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#1396
浦靖宜
ゲスト

では利益第一でkibaさんは判断すればいいのではないですか?
実際経済学などでは、どれだけ理屈をこねようと「でも結局はそれが自分にとって利益になるから、そう判断しているにすぎない」といいますし、実際言えると思います。誰かのために死ぬのですら、自分の魂にとってそれが有益だから死んでいるのだと言うことができる。
私はそれは、「全部神様の思し召し」と同じ論法なので、それで納得がいくならそれでいいんじゃないかと思ってますよ。自分の利益をどうどう判断するかは、個人の選好によるので、私がkibaさんに対して、こう判断するのが、kibaさんにとって一番の利益だとか、これがkibaさんにとって最も最適な判断基準と述べることはできませんが。

①についてはそうも言えますが、「本当はそっちが正しいと思ったからでしょう?」とも言えます。それに対して、「と思うほうが利益になると思ったからでしょう?」と言えます。強者がどう判断しているかなど、他人にはそもそもわからないので、正直無意味です。結局それが利益になると思う人もいれば、利益になるからとは関係なしに正しいからそうするとい人もいます。そもそも正しいほうが利益になると思えるのは、一般的に人々は正しさや公正さを重視すると利益第一主義者も思うからであって、その人も正しさの持つ力を信頼しているのです。正しさなんか全く力を持たないなら、誰も正義を訴えません

②どう違うのでしょうか?

④kibaさんとしては、現実がどうなってるかを知りたいということでしょうか?現実は不正義でいっぱいで、力と利益で判断されることが多いし、それをあたかも正義のように粉飾していることも多いと思います。現実が正しかったら、正義を訴える必要がそもそもないですから。

⑤別々でも一つでの特に論旨に問題ありません。功罪と言ってる時点で評価が入ってるじゃないですか。その功罪を評価するのは当事者や当時の人だけでなく、未来の人も含まれるということです。そして私は未来の人がどう判断するだろうかまで意識して判断して行動したほうがいいと言っているのです。そんなの正確にできるわけないなんて百も承知ですよ。でも未来を考えずに判断できるはずもない。特に国政は明らかにまだ生まれていない人たちがどう評価するかも含めて為されるはずのものでしょう。そうでなきゃ国家が存続しないし、存続させる意味もない。今はあまりに現在のことしか考えていないように見えるので、そういうことへの批判も含めて、未来の評価を考えたほうがいいと述べています。
副作用も5年、10年で出てくればいいですが、50年後に出ることもある。政治レベルならなおさら、未来の人の評価を意識するべきでしょう。

⑥全てに対策を取れるわけがないのは当然のことであり、どこにコストをかけるかの配分を考える必要があるが、その判断が間違っていた場合は、どこまで予見可能性があったかを考慮されるとしても、判断主体である以上は一定の責任を負うべきでしょう。
法的に責任を負うことはなかったとしても、評価は下がるでしょう。

⑦できれば、今までに挙げた中、又は別でもいいので具体的な事例として「この未来からの過去の評価はこういう理由で不当だ」というのがあれば、教えてほしいです。
たとえとしてあげたMeToo運動やBLMでの銅像撤去はどうですか?後者の場合、普通に破壊されたら器物損壊罪でまずいですが、例えば大学が校内の銅像を、「人種差別主義者を顕彰するのは間違ってた」と自主的に撤去した場合などはどうでしょうか?私自身は共感は示しつつも、本当は単純に撤去することが正しいのかと疑念は実はありますよ。
あと、評価は法的な刑事罰だけではないので、事後法云々はあまりこの議論では関係ないと思います
もちろん私もセクハラとか差別が当時の法律に反していないのであれば、刑事罰は与えるべきじゃないと思いますよ。でもそれをやった人は間違ってると思います。当時においてはそれが一般的であったとしても。それも不当な評価だとしたら、その理由を是非。
しかし事後法の原則を守るも守らないも自分の利益で判断するのがよいというのが、「やったもの勝ちの進化論」になるのじゃないですか?とくに不当かどうかに拘る必要はないと思います。

⑧現実としてはありえないですよ。でも「正義」は定義上、いついかなる時もという普遍性を含んでおり、であるからこそ時代や地域を超えて共有されうる(注意:「うる」であり、そうでないことももちろんあります)
なのでたとえ無理でも、できるだけいついかなる時も正しかろう行動をとるつもりで考えないといけません。現実になるかどうかはこの段階ではどうでもいいのです。
そもそも何が正しい判断かを考えている時に、「これは今ここだけで通用する正しさでいいんだけど」みたいなこと考えて判断してるようじゃ(それこそ非現実的な想定ですが)、100年どころか、明日も持たないグズグズの判断になってしまいます。

④そりゃ当事者の多くは自覚なんかないですよ。悪いことに気づいたのは「後世の」ヨーロッパ人ですよ。あるいは同時代にもいたでしょうし、実際にそれをやってた人が後で反省することもあるかもしれませんが。国民や世の中全体が「気付く」(そもそも国民や世の中をあたかも一つの人格かのように表現せざるをえないから話がややこしくなるのです)のが、後になってからです。そうであれば、どうなのでしょう?
捕鯨は栄誉より国益って感じでしょうけど。

「やったもの勝ち進化論」と「人類の理想」に折り合いをつける必要なんかあるんですか?同時に成り立つものだと思いますよ。だって全く関係ないことだからです。世界が決定論的であっても、俺たちの人生に全く関係ないのと一緒です。
そもそも前者はたんなる事実に「勝ち」という評価を与えてるから、端的に間違ってると思いますよ。なんで生き残ったら勝ちなんですか?単に「生き残った」という事実があればそれでいいじゃないですか。そして勝ったほうが「正しい」という評価を付け加えているようにも、これまでの文意から感じられますが、それは必要な評価なのですか?正しくても負けることはあるし、滅ぶこともある。でもそれは正しさが正しくなかったことになるわけではないですよね。勝ったほうが正しいなら、内容なんか関係ないので人類の理想などどうでもよくなってしまうし、勝ったと判断するのは未来のことなので、結局未来じゃんって感じです。いつどの時点で勝ちが決まりと考えているんですか?

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