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#542
浦靖宜
ゲスト

ちなみに私が提起したのは、「例え倫理的に問題のある技術(遺伝子操作など)で生まれた命であっても、それが生まれてしまった以上は命を肯定せざるを得ず、その技術もまた事後的に肯定せざるを得ない」みたいな議論です。そして、もしそうした技術が盛んとなった未来人から僕らの生命倫理の議論を聞いたら、なんて反倫理的に聞こえるだろうかという想定をしてみました。

最近はこういう投稿ばかりなので、一応バランスをとるために、私なりにそうした技術の倫理的な問題点を述べると、私がそうした技術に最も問題を感じるのは、それが偶然性を排除する方向に親和性が高い点です。技術なので偶然性を排除するのは当然なのですが。

我々が一応、男女平等だと思えるのは男とか女とかがランダムに生まれるからです。
もし技術的に男ばかりを増やすことが可能なら、男性優位な社会では、男性を作る方が優位なので、みんな男性ばかりを作り、女性が少なくなり、ますます男性優位が強まります。最終的には女性は、次の世代を生み出すための道具に堕ちるでしょう。優生思想って感じですね。

ロールズの無知のヴェールに近い発想ですが、とにかく物理的に誰に生まれるかわからないから、みんな平等に扱おうということに意味が出てくる。
生命を操作する技術はそれを毀損する可能性があるので、危険なのです。その危険性はちゃんと認識しておかないとまずいです。私も結構、常識人なんですよ(笑)

では、私は明確に生命操作に反対なのかといえば、曖昧な立場です。
やっぱりそれで生まれた存在について考えざるを得ない。それを無視できるのは無神経だと思います。人の気も知らないで・・・って感じです。

違うケースを考えれば
例えばハンチントン舞踏病という遺伝性の病気があります。優生遺伝子によるこの病気は、その遺伝子を持つ人間は40代ごろに確実に発症に、確実に死ぬ病です。優生遺伝なので、子供がその遺伝子を受け継ぐ確率は50:50です。親が発症した時に、子供は遺伝子検査すべきかどうかとか、その検査結果を保険会社に伝えるかどうかとかという話がもう倫理的に難しい話ですが、例えば親がその病気を発症して、自分も調べたら、将来発症するとわかったとする。でもどうしても自分の子供が欲しい。今の技術であれば、病気を発症させる遺伝子を持たない受精卵を選別することが可能である。という時に、彼らがその技術を用いるのを責めるのは非常に難しいと感じる。
なので、肯定せざるを得ない局面は出てくるんですよね。

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