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#1407
浦靖宜
ゲスト

私は伝統的な正義論の枠組みの中で議論しているので分かりにくいのかもしれません。
正義は定義上、なによりも優先されるものとされます。もし正義よりも優先すべきXがあるとするなら、「正義よりもXを優先すべき」ということこそが「正義」ということにならないといけません。つまり諸般の事情を超越して正義というのは設定されます。ただ「正義よりもXを優先することが正義だ」ではなんのことだかわかりません。
そこで前者の「正義」と「正義」の違いを考えますと、前者のXに優先されるような正義は、「殺人者は死刑にすべきだ」とか「私的所有を認めるべきだ」といった個々の善いとされているものを指します。おそらくkibaさんが正義に優先すると考えている諸般の事情も、「死刑は許されない」とか「最大多数最大幸福のために誰かが犠牲になっても良い」とかそうした別の善さを想定しているのだろうと思います。正義論ではこれらを「善」と名指し、「正義」とはみなしません。前者の「正義」も「X」も各人、各共同体の「善」に過ぎない。
正義というのは「正義よりもXを優勢させることが正義だ」の命題では後者の「正義」になります。これは各人、各共同体の時として対立し合う「善」を突き詰めた結果、見出される基準であり、この基準に従って各々の「善」も制限してもらうことになります。

kiba さんの「属人的・相対的な美意識」=「善」は人によって異なるので、結局、どの善が他の善よりどれだけ優先されるべきかを定める基準が必要であり、そのために正義が新たに要請されるという考えです。

ただ理念上の話なので、現実どこまでできるかはわかりません。

最後のご指摘はその通り矛盾しており、自覚しているのであえて書きました。人種差別を不正義というわりに以前述べてた部族社会でのそのような行為はなぜ認められるのかと

この問題を解決するために「敵」という概念を使えないかと試行錯誤しています。
今のところ考えついているのは、白人コミュニティは私たちグローバルな社会と密接な関係を持っている。グローバルな社会は各共同体から構成されており、各共同体はそれぞれ異なる「善」を持っている。各共同体はグローバルな社会を構成したいと考えており(具体的には交易したり、互いに行き来したり)、それらが円滑に行われるよう、それぞれの「善」を調停する一定のルール=「正義」を定めることに同意している。その中には人種差別の禁止も含まれている。グローバルな社会に関与したいのであれば、「正義」に従うことが条件である。
一方で、部族社会はそもそも彼らだけで世界を完結させており、グローバルな社会を構成せずともそれを維持している。そこで彼らについては「正義」の範囲外として、そこでの行為が正義に適っているかどうかは気にせず、無視することにする。ただし、私たちの側は「正義」に従う必要があるので、彼らに対し不正義があってはならない。また彼らがグローバルな社会に関わるつもりがあるなら、やはり「正義」に従ってもらう必要があり、赤子を燃やすような行為も不正義として取り締まらねばならない。

しかしこれはかなり魅力を感じない見解ですね。また当初に述べた「正義・敵・毒」の話とも整合性がつかなくなっていますね
そのあたりは次にしましょう。

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