として一流の人ですから、風土の各類型を論じる中でも、美術の
話題がよく出てきます。風土の文化的特性を扱った「第四章 芸術の風土的性格」には、
美術の例も挙げられています。和辻は、ヨーロッパに渡った1927年、三カ月余にわたる
イタリア旅行をして、その成果を『イタリア古寺巡礼』(岩波文庫)にまとめています。
中:『古寺巡礼』の西洋版を書いたということですね。とても興味があります。
直:そうですか。お二人との接点がありそうということで、今回は『風土』を取り上げて、この作品がどんな重要性をもっているかについて、お話ししたいと思います。
講義:『風土』の成立
1935年に一冊の書物として世に出された『風土』は、かなり複雑な性格をもつ作品で、読み解くにはいろいろ注意が必要です。最近もある人に訊かれて、「支離滅裂な作品」と評したことのあるその特徴を、いくつか挙げて説明します。
この作品が書かれたことの第一の目的は、「序言」に記されているように、「人間存在の風土性」を明らかにするということでした。和辻がそれを思い立った理由は二つ、これも「序」にあるとおり、一つは、ドイツに留学した1927年、現地で刊行されたばかりのハイデガー『存在と時間』(本文中では『有と時間』)を読んだこと。もう一つは、ヨーロッパに向かう40日の航海中に見聞した「さまざまの風土」の印象に支配されていたことです。人間存在の「時間性」を強調するハイデガーに対して、なぜ「空間性」が重視されないのか、という不満を抱いたことの裏に、体験してきたばかりの風土と人間性との強い結びつきがあったことは、間違いありません。人間のあり方が風土によって異なるという確信を、西洋基準の人間学に対するアンチテーゼとしてうちだすことができる。このひらめきが、和辻を突き動かして『風土』の執筆を急がせた大きな理由になります――文部省から与えられた3年間の留学期間を、半分で切り上げて帰国した理由には、ホームシックがあるとされ、それもあるかと思われますが、留学早々に得られた着想を早く作品化したい、という思いが強かったからではないかと考えられます。
30年代の哲学者の中で、和辻の存在をひときわ大きなものにしているのは、「人間存在の風土性」を発見した功績です。それまでの日本人は、西洋に留学して先進的な知識・技術を学び、それを日本に持ち帰って伝えるために留学しました。哲学もそうでした――いや過去形ではなく、現在もそうです。仮に学ぶべき優秀な文物が留学先にあったとしても、それをそのまま日本に輸入するだけでは、状況を改善することにはならない。風土が異なるからです。日本の自然と文化は、日本以外のアジアとは異なり、ましてや西洋とは大きく異なっている。その違いを無視して、西洋基準の文物を直輸入することはできない。この当然と言えるリクツをキチンとした形に具体化することが、風土学の課題です。和辻は、その第一歩を踏み出しました。ドイツ留学中に知ったヘルダーや彼以後のKlimatologieという学問を、和辻は「風土学」と訳して日本に導入しました。風土学がどういう学問かは、「第五章 風土学の歴史的考察」に記されています。
「モンスーン」「沙漠」「牧場」という風土の三つの類型は、本文を読まない人でも聞いたことがおありでしょう。モンスーンの人間性は「受容的・忍従的」、沙漠の人間性は「服従的・戦闘的」、牧場の人間性は「合理的・規則的」である、といった性格の類型をご存じの方も、おいでになるかもしれません。KlimatologieのKlima(英語ではclimate)とは、「気候風土」。牧師であったヘルダーは、神の手で造られた人間が、元々同じであるはずなのに、どうして世界中の各地で異なるあり方をしているのか、という問いを立て、人々が異なる原因は風土の違いにある、という答えを導き出しました――18世紀のヘルダーは、「地理的発見」が進んで、ヨーロッパの勢力が世界各地に進出してから、ヨーロッパ人とそれ以外の土地に暮らす人々とが、外見も違えば人間性も違う、という今日なら当たり前の事実に、目を見開いて向き合いました。この疑問が、風土学を生み出すきっかけになったわけです。関心のある方は、最近翻訳された膨大な著作『人類歴史哲学考』1~5(嶋田洋一郎訳、岩波文庫、2023~2024年)をご覧ください。
現代に生きる私たちは、たとえば同じアジアの民族でも、日本人と韓国人とでは、ものの感じ方や考え方、思想が違うということを、当たり前のこととして認めています。お隣の国の人たちは、日本人と見た目の感じが似ているから、人間性も近いはずだ、というような安易な思い込みが許されないということは、韓流ドラマを観るまでもなく、だれもが常識として弁えていることでしょう。そういう常識を頭において、300年前のヨーロッパの人が、はじめてアジアに上陸して現地の人間を見たときに、どんな印象をもったかを想像してみてください。さぞやビックリしたことでしょう。こいつらは、人間の顔をしている、自分たちのように言葉もしゃべる。けど、することは、自分たちとは全然違う。ホンマに人間かいな?たぶん、これが最初の反応であったかと思われます。
18世紀のドイツ人牧師ヘルダーは、この疑問に答えるべく、風土学を創始しました。で、和辻哲郎は?彼は、それから200年後、自身ではじめて異郷に足を踏み入れた一人の日本人として、土地とそこに生きる人間について、自分の言葉でその印象を語ることを試みたのです。生まれた土地とは異なる風土に直接ふれたという、このことが肝心です。ヘルダーの風土学は、現地に赴くことなく、頭の中で考えられた「歴史哲学」。それとは異なり、自分の足でいろんな風土を見て回って考えたということが、和辻風土学の最大の特色です。
『風土』の内容に立ち入ると長くなるので、この辺で講義は打ち切ります。後は、質問にお答えする形で、説明することにしましょう。
多様な関心
中:講義の最初に、「支離滅裂な作品」という言い方をされたことに驚きました。そんなふうにおっしゃるのは、どうしてでしょうか。
直:『風土』一冊の中に、そのころ、和辻がもっていたいろんな関心がゴッチャに詰め込まれているからです。それは、内容の多彩さを表すと同時に、5章から成る作品全体の統一性を失わせています。
中:言われてみれば、たしかに第一章と第二章とは、読んだ印象がまったく違います。第一章は、抽象的で難しい哲学の理論、第二章は地理学的内容で、旅行記のような印象です。
直:ついでに言うと、第三章「モンスーン的風土の特殊形態」は、第二章の類型論を承けて、風土の一つであるモンスーン地域に限定しての日中比較文化論。つづく第四章は、先ほども言ったように、「芸術の風土的性格」。そして最後、「第五章 風土学の歴史的考察」で結ぶという構成は、「風土」をキーワードとするトピックを並べたアラカルト、というまとまりのなさを示しています。「支離滅裂」とは言いすぎかもしれませんが、およそ学術書とはいいがたいこの本の性格を物語っています。
猛:一冊の本として必要なまとまりがない、と。なるほどそうか、という感じですが、どうしてそういう本がつくられたのか、それが気になります。
直:重要なポイントです。当時の状況に照らしながら説明しましょう。「第二章 三つの類型」で取り上げられた「モンスーン」「沙漠」は、文末に「昭和三年稿、昭和四年加筆」と記されているように、帰国直後――実質的には、おそらく留学中――に急いで書かれたことを示しています。つづく「牧場」は、「昭和三年稿、十年改稿」とあるように、同じ時期に着手されたものの、手直しに時間がかかったことが判ります――前の二つの風土よりも、論じる内容が複雑になっているためでしょう。いずれにしても、発表を急ぐだけの理由が、当時の和辻にはあった。それは、帰国後に京大で行った講義「国民性の考察」に風土論を活かしたいという思惑があったことを物語っています。
猛:和辻倫理学の原型は、国民道徳論であったという説明を聞いたことがあります。「国民性の考察」が、国民道徳論につながったと考えられるでしょうか。
直:そうです、そのとおり。和辻が京大で担当したのは、倫理学の講義。そこに留学の成果を取り入れたいという思いが、帰国早々の論文発表をもたらしたと考えられます。
猛:「第一章 風土の基礎理論」は、「昭和四年稿、六年改稿、十年補筆」とされています。こちらについては、どうでしょうか。
直:「さまざまの風土の印象」を、その記憶が薄れないうちに書き留めることが先決問題。風土の多様性から、「人間存在の空間性」をめぐる理論的反省が具体化される。具体的な事実を哲学的にどう解釈するか、というハードな課題は、一回切りの論述では片づかず、書き直したり、補足したりする手続きがとられたと思われます。
猛:第一章では、「寒さを感ずる」という例を出して、「志向的関係」を説明しています。説明の土台になっているフッサールの現象学に、風土を論じた例があるのでしょうか。
直:たぶん、ないと思います。風土が意味する「人間存在の空間的限定」というテーマは、現象学では扱われない。いつどこの誰であっても、「何ものかについての意識」という志向性のあり方は同じであるとするのが、現象学の建前ですから、風土の特殊性に応じて志向的関係の中身が変わってくるというような問題は、視野に入ってこないのです。
猛:和辻が風土学の理論で新たに主張したのは、どういうことですか。
直:「我々は同じ寒さを共同に感ずる」と書いているように、「共同主観性」が強調されていること、言葉によって風土の共同性が成立するとしたことは、ハイデガーの解釈学にはない論点です。フッサールでもハイデガーでも、人間――後者では「現存在」――として考えられているのは、個人であって集合体ではありません。
中:先生の『風景の論理』では、「同じ言葉を挨拶に用いる」ことで「寒さの共同性」が生まれ、そこから原風景が成立する、と書かれていたように思います。これは、『風土』から考えつかれたことでしょうか。
直:よく覚えておられますね。そのとおり、ハイデガーの現象学に欠けている集団的実践という着想を和辻から借りることによって、私なりの「原風景」論が具体化しました。
猛:いまおっしゃったことは、『風土』と同じ時期に構想された『倫理学』につうじるポイントですね。同じ言葉を挨拶に用いるような「間柄」が想定されているわけですから。
直:『風土』(1935年)が刊行される前年に、『人間の学としての倫理学』(1934年)が発表されています。風土学と倫理学とが、同時に構想されたことの証拠が、「風土の基礎理論」に顕著に示されているわけです。
なぜ『風土』が読まれるのか
中:私が入手した岩波文庫版『風土』は、奥付に「2025年3月5日 第69刷発行」と記されています。すごい数の読者が、この本を手にしていると思われます――その中には、私のように全部を読み通せない人も多くいるでしょうが。先生は、これだけ広範な読者が『風土』に関心を寄せている事実をどう考えられますか。
直:哲学的内容の硬い書物で、これだけ読まれている本は他にありません。例外的にあるとすれば、同じ岩波文庫に入っている九鬼周造『「いき」の構造』くらいでしょう。ですが、九鬼の哲学者然とした硬質の文体に比べるなら、和辻の文章はより開かれていて、読みやすい。それにしても、哲学につうじていない読者の心を惹きつける何かが、この本にあることは確かです。中道さん、読者の一人として、この本の魅力をどう表現されますか。
中:エッ、私ですか。急に言われても……。そうですね、この本の第二章などを読むと、行ったことのない国――モンスーンでも沙漠でも――の人々が、何をどんなふうに考えて生きているのかということが、目に浮かぶように伝わってくる気がします。
直:そうでしょう。インドやアラビアに行ったことがない人でも、そこに生きている人々のありさまが、まるで「目に浮かぶ」かのように、こちらに伝わってくる。それが大きな魅力です。で、その他には?
中:考えつきません。どんなことでしょうか。
直:このたび読み返して気づいたことですが、和辻は直観的な印象だけを綴るのではなくて、その直観を裏づける豊富な知識をもとに、いろいろ仮説を立てて、その妥当性を検証しています。
中:言われてみれば、インドの美術をめぐる議論では、「感情の横溢」とか「意力の弛緩」が建築や彫刻に表れていると。細部の豊富さと全体の統一のなさ、というような指摘を読むと、スゴイ見識の人だと感じました。
直:『原始仏教の実践哲学』(1927年)で学位を取得した和辻は、仏教のことばかりでなく、仏教を生み出したインドの文化的風土に精通していました。『古寺巡礼』に表れているような美術史家としての見識も並外れています。そういう学問的蓄積が、新たに現地を見たことによって、実感の裏づけを得たということが、『風土』を読むとよく分かります。
中:「受容的・忍従的」という風土の直観的印象が、それまでからあった学問的知識に裏づけられるわけですね。なるほどと思います。
直:同じ質問ですが、猛志君にとって『風土』を読むことの意義は何ですか。
猛:先生はずっと前から、『風土』を取り上げるときに、「アナロジー」という言葉を使われています。和辻自身が用いない「アナロジー」というものに、どうして目を向けられたのか。その点についての説明をお願いしたいと思います。
直:「風土」に関する最大のキモ、アナロジーについてのお訊ねです。それを説明することができたなら、私が和辻を「30年代の哲学者」を代表する一人に挙げる理由が、理解していただけるでしょう。
アナロジーの意義
直:「アナロジー」は、このシリーズには登場しない山内得立が駆使した論理の一種で、和辻自身はこの語を使っていません。それはともかく、〈出会い〉の条件がアナロジーにあることを証明した代表的な人物、というのが和辻に対する私の評価です。
猛:他者との出会いがアナロジーによって成立する、という訳ですね。それはどういうことでしょうか。
直:アナロジーの意味は、類比・類推。異なる二つのものを比べてみて、その一方のあり方を他方に当てはめてみて、たがいに似ている共通点やたがいに異なる相違点を明らかにする方法です。AとBとが並んでいる場合、AをBに重ね合わせることによって、重なり合う部分(共通点)と重ならない部分(相違点)とがハッキリしてきます。
中:アナロジーがそういう方法だということは分かります。それが〈出会い〉とどう関係するのでしょうか。
直:「出会う」というのは、自分の前に自分とは違う「他者」が出現したとき、まずはその事実を受け容れるということです。
中:外国に行って、はじめてその国の人を目にした場合を考えればよいわけですね。
直:そう、そのときあなたは、最初に何を感じますか。
中:スペインのマドリッドに着いたとき、スペイン人の顔は日本人とは違って、彫りが深いなと思いました。でも体格は、日本人とそう変わらないな、という印象を受けました。
直:まあ、そんなところでしょう。ふだん見ることのない他者と出会ったとき、相手が自分と〈似ている〉か〈似ていない〉か、が真っ先に気になるポイントです。
中:そう思います。でも、それだけのことなら、何も外国でなくても、日本にいて誰かと顔を合わせるたびに起こっていることです。
直:『風土』の場合、問題は個々の人間ではなく、人々が生きている風土――自然的条件と言い換えてもよいでしょう――との出会い、自分が生きてきた世界とはまったく違った別世界との出会いです。その出会いでは、人間同士のパーソナルな出会いよりも前に、異質な世界との出会いが生じています。
中:他の人間との出会い、他の世界との出会い、この二つはどこが違うのでしょうか。
直:風土あるいは世界は、その中に人が生まれ成長して人間になる。ですから、世界(風土)との出会いは、その中に生きる人間との出会いというものを含んでいるわけです、少なくとも潜在的に。
中:おっしゃることは分かりました。で、そういう他の世界との出会いに、アナロジーはどう働くのでしょうか。
直:簡単に言うと、こういう世界だから、こういう人間ができるのだ、という類推が成立します。風土の三つの類型の一つ「モンスーン」において、気候が「暑熱・湿潤」だから、人間が「受容的・忍従的」なのだ、というふうにね。
猛:チョット待ってください。いまの言い方だと、気候風土が人間性を決定する、という風土決定論とか地理的決定論になるのではないですか。和辻風土論が、そういう言い方で攻撃されたという話を、以前、耳にしたことがあります。
直:重要なご指摘をありがとう。決定論云々は、和辻風土論を否定する決定打のようなもので、飯塚浩二という地理学者がそれを口にするようになってから、戦後の日本で風土学を継承する地理学者がいなくなりました。で、猛志君、「決定論」がなぜダメなのか、君は自分の言葉で説明できますか。
猛:そう返されても、チョット……。自分では考えたことがないので。
中:私が口を挿むのは何ですが、決定論だと人間に自由がないと主張することになるからではないでしょうか。
直:そういうことだと思います。地理学者の大半は、人間の生きる土地の条件が人間性をつくり上げるということを信じているはずです。そういう連中が、「決定論者」という烙印を押されることだけはゴメンだということで、風土学にコミットすることを避けているのです。
猛:先ほどは、答えられなくて申し訳ありません。先生ご自身は「決定論」ということをどう考えられますか。
直:風土が人間性を決定するという因果関係を主張するためには、哲学者ヒュームが明らかにしたように、原因(風土)と結果(人間性)とがたがいに独立の関係でなければなりません。和辻の論法では、暑熱・湿潤という風土の特性と、受容的・忍従的という人間の性格とは、切り離すことができないように、意味としてつながっている。ですから、ヒューム的な意味の因果関係は成立しない。しかし、そんなことよりも、和辻が風土の論理に使用したアナロジーは、一つの風土と他の風土とを比較する方法として普遍的な意義をもつということが、もっとも重要なポイントです。
中:風土と風土との比較というのは、具体的に言うと?
直:「湿潤:受容的・忍従的≒乾燥:服従的・戦闘的≒…」として「≒」(ほぼ等しい、ニアリーイコール)を用いた式が、風土と風土(ここではモンスーンと沙漠)との比較を表します。その意味は、「湿潤なモンスーンにおける人間は、受容的・忍従的である。そのように、乾燥した砂漠における人間は、服従的・戦闘的である」ということ。ひとつの風土における気候と人間性との関係が、別の風土における気候と人間性との関係に「ほぼ等しい」ということ。風土Aと風土Bとは、まったく違ったあり方をしているけれども、その一方に見られる気候と人間性の関係から、他の風土における気候と人間性の関係を類推できる、ということをこの式は意味しているのです。どうです、アナロジーの意味は理解されましたか?
中:ウーン、なんとなく解ったような、解らないような……
直:それで結構です。『邂逅の論理』で(2017年)の中で、上のような定式を示して説明しているのに、まともに理解してくれたという反応はありませんから。
猛:いまの定式の各辺「湿潤:受容的・忍従的」「乾燥:服従的・戦闘的」は、決定論的な意味をもっているように思われるのですが……
直:気候の「湿潤」と人間性の「受容的・忍従的」とは、意味的に対応している。つまりメタファの関係です。メタファの場合は、決定論的な因果関係とは異なり、一対の組み合わせの一方が他方を意味するという、意味論的な関係です。分かりにくいなら、連想の関係と言ってもよい。土地の気候を感じることで、そこに暮らす人々の気質が思い浮かぶ。それとは逆に、その地の人間性から自然条件を連想するケースもありえます。
猛:今回、和辻哲郎を取り上げた理由は、風土の理解にアナロジーの方法を適用したパイオニアだということですね。そのことに、どんな哲学的意義があるのでしょうか。
直:最後に、いちばん重要な質問が来ました。アナロジーは、他者と自己とを比較することで、他者理解と自己理解とを同時に成立させる方法です。自分がモンスーン地帯の一角に住む日本人であるという自己認識と、一木一草すらない沙漠に生きる沙漠的人間とが異なるという他者認識とは、一方を他方から切り離すことのできないセットとして成立します。世界中の人間と自然に対して、自分はどういう向き合い方をすればよいのか。幕末の開国以来、今日までつづくこの重い問いにとって、アナロジーが決定的に重要であるという答えを示した。ここに、『風土』という作品の不滅の価値がある。私はこの解釈に強い自信をもっています。
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