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#1394
浦靖宜
ゲスト

1.うーん、しかし、そこまで勝つことが正しいとか、やったもの勝ちだと思うのなら、なぜこんな議論をするのですか?それこそ無意味ではないですか?理屈など必要ないじゃないですか?理屈など必要ないことを理屈で説明したいということでしょうか?理屈とか正義などいらないという人は、もちろんそれで結構ですけど、できれば是非それを貫いて欲しいです。どんな非難があろうとも無視して、もちろん自分を正当化することも一切しない。ただ責められるのみ。責められるのが不当だ反論することは、正しさへのこだわりであり、理屈や正義などいらないというあり方に矛盾する。
己の判断でやるなってことではないですよ。行動は全て己の判断です。でも判断っていう以上は、それは正しいかどうかの判断ですよね?

「正しさは強さの裏付けがあってこそ説得力を持つのが現実」
力が必要なのは正義を為す時であって、力があるから正しくなるわけではありません。力があるから説得されたという人は、正義に説得されたんでなく、単に力に屈しただけです。

①私たちは75年を経た今も北方領土を返してほしいと訴えることはできますし、状況の改善を訴えることはできます。もちろん正義を成すには力の裏付けが必要なのはそうですが、力を得るために正義が必要だとも言えます。どうして弱者のために強者が協力することがあるのかといったらそっちに正義があると強者が判断したからでしょう。それはどっちが強いかとは別の判断基準です。
北方領土は本当はややこしい問題ですが、仮に正義は日本にあるとして、でもロシアの方が軍事力が強いとします。ロシアが自主的に返すつもりはないとして、それでもロシアが島を返すとしたら、そうしないとロシアが危ないからであり、なぜ危ないのかと言えば、国際社会が正義は日本側にあると判断して、そっちに力を貸すからでしょう。力が正義を裏付けるというより、正義が力を生み出すという考えはいかがでしょう。これは常にそうだったというより、徐々にそうなりつつあるという期待を込めてですけど。

スッタモンダ100年経てば時効になるかもしれませんが、逆にいうと100年は揉めることができるということでしょう。諦めず頑張るという判断はあり得るでしょう。

現実は変えようがないので、殺された者は殺され損ですし、やったもの勝ちの側面はありますが、それだけではないですよね。非難されますし、処罰されますが、それも正しさとは一切関係がないということなのでしょうか?

② 「後世に咎められる事が予想されたとしても、3歩前進した者」
がどういう業績を指すのかよくわかりません。「3歩前進」は誰の評価ですか?それも後世の評価?正しくないと予想してたのなら、それこそなんでやったんですか?
そこは普通に、伊藤博文の功績は〇〇だが、✖️✖️については誤りだったで良いのでは?「〇〇は良かったんだから、✖️✖️のことを言うな」というのも変でしょう?
後世の評価を気にしないのはその人の勝手ですが、だったら勝手に評価して良いところは称え、悪いところは貶すよというだけです。
そして賠償が必要なことなら、後からでもそれを訴えますし、理があるなら、訴えが通ることもあるでしょう。

③そうですか?新型コロナはSARSやMARS、日本では新型インフルもありましたし、普通にいつか対策しなければならない案件だったと思いますけど?単にまだ大丈夫だろうとコストをかけてこなかっただけで。『復活の日』もそうですが、10年くらい前にパンデミック映画がやたらはやり、さらに前には「もし北朝鮮が病原菌の入った風船を日本に放つかもしれないから、きちんと感染症対策をしなければ」みたいなことをワイドショーでも言ってたくらいなのに、コロナは全然予期してなかった、不意打ちだったっていうのは無理だと思いますよ。もちろんいつ来るかまでは予測できませんけど、それは地震と同じで、じゃあ何も対策しなかったとしても責めることはできないなんて言えませんよね

かつての行動が、後になって「あの時はそれの何がわるいのかと思ったが、今にして思えばあれはよくなかった」って反省するのは、よくあることであり、であれば未来にそう後悔や反省をしないように、今しっかりこの正しさは未来においても正しいことだろうか考えながら判断しよう(難しいけど)というのがわたしの主張ですが、kibaさんとしては未来から過去を評価するのが不当だということでしょうか?
まぁ後出しジャンケンの面があるのも事実なので、やり過ぎは良くないとは思いますが。
逆パターンで当時は悪とされていたが、それは当時の倫理観の誤りで、本当は正義だったと後から判定されることがあります。というか歴史はそんなことばかりです。
ガンジーは当時はテロリストですが、今は偉人ですね。これも当時はテロリストという評価だったんだから、ガンジーはやっぱり悪いことをしたってことになるのでしょうか?
白人に席を譲らなかった黒人は、当時の価値観では犯罪者ですが、今は勇気ある行動だったと名誉を回復してますよね。
そういったことも踏まえて、ちゃんと未来まで想像して判断しようということです。そもそも正しさは普遍的であることを求めるので、つまり未来永劫いついかなる時も正しいもの以外正しくないわけですが、もちろんそんな正しさを人間が見出せることなど不可能ではあるが、しかしそれでも人間は正しさを追い求めるべきだと思います。

④そりゃ、だいたい「あれは悪いことだ」と最初に気づくのはたいてい、その悪いことをやってた人たちですからね。鯨を殺してたから、「鯨を殺すのはよくない」と気づくわけでしょう。(私は鯨を殺すのが絶対的な悪だとは思いませんが)
最初に気づいた俺偉いとドヤ顔されるのは良い気がしませんが、お前もやってたじゃんって反論も分が悪いと思いますよ。
もし誰かが人を殺そうとしてるとして、過去に人を殺したことがある人が「やめろ」と止めるのを、別の誰かが「おまえも殺人者じゃないか。今更良い人ぶるな」と非難するのですか?気持ちは分からんでもないし、過去のことは今後も反省すべきですが、とりあえず一緒に目の前の殺人を止めるべきだと思います。(日本の従軍慰安婦問題でも、「ほかの国もやってたじゃん」的な反論がありますが、殺人者が、「俺以外にも他に人殺しはいるのに、なんで俺だけ責められるんだ」って言い訳に納得するとでも思っているのでしょうか。いやもちろん、慰安婦問題の場合、責めてくる奴もやってたから、そう言いたくなる気持ちもわかりますけど、ダメなものはダメでは?)

またkibaさんのやったもの勝ち論に従えば、動物愛護に限らず、全ての正しさの主張は戯言にすぎないので、ことさらヨーロッパの動物愛護を論う必要はないかと思います。というかヨーロッパこそやったもの勝ちという点で全て正しいということになるのでは?(その主張すらも戯言ということになってしまいますが)

2.信長の迷惑など知ったことではないですが、信長も別に畿内=天下を安定させることが目標だったので、彼もまた保守的な戦国大名だったと思いますよ。石高制とか、めっちゃ古めかしいことをやる点、田舎者感があります。
それを言うなら徳川政権は確かに敵をなくすという点で、恐ろしいかもしれませんね。敵は全て藩として配下におさめられ、徳川に背けば、お家取り潰しで消滅させられます。
ただそれは日本の中での話です。地球全部が一つの国家やイデオロギーに覆われるとヤバイというのがシュミットが述べてたことですね。

3.この辺が私の考えが整理できてないところですね。友敵の二分法を持ち出しておきながら、友と敵との相互作用も表現したいから、「毒」を持ち出すことになった感じですね。「敵」という表現は「他者」という表現への抵抗です。「他者」って優しい表現じゃないですか。「他者を理解しよう」とか。でも実際にはそんな優しいものじゃないし、誤解もあるし戦いも起きる。「敵」はそういう分かり合えなさを含んでていいなと思うのです。しかも全く没交渉というわけでもない。戦いも交渉ですしね。そういう局面もひっくるめて表現するには「他者」より「敵」がいいかなと考えました。ヨーロッパ的な「他者」とか「友愛」に対抗して「敵」

4.進化という長いスパンの話ですけどね
僕らの遺伝子の一部がウイルスからもらったものだというのが分かっています。
ウイルスは生物よりもはるかに個体数が多いですが、全然注目されず、されたとしても感染症の観点がほとんどです。純粋にウイルスの研究がもっとなされたらいいのですが。

しかし正しかろうがなんだろうが、最終的には勝たなきゃ意味ないっていうのは強力な反論ですよね。
ただ最終的というのがいつなのか定まってないので、とりあえずずっと足掻くことはできますね。
敵を認めておきながら、正しさに拘るのも、なかなかどっちつかずですね。

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