私の知人が、かつてある学会誌に論文を寄稿しようとして、リジェクトされたことがあります。その論文は、ある特殊な身体運動について、ヴァイツゼッカーのゲシュタルトクライスを用いて論証しようとしたものでした。
リジェクトの理由は、「ゲシュタルトクライスはアフォーダンス理論に吸収され乗り越えられているので、そちらを用いるべきである」とのことでした。
先日、木岡先生にお借りしたギブソン他の著書を見ても、ゲシュタルトクライスとアフォーダンスの関連を見出すことができませんでした。しかし、「ゲシュタルト心理学」は、確かにアフォーダンス理論に影響を与え、アフォーダンスによって一部乗り越えられていると言って良いかと思われます。
件のリジェクトした査読者は「ゲシュタルトクライス」と「ゲシュタルト心理学」を取り違えたようでした。
よく読めばそのような取り違えは起らないはずで、査読者は殆ど読まずにリジェクトありきの返事をしたことになります。
そのようなことは、倫理的に許されないと感じますが、学界的にはあってもいいことなのでしょうか?