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#470
浦靖宜
ゲスト

2020年4月からの哲学塾に参加させていただいているものです。
このサイトも面白く読ませてもらっています。

木場さんの問い掛けに応じますと
まずつまらない答えをすると
②現代人の心情としては、正直、大塩平八郎は受け入れられないだろうと思います。
つまり彼が現代に生きて、現代の問題に関して、同様の「テロ的行為」をすれば、たとえそれが本当は「義挙」であり、その後の国の進展に貢献したとしても、今の日本の人の多くは「義挙」とみなさないと思います。後世の日本人は、今の日本人が、江戸時代の大塩平八郎を称えるように称えるのかもしれませんが。
現代の日本はデモすら終電で帰らないと怒られる時代です。違法行為を木岡先生のように「違法行為ではあるが、義挙でもある」と考えられる人はそんなに多くないのではないかと思います。そのあまりの遵法意識の強さに辟易しなくもありません。

木岡先生の応答について質問です。
「もしその言い方が通るのであれば、国家に対する反逆、法の侵犯が、場合によって許される、という原則を認めることになる。それは通らない話だと思います。」の「原則を認める」の主語は「国家」でしょうか?「国家が国家に対する反逆や法の侵犯を場合によっては認める」なんて事はないという意味なら、よくわかります。基本的にはその通りでしょう(ナチス政権当時のナチスへのレジスタンスを、敗戦後のドイツが正義と認めるみたいな例外事例は考えられそうですが)。
ただ、「人類」とか「人民」を主語に、あるいは主語なしに「(一般的に)国家に対する反逆、法の侵犯が、場合によって許される、という原則を認めることになる。それは通らない話だ」という風にも読めてしまったので。そうだとしたら、上記のレジスタンスも、兵役拒否の市民的不服従も通らなくなってしまうのではないかと思いましたので、確認のため。

最後に私個人の心情を述べます
大塩平八郎の行動を義挙だと思わないではないですが、流石に七万人焼け出したのはやりすぎでは?と思います。(木場さんの質問を読むまでそんな事実を知りませんでした)
マックス・ヴェーバーは政治家は法を守ることに意味がある社会を存続させるためには、時として法を破らなければならないことがある(違法行為や超法規的措置)。そしてその結果に責任を負わねばならないと言いました。成功したら英雄ですが、失敗したら法を破っている以上血祭りだというわけです。大塩は政治家ではなく官僚ですが、これに当てはめたとして、どうでしょうか。7万人焼け出させた責任は結構重いのではないのかなと思います。ただその罪すらも引き受けてやったのだとしたら、善悪はともかく豪傑だなぁと思います。

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