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#1399
浦靖宜
ゲスト

①SRI云々はその通りだと思いますし、マルクスの『資本論』から問題にされていたことだと思いますが、それが①でも私の文章の引用に対してどのように批判しているのかがわかりません。資本家が利己心で正義にかなった行動を取ること理由として①の引用での文章を述べたのですが。正義に適った行動を取るのは他者がそれを支持するからです。他者がそれを支持すること自体は、正義に適うことが良いと選好するからで、その選好の集積が正義の持つパワーです。
それとも社会契約的な想定をkibaさんはしているのでしょうか?
本当は人を殺してでも利益を得たいけど、それを許可すると自分も殺されかねず、その不利益を被るくらいなら、全員が殺人を禁するルールに従うといったような。みんな誰も正義のために殺人を禁じているのではなく、自己利益のためにやっているだけだと。それはそれで一つの見識だと思いますよ。ただkibaさんは一方で現実がどうであるかに重点を置いてるようにこれまでの投稿から思うので、「誰も本当は人殺しを悪いなんて思ってない。自己利益でそう言ってるだけだ。」というのは現実的ではないですが。ただこうした思考実験が無意味だとは思いません。

②も①と同様です

④⑤⑥よかったです
正義は限定的については、現実的には限定的だが、理想的には普遍を目指さないといけないという考えです。そもそもどれだけ限定的か自体が折り合ってみないとわからないので、まずはできるだけ普遍性を帯びるよう正義のアイデアを出すべきではないですか?

⑦1)正直大学側がどういう評価項目で銅像を建てたのか私たちにはわかりようがないですが、わざわざ当の大学が主体的に撤去したんなら、自分たちの評価項目は誤っていたと反省したのでは?
それに銅像は一般的にも、やはりその人の業績をその人格も含めて顕彰していると思います。

少し議論が錯綜してきたように思います。
そもそも、当時は是認されていた行動が後になって不正義とされた時に、当時の行動を遡って、責任を取らせることができるかどうかは私の当初述べたことの本質ではありません。ただ実際にはアクチュアルな問題なので考える必要はあります。

まずは当初の意見を述べます。
私が言いたいのは、とはいえ上記のようなことはありうるので、これからはそのことも踏まえて判断しようということです。100年後においても正しいと言えるか考えて行動しようと。
たとえば今はLGBTの人たちをオカマと呼んで揶揄することがなんとなく許されていますが、100年後もそれが許されていると思うのか。
そして100年後ダメなら今もダメなのではないかと遡って自制することが必要なのではないか。
今、許されてるならついついやってしまう可能性がある。でも未来に孫に非難されると想定したら少しはブレーキがかかるのではないか。
これについてはkibaさんいかがでしょうか?
そしてこれが中国のチベット対策などへの評価の仕方に有効でしょうか?

つぎに過去のことを未来に評価することについて

たしかにあまりに過去のことをとやかく責めても仕方なく、そこは「当時の時代の制限だった」くらいに押さえた方が現実的なのかもしれません。特に過去の悪い面、それも後世に悪とされたことは、注目されがちなので、かえって正当な評価が難しくなることもあります。

それについての反論としてはこういうことが言えます。

チャーチルは確かにイギリスを救った英雄かもしれないし、これまでそう評価されてきた。そして未来において人種差別が悪とされ、チャーチルが人種差別を行なってきたことがわかった。であれば、彼のその悪も含めて再評価するのは当然ではないか。むしろ時代の制約ゆえに、これまで彼は公正な評価を得ていなかったと考えるべきだ。

そもそも歴史のある段階において人種差別が悪になったのではない。
そもそもいついかなる時でも人種差別は悪であり、その時が1900年だろうが、2000年だろうが変わらない。
もしあなたが人種差別が横行していた時代にタイムスリップしたとして、この時代は人種差別がオッケーだからと、それに加担することが許されるのだろうか。
歴史のある段階において人類は人種差別は悪であると気づいたのだ。
人種差別は昔から「本当は」悪であり、過去の人はそれに気づいていなかった。しかし未来の我々はそのことに気づいた。気づいた以上、その気づきを無視して過去を評価することは、正しい歴史の評価ではない。ただ我々が認めるのは、当時においては人種差別が是認されていたという歴史的事実のみであり、それは当時においては人種差別が良かったということとは異なる。その当時も気付いてないだけで、悪だったのだ。

ちなみに私が銅像の破壊に疑義を生じるのは、上記の歴史的事実を重視するからです。つまり銅像を破壊することは、「ある時代においては彼は英雄視されていたんだよ」ということが分からなくなってしまう可能性があるからです。その事実は後世においても参照できるようにした方がいい。(まあ銅像残さなくても遺せると反論できそうですけど)

2)も概ね⑦1)と同様です。ただ確かに医療を受けさせたという点で改善と言える可能性はあります。

⑨も同様です。ちなみに私は鯨殺すのが悪いというより、乱獲が悪いと思います。そしてもう獲るべきでもないと思います(獲らなくても構わないので。ただしイヌイットや太子町などの伝統捕鯨は別)

⑩勝敗と正義不正義は別だとしたら、kiba さんは「やって勝った者勝ち進化論」と「人類の理想論」間のどこに折り合いのつけられなさを感じているのですか?
それよりもkibaさんは「人類の理想論」なんてあり得ないという考えなのでは?全人類共通の理想や正義などないというのがkibaさんの立場ではなかったでしょうか?

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