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#364
木場雅次
ゲスト

先日、吹田市立博物館で開催された「大塩平八郎展」に行きました。
「大塩平八郎」は大坂東町奉行所の元与力で陽明学者でもありました。
当時、日本は125万人の餓死者を出した「天保の大飢饉」の真っ最中でした。
大塩は奉行所に民衆の救援を提言しましたが拒否され、自らの蔵書5万冊を売却して救済に当たりました。
この状況下で東町奉行 跡部良弼は新将軍就任の儀式の為に大量の米を江戸に送り続けました。
一方、豪商達は利益を求めて米を買い占めたので、米価は著しく暴騰してしまいました。
憤慨し武装決起した大塩は豪商宅を焼き討ちし、大坂市中の1/5が焼失し7万人が焼け出されたとの事です。
同時に大塩は江戸の幕閣に建議書を送り、大阪における役人の不法行為を告発しています。
この建議書が無視されない様に大火を引き起こしたとの説もあります。
しかし、大塩の掲げた「救民」のスローガンに共感した庶民は大塩を恨まず、事件後も「大塩様」と尊称したそうです。
香港の民主化運動と一脈通じる処がある様です。
「大塩の乱」は半日で鎮圧されましたが、大坂からの廻米は中止され豪商達は復興の為に大規模な「御救い米」を実施しました。
その後、「生田万の乱」を筆頭に全国各地で百姓一揆が頻発し、水野忠邦の「天保の改革」を経て時代は幕末へと急展開します。
「大塩の乱」は結果としてその後の歴史を大きく動かしました。
首謀者の志が「利他」で、目的が「救民」で、民衆の「支持」があり、「成果」が挙がれば、「手続き」の不備や多少の「犠牲」は容認すべきでしょうか?

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