返信先: 慈悲は論理であり得るか

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#589
河村晃太郎
ゲスト

kiba1051様 コメントいただきありがとうございます。おっしゃる通り、社会通念上排除の論理が適用されるのは仕方がないことかと存じます。私だって、ゴキブリや蚊などと一緒に生活したくありませんから、それらを見かけると外へ出そうとするか、殺すと思います。しかし、「慈悲」ということにおいて、現時点で私が言いたかったのは、それを社会に適用させる方法ではなく、慈悲の心というものが「有る」のだということを言いたかった次第です。つまり、ゴキブリを殺すときに、「こいつは有害だから殺して当然」と思って殺すのではなく、生きているものの命への敬意を忘れることなく、にも拘らず殺そうとする自分を許してほしいという祈りの中で、「ごめんなさい」と言いながらゴキブリを殺すという行為をする。殺されるゴキブリは気の毒ですが、意に反してゴキブリを殺さなくてはならない私だって、気の毒ではありませんか。まずはそこを一つのきっかけにして、慈悲というものを考えたいと思ったようなわけです。

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