越えられない壁を越える錯覚

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  • このトピックには2件の返信、1人の参加者があり、最後に浦靖宜により4年、 7ヶ月前に更新されました。
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    • #486 返信
      浦靖宜
      ゲスト

      テクノロジーの問題(1)を読みました

      木岡先生が、ホイ・ユク氏とセッションしていたとは、驚きです。
      私はゲンロン友の会の会員なので、彼の『中国のテクノロジーに関する問い――宇宙技芸試論』の序論は読んでいました。(雑誌『ゲンロン』では序論のみ訳出されていて、そのまま出版社ゲンロンで全訳が出る予定だそうです)
      また彼が去年の夏、東京のゲンロンカフェで、記号論で有名な石田英敬氏、ゲンロン経営者の東浩紀氏と5時間にわたるトークショーをネットの生放送で見てました。(全編英語の討議なので、不得手な私は2割も理解できなかったですが)

      彼は序論で、人類学者のヴィヴェイロス・デ・カストロ(最近気になって読み始めました)や中国思想研究者のフランソワ・ジュリアン(彼の『道徳を基礎付ける』という本が面白かったです)の名に言及すると同時に、先生が師事されたオギュスタン・ベルクの名も挙げてましたので、よくよく考えれば関連があったわけですね。

      「ガリレイ的伝統」=機械論が「アリストテレス的伝統」=生命論を圧倒するというのは、まさに昨今のシンギュラリティ問題そのものですね。
      シンギュラリティ自体は神話だろうと思いますが、「とにかく多量のデータを読み込ませてディープ・ラーニングさせれば(機械論)、ワンチャンいける(生命論を圧倒)」という考えの技術者は意外と多いのかもしれません。フレーム問題やシンボルグラウンディング問題など昔からAIを作る上で科学者の頭を悩ませていた問題を、物量でゴリ押しすればいけるということにするのは、それはそれで一つの知恵なのかもしれません。知能の仕組みはわからんが、とにかく使えるならいいじゃないかと。私はつまらないと思いますがね。

      木岡先生はメタクソに批判していましたが、私自身はAI(人工知能)やAL(人工生命)の開発の取り組みは興味を持って見ていました。彼らの取り組み(少しの成功と多くの失敗)が、人間とは何か、知能があるとはどういうことをいうのか、生命とは何かを逆照射してくれていましたし、これからもそれを期待できるものと思っています。

      例えば生命とは何かを我々はまだ十全に理解してはいません。閉じた系で自律している存在が生命なのか、それ以外の生命のあり方があるのか。我々は、DNAで構成されているたった1種の生命体しか知らないので(この地球上の多様な生命はそういう意味では、たった1種類なのです)、生命を理解する上で非常に不利な状況です。将来、より生命と思しき何かを人工的に作れたり、あるいはDNA以外の仕組みでできた別の生命体を地球外で発見できれば比較検討できるのでしょうが。私が生きている間にどっちかは進展して欲しいなと思います。

      そういう点で私は科学技術に夢を見ている派ですね。

      木岡先生が特に批判した石黒氏の取り組みですが、

      私は石黒氏個人が限りなく人間に近いロボットを作りたいと思うのは結構ですし、その欲望が研究を駆動させているのなら良いと思います。

      ただ社会がロボットを人間にすることを求めることはないだろうと思いますし、そんなことを期待するのは馬鹿げていると思います。
      人間の代わりにロボットが働いてくれるから社会にとって有益なわけなので(ロボットは元は強制労働という意味でした)、これから強制労働させようとしているものを、わざわざ人間に近づけてどうするんでしょうか。ロボットがかわいそうです。

      と思うくらいに私はロボットにシンパシーを感じています。
      つまりロボットを人と見なしている!
      これはいくつかの哺乳類が持っているであろう能力です。私たちは自分たち以外の存在を自分たちと同じ人間かのように扱う能力があります。ペットを家族として扱うのもそうですし、最近はお掃除ロボのルンバまで家族のように扱う人がいるようです。ルンバと飼い主(?)は似るんだそうです。

      物に魂が宿るとみなす。人間と機械に隔たりなどないかのように感じる。
      それは木岡先生の仰るように確かに錯覚であり呪術的なのですが、この錯覚の能力があるからこそ、人間は物との関係を結べるのではないのでしょうか。

    • #490 返信
      kiba1951
      ゲスト

      私が知っている限りでは、ロボットやAIを研究されている方々はとても謙虚です。
      人間の素晴らしさとロボット・AIの限界を最も理解されていると思います。
      ロボット・AI研究の目的の一つが「人間ってなんだ?」であると思います。
      人間によく似たロボットを作る事で、客観的に人間を理解出来るのだと思います。
      石黒先生の研究は阪大豊中キャンパスで5月に開催される「イチョウ祭」・11月に開催される」「かねまち祭」で」よく展示されています。
      とても興味ある展示で面白いです。

    • #500 返信
      浦靖宜
      ゲスト

      最近はAI(知能)だけではダメで、AIに肉体を持たせたないといけない。肉体あっての知能なんだという考えで研究する人も出てきているようですね。ゲームAI開発者の三宅陽一郎氏などがそうですね。アレクサやSiriと違って、ゲームキャラは肉体を持つものと設定されているので、ゲームは人工知能界隈では珍しく身体と精神の関係を考える分野なんだそうです。彼は人工知能の開発のためにかなりガチで西洋哲学、東洋哲学を勉強して本まで出されてます。(『人工知能のための哲学塾』『同(東洋哲学編)』
      私も全然、人間のことがわかってないので、何かヒントになればいいなと思います。

      石黒先生はこの間、京都の高台寺という寺でアンドロイド観音を作られてましたね。
      「流石に観音はまずいだろう(苦笑)」と思いましたが。
      観音はもちろん人ではなく、人を超えた存在ですので。お坊さんはあれでよかったのかしら?

      ただ昨今の様々な取り組みでAIやアンドロイドに人間に似たことをさせるのはどうかなとも思います。
      オペラやったり紅白で歌ったり、漫画書いたり。翻訳もそうですが。
      でもそれは人間でもできることなので、代わりにやってくれるなら便利ですが、便利なだけっちゃだけですね。人間には到底できない何かができるようになったら、すごいなとは思いますが、アンドロイドに何をさせるのかは人間が決めることなので、その辺に限界があるのかもしれません。AI以前にスパコンの段階で、すでに人間業では到底できない計算をやって天気予測とかしてますけどね。

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