返信先: 慈悲は論理であり得るか

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#616
浦靖宜
ゲスト

たしかに、西洋の科学が外界に働きかける傾向があるのに対して、仏教は内観を観察する傾向はありますね。仏教における心の構造とかめっちゃ複雑ですし、それがのちに西洋人を魅了している面はあると思います。「阿頼耶識は集合的無意識だ」とか(違うと思いますけど)

ただまず、近代科学に先に到達したのがえらいわけではないので、私は罪とか悪とか関係ないとは思います。

あと文明がどう発展するかは思考法だけで決まるわけではないでしょう。
中世までは、中国やイスラームが圧倒的に先進国でした。
教育システムも早いうちに整えられてましたし、技術も開発されていきます。
一方、それに比べると西洋は圧倒的に田舎です。もともと西洋の中心はギリシア、ローマでしたが、そこが滅ぶと残りは田舎で、教育システムも盤石じゃなかったので、知の散逸も起こります。
ただ教会という組織がヨーロッパ各地に広がり、神学を学ぶために大学ができると、ようやく知を再生産するシステムが機能するようになります。

また歴史を通して、交易や戦争で中国やイスラームからいろいろ学んでいます。製紙法、火薬、羅針盤は中国発祥ですし、数学やアリストテレス哲学はイスラームから学んでいます。製紙法は唐との戦争で西に伝わり、アリストテレスの逆輸入は十字軍がきっかけでしたね。火薬と羅針盤がなければ銃も航海もないですし、アリストテレスがなければ、普遍論争もなく、近代哲学もないでしょう。

ただ近代への圧倒的なブレイクスルーは西洋で生じたので、それによる技術の獲得後は西洋優位になりました。

どの文明も人間技なので、どの文明も近代と同等のレベルに達する可能性はあります。今は部族社会で生きている人たちも、5000年後くらいには我々と同等の文明に達している可能性があります。

ただ、進歩(という言い方がまずければ、変化)しやすい条件はあって、例えば文字を発明すること、ユーラシア大陸のように横に長く、異なる文明との接触がそれなりにあり、知の交換が可能なこと、だいたいは宗教がその機能を果たすのですが、なんらかの教育システムを作り出すことといった条件がタイミングよくうまく絡み合う必要があるんじゃないかと思います。

今回の歴史のブレイクスルーは西洋でしたが、もう一回歴史を繰り返したら、次はどこがブレイクスルーを起こすのか。こればっかり歴史をやり直せないので、わかりません。
ただ今回西洋でそれが起こったことは事実ですので、なぜそうだったのかを検討することは重要ですし、その一端をキリスト教や西洋で発達した哲学が担っているのは間違いないでしょう。

あと仏教は基本的に弱い宗教で文明の中心地インドや中国では衰退しました。
日本や東南アジア、チベットでは定着しましたけど。
なので仏教だったからダメだったとも言えませんね。

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