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#471
浦靖宜
ゲスト

こすぎまりあさんの研究面白そうですね。昔、宗教社会学者の稲場圭信氏の講義を受けたことを思い出しました。宗教といえば、どうしてもオウム真理教などのカルトを想起してしまう現代の日本においては、宗教の社会にとってプラスになる面を調査する、こすぎさんの研究は貴重だと思います。

木岡先生に質問です。よかったら、こすぎさんも。
一つは仏教の、我々の普通の倫理観では相容れない部分をどう考えるかに関わることです。
例えば、大乗仏教の基本である唯識思想を大成した世親は『大乗五蘊論』の中で、「地獄に落ちるような大罪を犯そうとしている者を止める手段が殺人しかない場合、その人を殺しても菩薩戒には反せず、むしろ功徳となる」といった論理を展開している場面があります。
あるいは、浄土教では、悪人正機として、悪人の方が善人よりも救われるという論を展開しています。昔、ユダヤ人の浄土教の僧侶が講演した時に、「阿弥陀仏はヒトラーを救いますか?」といった質問をした人がいて、僧侶は「そんなわけない!」とめちゃくちゃ怒ったそうです。
私も僧侶の気持ちがよくわかりますが、とはいえ原理的には「救うのでは?むしろブッダはヒトラーのような奴こそ、救わねばと思うのでは?」と考えてしまいます。法然は「聖意測りがたし」と言っています。全ての宗教がそうでしょうが、阿弥陀仏のような超越的存在が誰を救うのかなど、そもそも凡夫の我々にわかるはずがないということです。その通りでしょう。とはいえ、凡夫に受け入れがたい倫理観ではあります。
木岡先生は、仏教思想を援用して〈縁の論理〉を展開されていますが、とはいえ、風土学は仏教ではないわけです。しかし援用している以上、恣意的に仏教の使いにくい部分を無視するわけにはいかないような気がします。木岡先生なりの仏教との距離の取り方があると思うのですが、そのことについて教えていただけたらと思います。
こすぎさんは、そのような側面のある宗教を社会はどのように受け止めるべきだと思いますか?

他いくつかありましたが、質問が長くなったので、とりあえず以上とします。

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