返信先: 改善か 信仰か

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#1453
浦靖宜
ゲスト

もちろん、その通りで、中国と日本や他の先進とでは信教の自由の実質は全く異なります

とはいえ「信教の自由」という建前は取っているという点が私が重視したい点です
あるいは一応、「憲法」を用意しているという点が。
中国共産党の当初の考えでは、憲法や信教の自由なんていらなかったはずです。
「党の指示に従え。宗教は阿片だ」以上終了。
でも、そうはなっていない。
「何人も宗教を利用して社会秩序の破壊、国民への健康被害、国家教育制度への妨害をしてはならない。宗教団体は外国の支配を受けない」という文言も、私たちのようにそれなりの教育を受けた人からしるとヤバイ臭いがプンプンしますが、多分その辺の日本人にこの文言どう思う?って(中国の憲法という点を伏せて)訊いたら、「そりゃそうじゃないの?オウム真理教とか嫌だし」と応えるくらいにマイルドにしていると思います。(もちろん何をもって「社会秩序の破壊」や「国家教育への妨害」になるのかは当局が恣意的に決められるのでとても恐ろしいのは重々承知していますが)

何が言いたいかというと、中国にとって憲法も信教の自由も、中国が近代国家として国際社会に認めてもらう為の妥協の産物であり、ならもっと妥協を引き出すことは可能だということです。妥協しないとまずいというくらいには、私たちと正義を共有していると判断します。(中国当局は打算で妥協しているのであって、必ずしも正義を共有しているわけではない可能性が高いですが、そんな相手の本当の気持ちとか考えても仕方ないので、彼らは私たちと正義を共有していると勝手に判断して行動するのが良いと思います)
大日本帝国においては信教の自由は不十分でしたが、それも改善されました。(戦争で負けたからですけど)

とりあえず建前は用意してくれている。その建前を少しずつでも広げ、また実質も確保していけるよう働きかけるのが重要だと思います。宗教については、バチカンとの関係も改善の方向に向かったり、儒教が見直されたりと、これも当局の都合によりですが、以前よえいだいぶ緩やかになっているのではないかと思います。
甘いかもしれないですけど、大きな犠牲を出さずに改善を促すにはゆっくりやるしかないかなと思います。

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