返信先: 〈あいだ〉を考える(1)についての質問

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#491
木岡伸夫
ゲスト

 本質的な問題に、コメントくださったことにお礼申し上げます。質問内容のニュアンスを省略して、4点に要約させていただきます。
① 「あいだ」は二元論を前提するのではないか。
② 「あいだ」の非二元論的思考は、二元論を包含しているか。
③ 色の比喩に用いた「白」に対する「黒」は、不適切。「非白」とすべきではないか。
④ 脳死問題において、二元論に立つ自己決定論とコミュニタリアニズム以外の現実的選択があるのか。「容中律」を活かすことができるのか。
 以上、勝手な単純化をご容赦ください。
1――「あいだ」(between;zwischen)は「二つのもの」を意味する言葉。二元論を前提することは、おっしゃるとおりです。
 2――「非二元論」=「レンマ的論理」は、そのうちに「二元論」(ロゴス的論理)を包含するというのが、山内得立『ロゴスとレンマ』の主張。しかし、それではレンマがロゴスの上位に立つ構図となるので、東西の〈邂逅〉は不首尾となる。どうすればよいのか、という問題に『邂逅の論理』(春秋社、2017年)で答えました。
 3――これも仰せのとおり。「非白」ではなく、「黒」を用いたのは、例をわかりやすくするためです。とはいえ、「黒」を挙げることで、「白でも黒でもなく、白でも黒でもある」中間の色に存在が与えられるのです。最初から何百もの色彩が存在するのではなく、二元論では許されない〈中間〉を密輸することで、色の世界が成立したとお考えください。グラデーションやポストモダン的「差異」の根柢は、二元論です。このことを、本エッセイ最後の「二元論の「論理」」で書いています。もう一度読んでください。
 4――非二元論的な〈あいだ〉を具体化する倫理的選択はありません。「脳死は生か死か」どちらとも決まられない日本人ならではの現実がある。それを認めることから始めよ、と言うだけのこと。許しがたいのは、「日本人には二元論は身につかない」といった言い方で、西洋人の論理とは異なる日本人の論理を侮蔑する学者連中――生命倫理学の代表面をした加藤尚武のような手合い。「容中律」を提唱したルーマニア人リュパスコは、二元論の牙城パリの学界から黙殺されました。現在、一部にその思想を活かそうとする動きも見られますが…
 「哲学塾」が再開され、以上の点はもちろん、あらゆる問題について議論できるのが楽しみです。

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