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#1388
浦靖宜
ゲスト

kibaさん

ここのところ忙しくしてしまい、なかなか返信できずでした。
下半期からの哲学塾には変わらず参加していますので、またお会いできたらと思います。

チベット情勢には詳しくありませんので、大雑把なことしか言えませんが、

中国政府がチベットの人々に対し、人権を侵害する行為を働いている事実は看過できません。これは近代的な価値観に基づく批判です。
私としては中国はチベットにより強い自治権を認めるべきだと考えています。
チベットが仮に非近代的であるがゆえに、その内部で人権を侵害するような行為がなされている場合、私はそれについても外野から批判します。
チベットは詳しくないので、適当な例が思い浮かびませんが、イスラム圏で時折発生する名誉殺人(こういうときにイスラムばかり例に上がることによくない傾きを感じますが)は、私たちの価値観からは明らかに人権侵害であり、私は批判するべきだと感じています。それを近代を生きるものの価値の押し付けだと批判することもできますし、過度な押し付けは確かに禁物ですが、しかし、イスラムの側がそうでない者にイスラムの価値を伝え、布教することが自由なように、近代の側が近代的価値を布教するのも自由なはずです。

ある共同体の文化や思想は歴史を通して変化していくものです。過去の仏教教典を見れば、国王が民衆を弾圧することも、それが民衆にとって必要なことであれば、菩薩戒に反しないしむしろ功徳になるなど、今の価値観には絶対に合わない考えが出てきます。殺人を肯定する考えも仏教にはあります。でも、幸いにして現代を生きる仏教僧のほとんどは、それが正しいと言わないでしょう(オウムという例外はありましたが)。かつて弾圧を肯定していたのも、その経典が書かれた当時は封建制だったからです。時代の要請に答える形で教えは再解釈されていきます。かつてこの国の仏教も国の期待に応えて「八紘一宇」の思想を唱えたように、今なら民主主義を、女性活躍を唱えられるよう再解釈されていくのだと思います。私たち近代人は、彼らが変容していくことを期待することができます(カトリックはよくそうしてますね。かつての異端の名誉を回復したり。進化論を認める解釈を提示したり。)もちろん私たちも彼らを知ることで変容していく可能性もあります。

チベットからは離れますが
もうちょっとシビアな例で考えてみましょう
ある宗教共同体では、いとこ同士で性交渉した場合に女性の方を殺さなければならないとする。
そうしなければ、女性の魂が地獄に落ちてしまい、死刑に処することでむしろ罪が許され、天国に行けるのだと信じられていたとします。
今まさに名誉殺人が行われようとしている。私にはそれを強制的に止める能力(武力)があるとする。どうすべきか。
私なら名誉殺人を阻止します。
私の勝手な行為で、その宗教共同体においては彼女は地獄に落ちることになります。地獄に落ちることは、人権を侵害することよりもずっと酷い暴力なのだと思います。でも仕方ありません。その共同体の人たちには、その人たちの世界観においては彼女が地獄に落ちたことを受け入れてもらうしかありません。私はその宗教を信じていないので、彼女が、とりあえずこの先も生きていけることに喜びを感じます。共同体の価値観で育った彼女が、自分の魂の行末をどう案じるかは分かりません。せっかく死刑になるところだったのにとんでもないことをしてくれたなと恨まれるかもしれません。もしくは自死を選ぶかも。できるだけ説得は試みますが、彼女がどっちの世界観を受け入れるかは彼女が決めるしかないでしょう。
国家であれば、そもそも制度として名誉殺人を禁止することが警察力を用いて物理的にできます。実際、基本的には名誉殺人は多くの国で近代法に照らして罰せられます。それは文化に対する弾圧なのではないか。私が答えるとしたら、「弾圧を含むが私たちも譲れない価値観を持っているので、止むを得ない。どうしても譲れないのなら、罰を受ける覚悟でやるしかない。もし名誉殺人を行うときに、警察がきて止められそうになったら、警察を実力で排除するしかなく、当然、警察も実力を行使するしかない」と言うでしょう。

さて話が長くなりますが、また別の例をあげます
ある部族では、生まれてきた赤子を育てるかどうかを、母親がその子を抱くかどうかで決めます。
母親が赤子を抱けば、晴れて赤子は人間として育てられ、抱かなければ、赤子は精霊として、葉っぱに包められ、シロアリの巣に入れて焼き、煙にのせて天に帰します。

この事例でも、私の目の前でそれをなされ、私が赤子を奪い取り、逃げる能力があれば、私は赤子を奪って逃げるでしょう。
では国家はこの部族をどう扱うべきなのか。ここで私は妙な感じになってしまいます。私はこういう部族が存在してもいいように感じるのです。むしろそういう世界理解もあるのかぁと感心するくらいです。もしかしたら、現場に居合わせた私は、赤子を奪いもせずに興味深くその儀式を眺めてしまうかもしれません。

名誉殺人も赤子を焼くのも近代的価値観からすればいずれも人権侵害であり許されません。
にもかかわらずなぜ赤子を焼くのを私はありだと思ってしまうのか。

「七つまでは神のうち」という考えが日本にもあるように、赤子が「人間」かどうかの微妙な感じを私も持っているからかもしれません。
また部族という極めて小さな共同体で、かつ他の共同体とほとんど交わることがない共同体だから、それを潰すくらいなら、無視していいと判断しているのかもしれません。
またルール違反ゆえの名誉殺人に対して、赤子殺しは、人間とは何か、精霊とは何か、魂とは何かというその部族の根本的な世界観にあまりにも密接に関係している(ように思われる)ので、それを封殺することは即その部族そのものを否定することに近いとも思います。ゆえに触らない方がいいと思ってしまうのかもしれません。

時に近代的な価値観をゴリゴリ推し進めるのは躊躇われます。そしてそうでない世界を知ることはとても興味深いことです。一方でそれぞれの世界がどうしても折り合わないことがあります。大学時代にロールズやローティなどを読みながら考えていたことを、今また考えています。

最後にkibaさんが例にあげた項目にコメントすると

1については歴史的事実は詳しく知りませんが、そうした側面もあるのだろうと思います。ただ側面であって全面ではなく、それだけを評価の対象にするわけにはいかないでしょう。
2については飢饉がなかった事実は詳しく知りませんが、中国が云々は大体そうなんだろうと思っています。でもその影響で1のような評価もできるのだろうと思います。だからといって、免罪されるわけではないと思います。
3適者生存は何がどうなろうと適者生存なので、正当化の理由にするのはナンセンスだと思います。チベットが弾圧で滅んだのも適者生存なら、チベットを弾圧した結果、中国が国際的に嫌われ、制裁を受けて、滅んだとしたら、それもまた適者生存です。起こっていることは全て適者生存なので、気にせず中国を批判すべきだと思います。そもそも適者生存であることが、なぜ責任の免除に結びつくのか。論理がいまいち分かりません。私が誰かと喧嘩になり、相手を殺したとしたら、生き残った以上、適者生存だと思いますが、それはそれとして刑法で裁かれるべきだとも思いますよ。
「弱肉強食だからやられても仕方ない」なんてことを認めたら、それは「力による現状変更」を認めることであり、侵略戦争を認めるのと同じです。日本が世界を侵略できるくらいに強いなら、いいのかもしれませんが、そうではないので、単に自国の首を締めるだけの物言いだと思います。日本が中国に力による現状変更をされても受け入れられるなら別ですが。圧倒的に世界最強でもない限りは絶対に「弱肉強食が国際社会の常識だ」なんて物言いを認めてはいけません。アメリカ、ロシア、中国がそういう態度に出たら、残りの全世界が一致団結して反対すべきです。本当はそのための集団安全保障なんですけどね。
4尊重すべきだと思います。でも俺たちの価値観を伝えることもできます。
5この意見の意図は「無知蒙昧な宗教から抜け出させてやる」と言うことだと思いますが、そんな余計なことせずに粛々と社会保障政策をすべきでは?宗教を捨てないと救済しないのは人権侵害では?生活保障のために給付したお金がお布施に使うのはその人の勝手です。もちろんそう言う使い方はやめろと指導することも勝手です。ただし信仰の自由は守られるべきです。

こんなところでしょうか。ずいぶん論旨のわかりにくい回答になりました。。。

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