- このトピックには7件の返信、2人の参加者があり、最後に木場雅次により4年、 11ヶ月前に更新されました。
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木場雅次ゲスト
中国人の日本訪問者が投稿サイトに掲載した「横断歩道を渡り終えた小学生が待ってくれていた運転者に頭を下げる」動画が中国で「震撼」と共に注目を集めたそうです。(運転者の歩行者保護と小学生の礼儀正しさ)
いま中国では高度成長の歪みや一人っ子政策(拝金主義・詰込教育)が大きな問題になっているそうです。
これは「感性や技術」で解決出来るものではなく、「徳・品格・思いやり」とでも言うべき問題だと思います。
無秩序な道路では歩行者と運転者が敵対しますし、分離すると相互の交流は生じません。
「徳・品格・思いやり」を尊び・育む事で魅力ある街を作る事は出きないものでしょうか?
御著書「都市の風土学」等で都市についてご発言戴いている木岡先生のご意見をお聞きしたいのですが。
「徳ある街造り」以外にも「うめきた2期」において「哲学者からの提言」を希望します。
よろしくお願い致します。
木場雅次
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管理人キーマスター
A.
大阪都市域最大の再開発計画として、「うめきた2期」が注目されています。計画地域全体で90000㎡、その半分の45000㎡が「都市広場」とか。たしかにおっしゃるとおり、「緑とイノベーションの融合」を謳うだけの大がかりな構想ではあるようです。とはいえ、華々しくうちだされているヴィジョンのどこを見ても、「徳・品格・思いやり」につうじる雰囲気は見あたりません。というのも、この種の都市再開発事業は、バブルの時代(1980年代後半)から30年を経て、なお健在な企業戦略の現れに過ぎない、そう思われるからです。かつて「地上げ屋」が暗躍して、都市共同体破壊のお先棒を担いだという事実。むろん近年の再開発には、一見して昔のように露骨な利益追求目的ではない、種々の仕掛け――緑地面積の最大化など――が施されている。それは今日、ハードとしての街づくりから外すことが許されない「目玉」として、それなりに人心をそそります。
ですが、そんな計画には、あなたが期待される人間性の「徳」など見つかるはずもありません。孔子孟子が説いた「礼」の精神からは、まさに対極に位置するのが、私の申し上げる〈欲望の論理〉にもとづく現在の都市開発だからです。「質問」の最初に引かれた例は、儒教の本家である中国が、「改革開放」のスローガンの下で自国の哲学を忘れ去り、西洋近代の経済成長至上主義に染まり切っている現実、それと同時に、中国の人々がようやくそのことに気づきはじめたという、日本人にとっても他人事ではない事実を物語っています。
ですから、「うめきた2期」に関して、私からの「提言」などはありません。最初から哲学者不在の世界で、技術屋たちが引いた図面に、注文を付ける余地などないのです。
(木岡伸夫)
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木場雅次ゲスト
私の質問を補足いたします。
トピックに掲載されているのは11/7に関大で実施された講演会「うめきた to the world ~新しい都市は想像力と創造性から~」において木場が演者の野村先生にした質問です。次は講演会の内容を木岡先生に伝えた部分です
昨日、開催された「ナレッジキャピタル総合プロデューサー」の野村卓也氏を迎えての「うめきた2期」の講演会に参加しました。
「うめきた」開発は「夢洲・咲洲・舞洲」の三島開発と並ぶ大阪再開発の目玉であり、関西の表玄関開発でもあります。
「うめきた1期」はナレッジキャピタルに象徴される「感性×技術=新しい価値」でした、「うめきた2期」は「緑とイノベーションの融合」がテーマとの事です。
講演の後で私は野村先生に以下の質問をしました。
中国人の日本訪問者が投稿サイトに掲載した・・・・・ と続きます。ですので私の質問は
「うめきた1期」はナレッジキャピタルに象徴される「感性×技術=新しい価値」でした、「うめきた2期」は「緑とイノベーションの融合」がテーマとの事です。
に対して木岡先生のお考えをお聞きしたのです。 -
木場雅次ゲスト
1、『地上げ屋が暗躍して都市共同体破壊のお先棒を担いだという事実。』
都市再開発事業は「うめきた開発」に限らず世界中で実施され、それは此れからもずっと続きます。
都市再開発事業者の出自が都市共同体を破壊した「地上げ屋」であろうと、動機が利益追求であろうと問題ではありません。
彼等が立案した再開発計画案でも、様々な人々が各々の立場で批判・提案する事で「神の見えざる手」が働き、理想に近づくと思います。
2、『最初から哲学者不在の世界で、技術屋たちが引いた図面に、注文を付ける余地などないのです。』
「緑とイノベーションの融合」が集客の為の仕掛けであったとしても、企業が現実論(採算性・HOW)に拘るのは健全な姿です。
しかし、現実論のみが先行し本質論・理想論が置き去りにされていたら、将来臍を噛む結果と為り兼ねません。
遅ればせながらでも哲学者・歴史学者・人類学者・芸術家等が「WHY」「WHAT」を再検討する事が必要だと思います。
仮にロケーション・レイアウト・建設計画のハード部分の大きな修正が不可能でも、運営方法・使用方法等のソフト部分はこれから何とでもなると思います。
3、「うめきた開発」は関西政財界のバックアップの下、UR都市再生機構・三菱地所が進めているビッグプロジェクトです。
「うめきた開発」は関西の表玄関の開発であり、それを成功に導くのは「関西在住の学者の社会に対する義務・責任」だと思います。
先日の講演の主催者は関大環境都市工学部の北詰恵一教授であり、講演者の野村卓也氏は関大の卒業生で客員教授でもあります。
しかし木岡先生は関大を退職され、配慮すべきシガラミから解放されておられます。
先生の研究領域である都市問題において、二期工事の開始に際し、関西政財界を相手に堂々の論陣を張る事は壮挙であると思います。
関西・大阪の将来の為に木岡先生に御一考戴ければ幸いです。
木場雅次 -
北詰恵一ゲスト
北詰です。行きがかり上、私も書くべきでしょうか。
私は、「まちには品格が必要である」と、学生時代に習いました。そう説いた人は、土木工学に携わる先生であり、都市開発事業者とゆかりのある人です。私自身、それから数十年という時を経ても、都市の品格を意識することはあります。徳は人々の行いに対して使う言葉ですが、おそらく品格のある都市は、人々が徳を積むことを支える場所なのだと思います。大阪という関西一の都市の玄関口である大阪駅の駅前には、大阪人の徳を支える品格を持つべきだ、ということになります。都市開発は、確かに経済発展に重きを置いた時期がありました。しかし、多くの人々が気付き始め、例えば社会基盤整備の考え方について美しさを内在するように舵を切るべきだ、と国が態度表明した大綱だってあります。
また、まちは生き物です。構想・計画思想に品格が見受けられなくても、生き続けているまちに品格を吹き込むことはできます。赤ん坊に品格を問いません。子供時代を経て、適切な教育を受けたものが、品格をもったふるまいを身にまといます。そうであれば、動き始めたうめきた2期の事業に品格を吹き込むのは、これからでもよい、ということになりませんでしょうか。品格を育む主体は、都市開発者ではなく、ここを利用する市民と考えています。 -
管理人キーマスター
私の回答を受けての木場さんの再質問、それに関連する北詰先生のコメントをめぐって、私の考えを申し上げます。
「うめきた2期」をテーマに、関大で行われた講演会の趣旨・内容などを、当方はまったく承知していません。講演された野村卓也氏のことも存じ上げず、木場さんが発された質問に対して、いかなるご返答があったかも知りません。ただ、木場さんがその返答に納得されなかったらしい事実を、「哲学者からの提言」を求められたことから、忖度するだけです。
当方からの回答の最後に、「最初から哲学者不在の世界で、技術屋が引いた図面に注文など付ける余地はない」と書いたのは、たしかにホンネではあるものの、やや素っ気なさすぎる。そのあたりの説明を、少し補います。
「都市計画」と「まちづくり」を混同されているのではないでしょうか。前者は、土地の有効活用を主眼とする都市の基盤整備、後者はハードウェアとしての都市構造の上に展開するコミュニティづくり。双方の目的は、大きく異なります。「徳」や「品格」にかかわる人づくりは、後者の目標であって、前者のインフラ整備が、それを直接の目標に掲げるということはありえません。もちろん、「緑とイノベーションの融合」というスローガンには、将来のコミュニティ形成が可能になるような条件整備、という狙いが含まれているだろう、という程度の推測は可能です(野村氏は、たぶんそういう答え方をされたのではないでしょうか)。とはいえ、現時点でのマスタープランに、人づくりのビジョンを織り込むということは、「木に縁りて魚を求む」類の現実離れした要求であると言わざるをえません。
哲学者の出番が、もしあるとするなら、計画実施後、何年、何十年かして、「うめきた」に人々の住む街が形成されようとする時点で、コミュニティのあり方を話し合う場面、例えば各地で活動する「まちづくり協議会」のような集まり、になるでしょう。それまでは、北詰先生のように、「都市計画」と「まちづくり」の両方に見識を持つ方の、「監視」をお願いする以外にありません。
そういう場面がやって来れば――私の存命中には、たぶんないでしょうが――、どこへでも出向くにやぶさかではありません。ただ、「関大を退職され、…」と誤解されているようなヒマは、まだ在職(~2020年3月)中の私にはない、という事実だけ申し添えます。(木岡伸夫)
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木場雅次ゲスト
『「都市計画」と「まちづくり」を混同されているのではないでしょうか。』
有難う御座います、お陰様で私の心の中で「どうもシックリいかない」とモヤモヤしていた事が腑に落ちました。
また、私の早とちりでまだ関大を退職されていない先生を、勝手に退職させてしまい失礼いたしました。
お詫び申し上げます。
木場雅次 -
木場雅次ゲスト
先日、吹田市立博物館で開催された「大塩平八郎展」に行きました。
「大塩平八郎」は大坂東町奉行所の元与力で陽明学者でもありました。
当時、日本は125万人の餓死者を出した「天保の大飢饉」の真っ最中でした。
大塩は奉行所に民衆の救援を提言しましたが拒否され、自らの蔵書5万冊を売却して救済に当たりました。
この状況下で東町奉行 跡部良弼は新将軍就任の儀式の為に大量の米を江戸に送り続けました。
一方、豪商達は利益を求めて米を買い占めたので、米価は著しく暴騰してしまいました。
憤慨し武装決起した大塩は豪商宅を焼き討ちし、大坂市中の1/5が焼失し7万人が焼け出されたとの事です。
同時に大塩は江戸の幕閣に建議書を送り、大阪における役人の不法行為を告発しています。
この建議書が無視されない様に大火を引き起こしたとの説もあります。
しかし、大塩の掲げた「救民」のスローガンに共感した庶民は大塩を恨まず、事件後も「大塩様」と尊称したそうです。
香港の民主化運動と一脈通じる処がある様です。
「大塩の乱」は半日で鎮圧されましたが、大坂からの廻米は中止され豪商達は復興の為に大規模な「御救い米」を実施しました。
その後、「生田万の乱」を筆頭に全国各地で百姓一揆が頻発し、水野忠邦の「天保の改革」を経て時代は幕末へと急展開します。
「大塩の乱」は結果としてその後の歴史を大きく動かしました。
首謀者の志が「利他」で、目的が「救民」で、民衆の「支持」があり、「成果」が挙がれば、「手続き」の不備や多少の「犠牲」は容認すべきでしょうか?
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