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#361
管理人
キーマスター

私の回答を受けての木場さんの再質問、それに関連する北詰先生のコメントをめぐって、私の考えを申し上げます。
 「うめきた2期」をテーマに、関大で行われた講演会の趣旨・内容などを、当方はまったく承知していません。講演された野村卓也氏のことも存じ上げず、木場さんが発された質問に対して、いかなるご返答があったかも知りません。ただ、木場さんがその返答に納得されなかったらしい事実を、「哲学者からの提言」を求められたことから、忖度するだけです。
 当方からの回答の最後に、「最初から哲学者不在の世界で、技術屋が引いた図面に注文など付ける余地はない」と書いたのは、たしかにホンネではあるものの、やや素っ気なさすぎる。そのあたりの説明を、少し補います。
 「都市計画」と「まちづくり」を混同されているのではないでしょうか。前者は、土地の有効活用を主眼とする都市の基盤整備、後者はハードウェアとしての都市構造の上に展開するコミュニティづくり。双方の目的は、大きく異なります。「徳」や「品格」にかかわる人づくりは、後者の目標であって、前者のインフラ整備が、それを直接の目標に掲げるということはありえません。もちろん、「緑とイノベーションの融合」というスローガンには、将来のコミュニティ形成が可能になるような条件整備、という狙いが含まれているだろう、という程度の推測は可能です(野村氏は、たぶんそういう答え方をされたのではないでしょうか)。とはいえ、現時点でのマスタープランに、人づくりのビジョンを織り込むということは、「木に縁りて魚を求む」類の現実離れした要求であると言わざるをえません。
 哲学者の出番が、もしあるとするなら、計画実施後、何年、何十年かして、「うめきた」に人々の住む街が形成されようとする時点で、コミュニティのあり方を話し合う場面、例えば各地で活動する「まちづくり協議会」のような集まり、になるでしょう。それまでは、北詰先生のように、「都市計画」と「まちづくり」の両方に見識を持つ方の、「監視」をお願いする以外にありません。
 そういう場面がやって来れば――私の存命中には、たぶんないでしょうが――、どこへでも出向くにやぶさかではありません。ただ、「関大を退職され、…」と誤解されているようなヒマは、まだ在職(~2020年3月)中の私にはない、という事実だけ申し添えます。

(木岡伸夫)

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