返信先: 慈悲は論理であり得るか

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#618
浦靖宜
ゲスト

そう言われると、そんな気もしますねぇ
私もイスラーム世界がその後どういう展開を遂げたのか不勉強なので、詳しくはわかりません。特に思想や科学がどう展開したかは。
一応、つい100年ほど前まではオスマントルコ帝国が存在し、列強と肩を並べていましたが、第一次大戦で衰退し滅びました。

歴史学的には西洋の優位は科学技術よりも近代的な諸制度でもたらされたものと考えることが多いと思います。(例えば中国はアヘン戦争でイギリスに負けましたけど、もしあの時点で中国が国民国家化してたら、多少技術で劣っていようが人口が圧倒的に違うので勝てたと思うんですよね)
つまり、さまざまな自由化とそれによる資本主義社会、国民国家というあり方などが他を圧倒する勢力になった。単に他をぶっ潰すというより、他の存在もまた資本主義化、国民国家化させる感染力を持っていたからと考えられます。

こうした諸制度は必ずしも科学と関係があるわけではない。同時並行的に誕生したのであって、科学技術=近代とは必ずしも言えない。近代化すると教育システムも人海戦術化するので、技術の伝達力は飛躍的に高まりますがね。
科学が誕生した背景と、資本主義社会や国民国家が誕生した背景にもキリスト教や哲学が関係しているとは言えますね。

私は列強が列強だったのは、国民国家を早い段階で作れたことと、資本主義社会に早い段階で到達したことが大きく、科学技術だけでは列強になれないだろうと考えているのですが、そうした近代化は状況がそうさせたところがあるので(例えば一部の地主が儲けたいからエンクロージャー法を制定するとか30年戦争とか)、どこまで「論証法の有無」で説明できるかはわかりません。
そうした有無がエンクロージャーや宗教戦争の発生、ウェストファリア条約や人権宣言に関与したと言えなくもないのかもしれません。

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