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#1429
浦靖宜
ゲスト

「現在、正義はまだ「属人的・相対的な美意識」の様な物で、「普遍的・絶対的な真理」には至ってないと思います。」
「正義は人類の英知と神の見えざる手により「普遍的・絶対的な真理」への道を歩みつつありますが、まだまだ道半ばであります。」

kibaさんとしては一応「普遍的・絶対的な真理」には至れる、あるいはその可能性はあると考えているということでしょうか?
kibaさんが挙げた「正義」の定義「自分の存在する社会を維持する為の行動」から普遍に至る道があるのだとしたら、「正義」の定義を「人類を維持するための行動」にするしかない気もしますが、なかなかぼやんとしてますね。

ちなみに私が先に挙げた正義の定義「各個人や各共同体の善を調停する為に作り出される一定のルール」もぼやんとしてます。
もしかしたらkibaさんはその辺にモヤモヤを感じているかもしれませんが、

ぼやんとするのは当然のことで

なぜなら普遍的な正義の定義ができるのなら、人類はとっくにその正義の定義に従って粛々と理想の人類社会を作っているはずだからです。そして現実はそうなっていない。とりあえず誰もが共有できそうな正義を定式化するなら、上記のようなぼやんとしたものにならざるを得ないでしょう。

それでも結構いい感じの定式の仕方だと思いますけどね。

あと正義がなぜ大事かを述べれば、散々生き残ったもの勝ちを批判しておいてなんですが、生き残るためだと思いますよ。
正義を捨てて人類が生き残るのは不可能だと思っています。少なくとも文明は正義なしに生き残ることはできないでしょう。
協力なしに文明は維持できず、多様性なしに環境の変化には耐えられません。
文明が滅んでも部族社会は継続できるかもしれない。だったら部族社会も多様性として残しておいた方が生き残る率が上がる。
こう書くと随分打算的に見えますし、実際大きな視点から見れば打算なのかもしれませんが、個々人のここの判断は必ずしも打算ではないということが重要です。
経済学などでは「どんな行動も結局、それが自分の為になるから、そうしているんだ」とまことしやかに語られますが、絶対そんなことないでしょう。
個々人はそこまで賢くないですよ。なんかかわいそうだから。なんか間違っていると思ったから。で行動しているはずです。
人はやはりそれぞれの場面で何が正しいだろうか考えて生きているのだろうと思います。
そして大事なのは自分もそうだということですね。

だから、「正義はそれぞれにある」とか「いや、正義は普遍的だ」と議論しても仕方ない気が今はしています。「目の前で差別されている人がいるけど、お前はどう思うの?」に答えることが大事なのじゃないかと。

正しさは普遍を志向するが、現実としては相対的である。
それを踏まえた上で、それぞれも問題について考えていけばいいと思います。

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