大塩平八郎

  • このトピックには7件の返信、1人の参加者があり、最後ににより8ヶ月、 3週前に更新されました。
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    • #365 返信
      木場雅次
      ゲスト

      先日、吹田市立博物館で開催された「大塩平八郎展」に行きました。
      「大塩平八郎」は大坂東町奉行所の元与力で陽明学者でもありました。
      当時、日本は125万人の餓死者を出した「天保の大飢饉」の真っ最中でした。
      大塩は奉行所に民衆の救援を提言しましたが拒否され、自らの蔵書5万冊を売却して救済に当たりました。
      この状況下で東町奉行 跡部良弼は新将軍就任の儀式の為に大量の米を江戸に送り続けました。
      一方、豪商達は利益を求めて米を買い占めたので、米価は著しく暴騰してしまいました。
      憤慨し武装決起した大塩は豪商宅を焼き討ちし、大坂市中の1/5が焼失し7万人が焼け出されたとの事です。
      同時に大塩は江戸の幕閣に建議書を送り、大阪における役人の不法行為を告発しています。
      この建議書が無視されない様に大火を引き起こしたとの説もあります。
      しかし、大塩の掲げた「救民」のスローガンに共感した庶民は大塩を恨まず、事件後も「大塩様」と尊称したそうです。
      香港の民主化運動と一脈通じる処がある様です。
      「大塩の乱」は半日で鎮圧されましたが、大坂からの廻米は中止され豪商達は復興の為に大規模な「御救い米」を実施しました。
      その後、「生田万の乱」を筆頭に全国各地で百姓一揆が頻発し、水野忠邦の「天保の改革」を経て時代は幕末へと急展開します。
      「大塩の乱」は結果としてその後の歴史を大きく動かしました。
      首謀者の志が「利他」で、目的が「救民」で、民衆の「支持」があり、「成果」が挙がれば、「手続き」の不備や多少の「犠牲」は容認すべきでしょうか?

    • #376 返信
      木岡伸夫
      ゲスト

       大塩平八郎の反乱に「利他」の志、「救民」の目的、民衆の「支持」があったとのご指摘、そのとおりと思います。捨身の行動が、結果的に人々の窮境を救う「成果」をもたらした、という認識も正しいと考えます。ただし、最後に、「「手続き」の不備や多少の「犠牲」は容認すべきでしょうか」と書かれている点に、いくらか違和感があります。もしその言い方が通るのであれば、国家に対する反逆、法の侵犯が、場合によって許される、という原則を認めることになる。それは通らない話だと思います。
       大塩は自身の行為が違法であり、反逆罪に当たることを知りながら、乱を起した。法の上で許されないことを知り、その罪科を一身に負う覚悟で事に及んだ。それを「容認する」とされたのでは、その行為の重みが消えてしまうのではないでしょうか。誤解されないよう申しますが、大塩の乱は「義挙」と呼ぶべきです。それが義挙であることと、違法行為であることとが、二者択一ではなく両立するというふうに考えるところが、木場さんと私の微妙な違いであると申し上げます。お判りいただけるでしょうか。
       ちなみに数週間前、NHK・BSプレミアムの『英雄たちの選択』(水・夜8-9時)で、「大塩平八郎」を取り上げていました。画面からおなじみの声が響いてきたと思ったら、薮田貫先生(日本近世史)が出演されていました。先生は、私の主宰する「人間環境学研究」(都市の風土学)の講義に、数年間続けて登場され、「武士の町大坂」というテーマでも講義されたことがあります。TVでは、近世大坂の都市構造と大塩の乱のつながりを、丁寧に解き明かすといった内容のお話をされたように記憶します。あれが再放送されないかな?

    • #381 返信
      .
      ゲスト

      『首謀者の志が「利他」で、目的が「救民」で、民衆の「支持」があり、「成果」が挙がれば、「手続き」の不備や多少の「犠牲」は容認すべきでしょうか?』 実はこの文章には主語がありません。

      『・・・・容認すべきでしょうか?』 を書いた時点では自分自身もその辺が良く分からず、曖昧に書いてしまいました。

      今考えると、主語となりうるのは ①私 ②現代人の心情 ③現在の法体系 ④大塩平八郎 ⑤当時の庶民の心情 ⑥当時の法体系 があると思われます。

      木岡先生はあの文の主語は「①の私」であろうと思われ、「④の大塩平八郎」の心情を推測されて述べられたと思います。

      私も大塩は自分の行為が主観的には義挙であるが、客観的には「⑥の当時の法体系」の「国家に対する反逆、法の侵犯」に該当すると認識していたと思います。

      「⑤の当時の庶民の心情」も客観的には「⑥の当時の法体系」に於いて違法行為と認識しながらも、心情的に共感していたのではないでしょうか?

      因みに「③現在の法体系」では「騒乱罪で禁固5年の実刑」が相応との事です。

      このブログをお読みの皆様方は「②現代人の心情」として、如何思われますか?

    • #470 返信
      浦靖宜
      ゲスト

      2020年4月からの哲学塾に参加させていただいているものです。
      このサイトも面白く読ませてもらっています。

      木場さんの問い掛けに応じますと
      まずつまらない答えをすると
      ②現代人の心情としては、正直、大塩平八郎は受け入れられないだろうと思います。
      つまり彼が現代に生きて、現代の問題に関して、同様の「テロ的行為」をすれば、たとえそれが本当は「義挙」であり、その後の国の進展に貢献したとしても、今の日本の人の多くは「義挙」とみなさないと思います。後世の日本人は、今の日本人が、江戸時代の大塩平八郎を称えるように称えるのかもしれませんが。
      現代の日本はデモすら終電で帰らないと怒られる時代です。違法行為を木岡先生のように「違法行為ではあるが、義挙でもある」と考えられる人はそんなに多くないのではないかと思います。そのあまりの遵法意識の強さに辟易しなくもありません。

      木岡先生の応答について質問です。
      「もしその言い方が通るのであれば、国家に対する反逆、法の侵犯が、場合によって許される、という原則を認めることになる。それは通らない話だと思います。」の「原則を認める」の主語は「国家」でしょうか?「国家が国家に対する反逆や法の侵犯を場合によっては認める」なんて事はないという意味なら、よくわかります。基本的にはその通りでしょう(ナチス政権当時のナチスへのレジスタンスを、敗戦後のドイツが正義と認めるみたいな例外事例は考えられそうですが)。
      ただ、「人類」とか「人民」を主語に、あるいは主語なしに「(一般的に)国家に対する反逆、法の侵犯が、場合によって許される、という原則を認めることになる。それは通らない話だ」という風にも読めてしまったので。そうだとしたら、上記のレジスタンスも、兵役拒否の市民的不服従も通らなくなってしまうのではないかと思いましたので、確認のため。

      最後に私個人の心情を述べます
      大塩平八郎の行動を義挙だと思わないではないですが、流石に七万人焼け出したのはやりすぎでは?と思います。(木場さんの質問を読むまでそんな事実を知りませんでした)
      マックス・ヴェーバーは政治家は法を守ることに意味がある社会を存続させるためには、時として法を破らなければならないことがある(違法行為や超法規的措置)。そしてその結果に責任を負わねばならないと言いました。成功したら英雄ですが、失敗したら法を破っている以上血祭りだというわけです。大塩は政治家ではなく官僚ですが、これに当てはめたとして、どうでしょうか。7万人焼け出させた責任は結構重いのではないのかなと思います。ただその罪すらも引き受けてやったのだとしたら、善悪はともかく豪傑だなぁと思います。

    • #481 返信
      kiba1951
      ゲスト

      7万人焼け出させた責任は結構重いのではないのかなと思います。ただその罪すらも引き受けてやったのだとしたら、善悪はともかく豪傑だなぁと思います。
      論理的に違法であり職業上の倫理にも背いているが、人間としての美醜を見るならば一本筋が通っているとの感じでしょうか。

    • #484 返信
      浦靖宜
      ゲスト

      「論理的に」というよりは「⑥当時の法体系」的に違法でしょうね。大塩をヴェーバーのいう意味での政治家と捉えるとしたら、彼の乱は失敗しているし、7万人焼け出させているし、血祭りにあげられてもおかしくないかなとは思いますね。とはいえ、この乱をきっかけとして歴史が進展した(歴史が進展するものだとしたらですが)のなら、歴史的には高い評価を与えられるかもしれません。歴史研究者がどう見てるのかはわかりませんが、彼を偉人だと思う人は多いでしょう。kiba1951さんが仰るように彼は陽明学者でもあるので、正しいと思ったことを行動に移さなければいけないという思いが強かったのでしょう。

    • #501 返信
      木岡伸夫
      ゲスト

       お二人に――他のトピックもそうですが、ここでも丁々発止のやりとりが行われていて、一観客としては興味が尽きません。とはいえ、私の書いたことに対するご批判が、議論の中心にあるようなので、傍から「やれやれ」とけしかけて済ますわけにもいきません。問題提起として、少し前の「二元論に対する疑問」の方が、より哲学的であるうえ、お二人以外の投稿者の関心とも重なる、という点で重要です。しかし、それを後回しにして、「大塩の乱」についてのコメントを先に返します。
       大塩の武装蜂起が「義挙」であるのかないのか、がお二人(私も含めると、三人)共通のテーマです。それに絡んで、レジスタンスや市民的不服従をお前は認めないのか、というのが浦さんから私へのクレームです。お二人とも看過されている単純な事実を指摘します。それは、大塩平八郎が大坂町奉行所の与力であり、体制内に属する役人であった、という事実です。その役職は、今日で言うなら、警察幹部。犯罪を取り締まるべき公職にある者が、その地位を利用して、お上に反逆する側に立った。このことの意味は、奴隷が主人に反乱するような場合とは、まったく違います。役職を辞し、浪人の身で一陽明学者として知行合一を実践したら、どうだったか。結果としては、屁のツッパリにもならなかったはず。大塩は、実効性を求めて、体制内でのクーデターを挙行した――類似の行為は、現代でもよくありますが――、そうせざるをえないギリギリの選択として、それをやった。そこに、「義挙」と「違法行為」の両立に、私がこだわる理由があるのです。

    • #502 返信
      浦靖宜
      ゲスト

      お答えいただきありがとうございます。
      私も基本的に木岡先生に同意見です。
      義挙と違法行為は両立します。国内法を越えた法(西洋だったら自然法?儒教なら天?でないと易姓革命もありえないですし)に照らして正しければ、違法行為でも義挙でしょう。
      単に字面の問題に妙に引っかかってしまっただけでした。失礼しました。

      ただ大塩の乱が「義挙」だったか、さすがに私にはわかりません。当事者でもなければ、歴史学者でもないので。まぁ一般的には義挙とされてるし、そうなんだぁくらいの態度ですね。
      大塩の気持ちは善意志だったと信じてますが。

      善意志であれば、結果はどうであれ義挙なのかというまたややこしい問題が浮かびました。
      私はヴェーバーを持ち出したので、いや役人である以上、結果こそ重要だという意見ですかね。

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