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#16185
直言居士
ゲスト

 重要なテーマを携えて、論客が再登場されたことを喜んでいます。韓国人留学生の方が、日本社会における「空気を読む」と「いじめ」との内的関連を論じられたとのこと。私にとっては、むしろそちらの内容に関心があります。しかし、ご質問は、「空気を読む」ことに関する二氏の見解に焦点化されていますので、その線で答えさせていただきます。とはいえ、ⓐ元のテクスト、ⓑオ氏による引用・解釈、ⓒ投稿者による要約、という三段階を経ていますので、ⓐに不案内の当方として、「山本・大石氏の意見」は、あくまでⓒから窺うかぎりで、とお断りしなくてはなりません。
 戦艦大和の出撃が、合理的理由からでなく、場を支配する「空気」によって決定されたという事情は、太平洋戦争遂行の無謀さを代表する例として、よく挙げられます。「空気」による決定――意思決定に至る理性的反省のプロセスが無効となる点で、「決定」と称するのが憚られる――が、日本社会では普遍的に通用しています。かつての教師時代、私はいつも「空気を読む」習性ほど忌まわしいものはない、という考えをつねに表明していました。最近、かつてほど強い否定的態度をとらなくなったのは、②の大石氏がたぶんそうであるように、「空気を読む」肯定論にも、それなりの理由があるように思えてきたからです。数年前、さる邦楽の奏者から、当方の否定論に対して、「空気を読む」ことが演奏の場面でいかに重要であるか、を説かれたことがあります。これは、日本人の同調志向が、アンサンブルの強みになって働く事例と考えられます。ひところ流行したKY(空気が読めない)という誹謗語は、こちらの立場から発言されたものです。「空気を読む」ことが問題になる局面について、ポジとネガの両方の場合を区別して検討する必要があると思われます。
 現在の私は、この問題に対して、一刀両断式の対応をしません。「空気」の支配する場に身を置いて、その流れに従うかそれとも逆らうかを、自分の意志で決めること。これ以外の対応は、ないと考えます。Kibaさんからの「特定質問」にお答えしましたが、これを機に、「いじめ問題」その他も含めて、みなさんからの声が広場にこだましてほしいと思います。

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