返信先: 縁の論理・倫理と凶悪犯罪者

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#498
浦靖宜
ゲスト

お答えいただきありがとうございます。
仏教に限らず、様々な宗教が抱える問題ですね。キリスト教の弁神論なども同様の問題でしょう。
「麻原もヒトラーも救われる」なんて言えば、信者さんの信心も離れそうなので、人を見て法を説けば良いのかな(=嘘も方便)とは思いますが、原理的には被害者にとっては厳しい答えになるでしょう。

風土学的倫理学は世俗的倫理ではあるわけですね。
哲学は宗教ではないので、世俗的倫理を考えることになる一方で、完全に世俗だけの観点だけで考えると袋小路に陥ってしまうように思います。(ダニエル・デネットやスティーヴン・ピンカーのように「世俗主義でバリバリいくぜ。実際世界はなんだかんだで良くなってんじゃん。暴力は減ったし、個々人の自由や豊さも増えている」という哲学が完全にメインストリームになってますが。しかもかなり反論が難しい。)
風土学が、仏教の知見を取り入れようとしているように、超越について考えてきた宗教の知恵を今後もうまく取り込んでいく必要はあるのかなと思います。

既存の「倫理学」の狭さについて
私は実践的には孟子のいう惻隠の情みたいなものからスタートするしかないのかなと思っています。まずは目の前の困っている人に遭遇した時の感情を大事にしろと。ルソーだったらピティエ(憐み)と呼ぶでしょう。目の前の人に対する応答する。まずはそこから始めるしかないという観点では、私も応答責任みたいな考えに近いタイプです。
孟子は王に、その思いやりの心(仁)をできるだけ大きい範囲に広げることが君主として重要だと進言していましたが、仁を地球規模にまで広げることができるのか。そこに〈縁の倫理〉の考えを適応すべきなのかもしれません。

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