浦さんが色々と書かれましたので先ずは簡単な感想を。
現にそれが起こってしまったら、「お前の存在は倫理に反してる」なんて言えないので、そうなった時の倫理を考えざるを得ない
①倫理自体が時代の流行の反映だと思いますので、古今東西・状況の如何を問わない倫理はとても少ない様に思います。
②以前の雪山登山と同様に「怪しからん想定外」が実現してしまった時の対応を問われており、平時に考えておくべき事かと思います。
今の黒人とか先住民の人達が、大航海時代の宣教師達の「アボリジニーは人間か?猿か?」みたいな議論を見ると怒ると思うんですよね。
①ローマ教皇ニコラス5世は人間と認めた上で、奴隷として良いと言ってるようです。
教皇ニコラス5世がポルトガル王アフォンソ5世に出した勅書には「サラセン人と異教徒、並びに、キリストに敵対するいかなる者をも、襲い、攻撃し、敗北させ、屈服させた上で、
彼等の王国、公領、公国、主権、支配、動産、不動産を問わず凡ゆる所有物を奪取し、その住民を ① 終身奴隷に貶めるための、完全かつ制約なき権利を授与する」とあります。
②大航海時代の宣教師達は人間と認めず、人型動物としている様です。
完成した暁にどんな利用価値が生まれるか、何の役に立つのか、というヴィジョンをもって取りかかる。これが〈かた〉に相当する。その理念・方針に沿って、試行錯誤する(つまり、〈かたち〉をつくっていく」
白状しますと木岡先生の仰る<かた>と<かたち>の主張自体が私には今一つ良く理解できません。
人民が自由に声を上げる事ができる事は大事だけど、政治が人民の声を常に聴く必要はないと思っています。それではただの衆愚制です。
①しかし、不思議な事に選挙で選ばれた大統領はその時代が求める人物である様に思えます。トランプ・レーガン両大統領
②個人は愚でも国民全体の智の合力は賢となるのでしょうか?
インターネットやらスマホやらドローンやらロボットやらは目的と手段がちゃんと結びついた形で開発され、ちゃんと目的どおり人を殺してきた
①仰る通りです。
②「過去を分析して理論付けできても、将来の事など判るか」従って「希望と勇気を持って暗闇を進め」なのでしょうか?
ロボット・人工生命の類が、将来的に意識をもって人間批判をする事は原理上、絶対にありえない。
石黒氏や池上氏に軍配が上がる可能性が高いのではないかと考えています。
①「世の中に絶対などという事は絶対ない」が私の信条です。
②同感です。
ハンチントン舞踏病
①「孟子は、王は牛を直接見ることで憐憫の情が生じた。一方、王は羊を直接見なかった。だから犠牲にできた。」との記述を思い出しました。
②患者の苦悩を目の当たりにする医師と、優生学による民族の向上を図ろうとしたヒトラーの立場の違いでしょうか?