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#1424
浦靖宜
ゲスト

なるほど

正義①の定義が正しいのだとしたら、中国が何しようが日本人のkibaさんが評価することはできないのではないですか?「自分(kibaさん)の存在する社会(日本)を維持する為の行動」とは関係ないように思います。それとも自分が中国人だとして考えた場合ということでしょうか?
またもし中国の対策でチベット社会が破壊されてしまった場合、チベット社会は「自分の存在する社会を維持する」ことができなかったため、チベット社会にとっては中国は極めて不正義ですが、いかがでしょう?社会は複数存在しますが、これらの間での正義はどうなるのでしょう?また国家の中にも小さな社会がありますし、宗教や民族、ビジネス関係などは国家の境界線を跨って存在する社会ですが、そうしたものとの正義はどうなるのでしょうか?また人類社会という今のところ最大規模の社会についてはどうなるのでしょう?

またもし「自分の存在する社会を維持する為の行為」に核の保有や奴隷制の復活が有効だと判明した場合、全ての国がそれを採用すべきでしょうか?

かつて第三帝国ではユダヤ人虐殺に関わりたくないなどの理由で脱走した兵が万単位で死刑になりました。虐殺したくないという思いは各兵士の善で、脱走兵は「自分の存在する社会を維持する為の行動」を取らなかった=不正義の為、死刑になったことになりますが、このような理解でよろしいでしょうか?この場合、善と正義が対立する場合ですが、善を為した脱走兵や正義を為した第三帝国はどうすべきだったのでしょう?(もちろん私はユダヤ人虐殺が正義だとは思いません。それが本当に第三帝国にとって「自分の存在する社会を維持する為の行動」だったとしても、そして実際に第三帝国の定義上、それが本当に「自分の存在する社会を維持する為の行動」だったとは思います(第三帝国は定義上、アーリア人至上主義国家であり、ユダヤ人の存在を認めることはアーリア人至上主義国家の否定であり、その国家という社会を認めないことです)が、正義ではないと私は思います。

kibaさんは「公正(fairness)」は「正義(justice)」とどのような関係があると思いますか?

⑤に関してはkibaさんはそれでよいという考えでしょうか?

ここまで相対的だと、私たちは、「結局生き残る=社会を存続させるのに最適な行動はどれか」という戦略を評価することしかできなくなりますが、それでいいという感じでしょうか?また「化学兵器の禁止」など社会の存続の為ではなく、人道上の理由で決められた条約などは正義とは全く関係ないといった感じでしょうか?

そして結局生き残ったのが正しいことになっていませんか?


法の不遡及について
どうして法に限定するのでしょうか?
私(未来)がチャーチル(過去)を人種差別主義者だと評価することは法的な営みなのでしょうか?

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