返信先: 縁の論理・倫理と凶悪犯罪者

トップページ フォーラム 出会いの広場 縁の論理・倫理と凶悪犯罪者 返信先: 縁の論理・倫理と凶悪犯罪者

#380
木岡伸夫
ゲスト

 貴重なメッセージをありがとうございます。
 「縁の論理(→倫理)に、麻原彰晃のような凶悪犯罪者の居場所はあるのか」というご質問に対して、ひとまず「無い」とお答えします。理由は、私の考える「縁結び」の範囲に、麻原のような人間が入らない、ということにあります。以下、既存の倫理学が扱ったことのない〈縁の倫理〉を、私が提起した事情をご説明します。
 「縁」は、倫理学が想定する一対一の対面的状況に生じる「責任」(レスポンシビリティ=応答能力)とは異なり、目の前にいない人々との精神的なつながりを意識することによって、その人びとに対する責任を負う、という仕方で成立するものです。その意味において、「縁結び」の相手とは、私がその人に対して応答しなければ、という倫理的な責任を感じる人間です。私は過去、麻原という人物から、何らかの呼びかけを受け取ったという記憶がなく、むろん応答の必要を感じたこともありません。つまり、この人は私にとって「無縁」の存在なのです。
 ですが、過去に無縁であったとしても、今後もそのままであり続けるかどうかはわかりません。いつか、何らかの仕方で、この世から消えたこの人物との縁が生まれる可能性が、ないとは言えません――いまも麻原を「尊師」と仰ぐ人々が、多数いるように。「縁」は、その拡がりが一定範囲に限られることなく、広くも狭くも設定できるところに、その特徴があります。潜在的には、縁は無数の他者を含むとも言える。現に数年前まで、私は縁を「無限責任」として捉えていました。しかし、最近になって考えが少し変わり、「縁結び」「縁切り」は個人の自由である、という立場になりました(最近著では、そちらの考えを主張しています)。
 〈縁の倫理〉は、有縁と無縁を差別します。しかし、その境界線をどこに引くかは、その都度の状況において、主体に課せられる重い問いかけです。この問題に気づかせてくださったご質問に、心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

PAGE TOP