倫理的問題

  • このトピックには1件の返信、1人の参加者があり、最後に木岡伸夫により4年、 9ヶ月前に更新されました。
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    • #394 返信
      河村晃太郎
      ゲスト

      私の知人が、かつてある学会誌に論文を寄稿しようとして、リジェクトされたことがあります。その論文は、ある特殊な身体運動について、ヴァイツゼッカーのゲシュタルトクライスを用いて論証しようとしたものでした。
      リジェクトの理由は、「ゲシュタルトクライスはアフォーダンス理論に吸収され乗り越えられているので、そちらを用いるべきである」とのことでした。
      先日、木岡先生にお借りしたギブソン他の著書を見ても、ゲシュタルトクライスとアフォーダンスの関連を見出すことができませんでした。しかし、「ゲシュタルト心理学」は、確かにアフォーダンス理論に影響を与え、アフォーダンスによって一部乗り越えられていると言って良いかと思われます。
      件のリジェクトした査読者は「ゲシュタルトクライス」と「ゲシュタルト心理学」を取り違えたようでした。
      よく読めばそのような取り違えは起らないはずで、査読者は殆ど読まずにリジェクトありきの返事をしたことになります。
      そのようなことは、倫理的に許されないと感じますが、学界的にはあってもいいことなのでしょうか?

    • #408 返信
      木岡伸夫
      ゲスト

       ご指摘の事実のうち、「ゲシュタルトクライスとアフォーダンス理論」また「ゲシュタルト心理学とアフォーダンス理論」の関係(無関係)如何について、私がどうこう申し上げることはできません。よく調べてからでなければ、答えることができない学問的問題です。ですが、後段の「ゲシュタルトクライス」と「ゲシュタルト心理学」の取り違え云々に関する限り、日本の学界では十分に起こりうる出来事であるということは、申し上げられます。その資格もない無能な査読者が、自分よりも有能な投稿者に嫉妬して、再提出を命じたり、ボツにしたりするということは、日常よくある類の事柄です。そういう理不尽なことが起こる背景には、学会という組織が、レフェリー制を導入するのはよいとしても、レフェリーの能力を審査する機関や、審査結果を評価する機関が存在しないことにあります。私は、「レフェリーのレフェリー」が不可欠だと考えますが、それの実現する見込みは薄いように感じられます。「学会」という牙城を開く仕掛けが必要ですが、所属するほとんどの学会から引退した私には、それを試みる機会も力もありません。

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