学問と生活との〈距離〉
直言先生:「書きたいことども」と銘打ったこのシリーズ、過去二回は、〈中〉というテーマがこれまであまり論じられてこなかった事情を取り上げ、どうしてそうなったのかを追及しました。お二人は、どう受けとめられましたか。
中道さん:〈中〉が哲学の論理では扱われないが、その代わりに道徳の目標として重んじられたというのが、一回目の対話の内容でした。前回は、私たちの意識する〈中〉が学問的に問題にされない現状を指して、「学問と生活の乖離(かいり)」を指摘されました。
直:そう、そのとおりです。で、その「乖離」について、あなたはどういう意見をもたれましたか。
中:いや、意見も何も。どうすればよいのか分からないと申し上げたとおりですが、先生は、生活と学問とを結びつけることが必要だとおっしゃって、懐徳堂の例を挙げられました。
直:そうです。懐徳堂で教えられた学問は、町人が生きていくために不可欠な「徳」の修養。当時、徳の中心は、儒教の掲げる「中庸」であった、という話をしました。これについて、猛志君はどう思われましたか。
猛志君:町人が生きるための道徳が必要、という考えは正しいと思います。しかし、学問と生活との関係は、単純ではありません。学問の目的は真理の探究ですから、それが生活にすぐ結びつくかどうかは、二の次だと思います。
直:学問の世界と生活世界とを分けて考えるべきだという君の考えは、それ自体として正しいと思います。前回、〈中〉についての議論の中で、私は、学問が追究する「論理」と生きるための「道徳」とを、区別して考える立場をとりました。君も、それを認めてくれたように記憶しますが……
猛:僕は前から、山内得立の言う「中の論理」が、論理ではないのではないか、という疑問をもっていました。そこに先生が、〈中〉は「論理」ではなく道徳のテーマだ、というような話をされたので、そういう考え方なら受け容れてもよい、という気になりました。論理と道徳の次元を分けるということなら、問題はないと思います。
直:論理と道徳とを「学問」と「生活」に割り当てたなら、二つの世界がたがいに侵犯することなく、別々に存在する。平和共存で、メデタシメデタシということになりますね。
中:しかし先生、さっきおっしゃった「乖離」というのは、学問と生活との結びつきが断たれている、というマイナスの意味ですよね。そういう乖離をくいとめる方向に、懐徳堂の町人学問があった、という前回のお話は、私にとって腑に落ちた感じがします。
直:学問と生活との関係で言うなら、重要なポイントが二つあります。一つは、生活の中から真剣な反省が生まれ、それが深められていって、生活から自立した学問の世界をつくりあげる過程、つまり生活から学問が離れていく過程があるということ。もう一つは、学問が成立した後、生活とのあいだに生じた隔たりに気づいて、その隔たりを埋めようと努力する過程、つまり学問が生活に再接近する過程。たがいに相反するこの二つの過程が、どちらもなくてはなりません。
中:分かりました。この二つの過程が欠けた状態を、「乖離」というのですね。
直:そうです。〈隔たり〉と〈再接近〉との両方を含む言葉が、〈距離〉(離れをふせぐこと)。私が強調したいのは、学問と生活とのあいだに、〈距離〉をうちたてる必要がある、ということです。
猛:いま言われたことは、なるほどと思うのですが、〈中〉に関しては、どういうことになりますか。〈中〉は、論理ではなく道徳の問題である、というだけではいけないのでしょうか。
直:〈中〉というものは、日常生活の至るところに見出される――前回の対話の始めの方で、「中流」の意識を例に挙げました。しかし、その〈中〉が、生活から学問――いまの場合は「哲学」――が自立していく過程において、論理の領域から排除されてゆく。哲学が学問として完成した時点において、最初にあった〈中〉の意味が失われてしまう。そこで、生活に再接近する第二の過程が求められる、ということになります。
猛:「哲学」と言われているのは、西洋に起こったフィロソフィのことですね。東洋では、道徳の世界に「中庸」が生き続けるということからすると、いまおっしゃったことは、西洋哲学を標的にされているのでしょうか。
直:お察しのとおり。いま申したことは、プラトンの哲学を念頭に置いています。西洋哲学の源流であるプラトンの思想に、学問と生活との〈距離〉、というよりも〈乖離〉が認められるということです。
猛:非常に重大な問題だと思うので、講義形式での説明をお願いします。
直:西洋哲学と〈中〉の関係を考える材料として、プラトンの場合を取り上げて、要点を説明します。
講義:プラトン哲学における〈中間的なもの〉
プラトンの代表作『国家』第五巻の中に、「哲学者とは何か」という問いへの答えが提示されています。真の哲学者とは、「真実を観ることを愛する人たちだ」という見解が示された後、「哲学者」をそれ以外の人々から区別する基準が論じられます。その基準とは、「美」に関して、美しい事物と「美」そのもの、つまり美のイデアとが区別され、この二つを取り違えることがない、ということだとされます。ソクラテスが言うには、哲学者とは、「〈美〉そのものが確在することを信じ、それ自体と、それを分けもっているものとを、ともに観てとる能力をもっていて、分けもっているもののほうを、元のもの自体であると考えたり、逆に元のもの自体を、それを分けもっているものであると考えたりしないような人」(『国家』(上)藤沢令夫訳、岩波文庫、2008年、461頁)を指します。ふつうに美しいものを見る人は、例えば一本の花のように、美しい事物を見て、それが「美しい」と言います。ところが、対話を主導するソクラテス――実はプラトン自身――は、美しい個々の事物以外に、「美」のイデアが存在することを信じ、そういうイデアとイデアを分けもつ美しい事物とを明確に区別し、両者を混同しない人のみが、「哲学者」(愛知者)であるというのです。美のイデアと美しい事物、二つの違いを知る能力が「知識」であって、そういう知識を具えた人のみが、一般人とは異なる哲学者として、別格の扱いを受ける。ふつうの人は、美しいバラの花を見るとき、バラが美しいと感じるだけであって、それ以外に「美のイデア」が存在するなどとは考えません。
イデア論は、美しい事物と「美」のイデアとを区別して、後者の方が真の存在であると考える立場です。国家を支配する地位に就くのは、哲学者でなければならないとする「哲人王」の考えが、『国家』の中で展開されています。しかし、イデアと個々の事物とを区別しない人々が大半を占める世の中に、プラトンが認めるような「知識」をもつ哲学者が現れなければならないという。では、どうすればよいか。哲学者を生むための教育が必要になる。この対話篇の後半、第六部から第七巻にかけての内容は、〈国家エリートの養成講座〉。その中で注目されるのは、「知識」に到達するための〈上昇〉、「知識」を得た後の〈下降〉、という二重のプロセスが示されていることです。プラトン流の教育システムでは、教育の出発点に、ふつうの人々の「中間」的な知の水準が想定されています。これが重要な点です。
美のイデアを認識する哲学に到達するためには、美しいものを見て「美しい」と感じるだけの知の水準から、〈上昇〉しなければならない。出発点となるのは、知識と無知のいずれでもない中間の水準、知識と無知との〈あいだ〉です。この中間的な知のあり方を、プラトンは「思わく」(思いなし、ドクサ)と呼んで、真の知識(アイステーシス)から区別します。ふつうの人の能力では、哲学に不可欠な知識を獲得することはできない。しかし、生来能力に恵まれた少数のエリートが、特別に用意された教育プログラムを消化して哲学者となり、国家を統治する役割を担う。こうして、哲人王による支配という理想国家が成立するという道筋が、『国家』に描き出されています。
哲学者が国家を支配する、という破天荒な構図の前提は、〈中間的なもの〉の存在です。哲学の目標とする「知識」は、知識より低いが、無知ではない中間的な知、「思わく」からの〈上昇〉によって獲得される。つづいて哲人王は、いったん成立した知識の水準から〈下降〉して、思わくにとどまる世の人々を教え導く役割を果たす。〈上昇〉の起点、〈下降〉の終点、いずれの意味においても、〈中間的なもの〉がなければ、国政が成立しないことは明らかです。ここから私は、イデア論を典型とする西洋哲学の根柢に、〈中〉が想定されていることを結論づけたいと考えます。ところが、プラトン哲学における〈中〉の意義を論じた研究者は、誰もいないとのこと――信頼する一人の専門研究者に訊きましたが、そういう研究があることは知らない、という返事でした。
プラトン哲学における〈中〉(中間的なもの)の位置づけ。それがテーマにならないのは、どういう事情からでしょうか。二元論の立場では、異なる二つのものを区別して分ける手続きがとられます。それまで区別されることなく、ゴッチャになっていた状態を分析して、本性の異なる二つの要素に切り分けることが、二元論を生むロゴスの働きである。西洋哲学を貫くロゴス的思考の元祖の地位を、プラトンが占めるという事実は動きません。しかし、〈中〉に関して、二つのものの〈中間〉、さらにそれ自体として正しいあり方、という意味があることを、これまで東洋思想などを引いて説明してきました。西洋哲学の系譜の中にも、プラトン的二元論とは異なる行き方も見られます――現に、アリストテレスに「中庸」の考えがあることを、前回の対話で示しました。ここから考えなければならない問題は、いっぱいあります。とりあえず気になる点を、いくつかお二人から挙げていただくことにしましょう。
アリストテレスとプラトン
猛:講義の最後に、アリストテレスの「中庸」が、プラトンの考えとは違う例として引かれました。〈中〉について、プラトンとアリストテレスとでは何が違うのかを、教えてほしいと思います。
直:アリストテレスは、プラトンの晩年に入門した弟子ですから、先生の学問を忠実に継承することよりも、自身の独自の考えをハッキリうちだしたことで知られています。なかでも、いちばん大きな違いは、イデア論を認めなかったということです。
中:へえー、そんなことは知りませんでした。年齢の離れた若い弟子だから、先生に反対の立場をとりやすかったのでしょうか。
直:そういう事情もあるでしょうが、プラトンが生粋のアテネ市民、ギリシア人であるのに対して、ギリシアの中心から離れたマケドニア――アレクサンドロスの生地――の出身であるという出自の違いなども、よく指摘されます。両者の思想は、もちろん底で深くつながっていますが、いま問題にしている〈中〉に関するスタンスの違いが、何に由来するのかについては、まだよく分かりません。
猛:〈中〉に関して、アリストテレスの考えが、プラトンとどう異なるのかを説明してください。
直:アリストテレスと〈中〉の関係について、私が言えることは、すべて山内得立からの受け売りです。中の「論理」に関して、山内は、存在と非存在との結合が〈中〉の立場であると言っています(『新しい道徳の問題点』)。君は、アリストテレスが可能態と現実態を区別したことを知っていますか。
猛:ええ、哲学史の知識として。事物がデュナミス(可能態)からエネルゲイア(現実態)に移行する、という考えのことですね。
直:現実の存在から見れば非存在であるものを、「可能性」として考えたという点で、山内はアリストテレスを評価しています。しかし、可能性を現実の非存在と考えなかった点で、それは中の「論理」ではない、と否定しています。
猛:存在と非存在との結合というのは、両否とか両是という「即の論理」のことでしょうか。
直:そうです。非存在とか「無」と呼ばれるものの意義を、大乗仏教のようには認めていない、ということに対する批判です。
中:すみません。話が専門的過ぎて、私にはついていけません。この前の対話では、アリストテレスの言う「中庸」が、儒教の「中庸」と同じ道徳の思想であると言われました。私には、二つの「中庸」が同じなのか、違っているのか、に興味があります。
直:とても重要で、難しい問題です。「メソテース」というギリシア語を「中庸」と訳していますが、そう訳さない例――岩波版全集15『ニコマコス倫理学』では「中間性」――もあります。私は、東西両世界にほぼ同じ道徳思想があるという点を重視して、「中庸」と訳すべきだと思います。
猛:前回、「〈中〉の道徳」で、僕が主張したことを、もう一度、繰り返します。『中庸』というのは「程々のよさ」であって、最高のよさとしての「善のイデア」ではないとされた。そういう中途半端なよさが、「中庸」として評価されたのは、どうしてですか。なぜ、弟子のアリストテレスは、師のプラトンとは反対の考えを主張したのでしょうか。
直:こちらとしては、先ほどの講義にかこつける形でお答えしましょう。プラトンの考えた理想の政治は、最高の知識を独占する支配者=哲学者が、思わくの水準にとどまる民衆を指導する、という上からの統治の形態でした。しかし、それでは、支配される人民の側の主体性は活かされるでしょうか。
中:実は、私もそれが気になっていました。プラトンの考える理想国家の中で、支配される人民の自由というものは、どう考えられるのだろうか、という疑問があります。
直:そうおっしゃったたことは、とても大きな気づきです。『国家』の中では、優秀な支配者に統治される人々の側の事情が問題にされていないのです。
中:民主主義の国家では、主役は人民――「人民の、人民による、人民のための政府」というリンカーンの演説が語るとおりです。よく分かりませんが、プラトンの考えた政治は、そういうあり方ではないような気がします。
直:まさにそのとおり。カール・ポパー『開かれた社会とその敵』(小河原誠訳、全4冊、岩波文庫、2023年)「第一巻 プラトンの呪縛」では、ポパーがこの本の執筆に入った1930年代、ヨーロッパを席巻しつつあったナチス・ドイツの脅威に面して、プラトンを「全体主義の起源」とする厳しい論調がとられました。
中:プラトンが「全体主義の起源」ということですか、驚きました。先生も、そう考えられますか。
直:1930年代後半に、ポパーが激烈なプラトン批判――ほかにヘーゲルやマルクスも槍玉に挙げられています――を行ったことには、無理からぬ理由があると思われます。ただ、そういう時代状況の文脈を外して、プラトンに「全体主義」のレッテルを貼り付けることに対しては、慎重でなければならないと私は考えます。
猛:プラトンの問題はともかく、いまのような批判を考慮するなら、アリストテレスの場合には、支配される人民の立場が考慮されていたと。そう言ってよいでしょうか。
直:そう、それが私の言いたかったことです。人民は、それぞれの思わくに従って、勝手気ままにふるまい、さまざまな問題を惹き起こす。そういう一般社会に対して、上から「真理」を押しつけたのでは、全体主義になってしまう。主体それぞれが身につけるべき能力(徳)として、「中庸」が考えられたことには、古代ギリシアのポリス社会として、もっともな事情があったと思われます。アリストテレスは、あらゆる学問の原型をつくった大立者ですが、倫理学と政治学とを結びつけた点でも、一つのお手本を示しています。
東西で異なる〈中〉の意義
直:猛志君から、プラトンとアリストテレスの関係を追及する質問が出ました。中道さんからも、何か質問を出していただけますか。
中:前回、「〈中〉の道徳」をめぐって、中国にもともと〈中〉を重んじる考えがあることを教わりました。ここまで、プラトンやアリストテレスについていろいろ伺いましたが、〈中〉そのものを重視する立場はないのかな、というところが気になります。〈中〉に対する態度が、東西で大きく異なるといったことが言えるのでしょうか。
直:〈中〉のとらえ方は、東西で大きく異なるのではないか、というお訊ねですが、おそらくそうだと思います。「中庸」が儒教道徳の根本に置かれているように、「中道」も仏教の根本的立場であるとされています。〈中〉の理念そのものの意義を高く掲げる行き方は、西洋の思想にはあまり見られません。
中:それが東西の立場の違いだとすると、その違いはどこから生じてくるのでしょうか。
直:その質問にきちんと答えられるだけの用意が、いまの私にはありません。訊ねられたポイントは、私自身の現在の課題ですから。と言って、逃げるわけにもいかないとすれば、どうしようかな……
中:メンドウなお訊ねをして、申し訳ありません。こちらからの提案ですが、もしよろしければ、猛志君と私とで、〈中〉について気になるポイントを質問させていただくというのは、どうでしょうか。
直:答えられる範囲でなら、という条件付きですが、ご提案に従うことにしましょう。お二人、何なりとどうぞ。
中:では、厚かましく私から。儒教で言う「中庸」が、ふつうの人が身につけるべき道徳であるという説明は、懐徳堂の例などで理解できました。しかし、仏教の根本的立場が「中道」だと言われるのは、どうしてでしょうか。仏教に〈中〉が関係するというのは、どういうことなのか、教えていただけないでしょうか。
直:以前の対話の中で、「中道」の思想がお釈迦様の悟りに由来するというエピソードを紹介したことがあります。覚えておいでですか?
中:そういうお話があったように思いますが、ハッキリ思い出せません。どういう内容だったでしょうか。
直:シャカは、長い修業時代をつうじて、快楽主義と苦行主義の両方を実践したものの、悟りは得られなかった。しかし最後に、それら両極端の態度を離れた、偏りのない生き方こそ、涅槃(ねはん)につうじる道であると悟った。「二辺すなわち両極端を離れることによって得られる、かたよっていない中正な道」(『仏教辞典』法蔵館、1995年)というのが、「中道」だということです。
中:そうでした。かたよっていない正しいあり方が「中道」とされたことを、いま思い出しました。
直:シャカのつかんだ真理を受けつぐ形で、さまざまな立場が生まれて展開していきます。大乗・小乗に分かれてからの各宗派でも、教理の中心に〈中〉が位置づけられていることは変わりません。
猛:「極端な二つの立場(二辺)を離れる」という言い方から、僕は、対立する二つのもののほかに第三のものを立てる考えを連想しました。〈中〉というのは、第三項のことであるとは言えないでしょうか。
直:対立する二者のいずれにも属さないあり方を、それ自体として実体化したなら、「第三項」になるかもしれない。AでもBでもなくCである、というようにね。仏教は、そういう三元論はとらないにしても、〈中〉を含む三項関係を考える方向が、中国では目立っています。
猛:「三項関係」って、どういうものですか。教えてください。
直:大乗仏教の祖師龍樹(ナーガールジュナ)は、あらゆる存在が自性(本質)をもたず、「空」であるという考えをうちだしました。とはいえ、現実の世界は感覚されるとおりに現象――「色」(しき)と呼ばれる――として存在する。「色」と「空」とは違っているが、違うものとして関係するという、「即」の関係にあります。「色即是空、空即是色」(しきそくぜくう、くうそくぜしき)というお経の文句をご存じでしょう。
中:私でも、『般若心経』のその部分は覚えています。
直:「色」は仮にそう見えるという点から、「仮」(け)と呼ばれる。「空」と「仮」とは、対立するけれども、相対的な関係。天台宗では、この二つを超えた絶対的なものを「中」と考え、「空仮中」の三諦(さんたい)の説を立てています。こういう三項関係で考えようとするのは、中国仏教の特徴です。
猛:僕からすると、現象と本質との対立以外に、絶対の〈中〉なんてものを考える理由が、よく分かりません。
直:そうでしょう。「空」や「仮」は、その意味が言葉で表現されるのに対して、〈中〉の考え――「中諦」――は、「言説思慮の対象ではない」(前出『仏教辞典』)のですから。
猛:その説明を聞くと、カントの「物自体」を連想します。言葉で言い表せない絶対的な何か、という点が似ていますから。
直:そういう連想は、もしかすると当たっているかもしれないが、これ以上何か言うとヤバイことになりそうだから、止めておきます。
中:「中道」について、ふだんイメージされる「二つのものの中間」というような〈中〉とは違って、深い意味をもつということが見えてきました。西洋哲学を専攻している猛志君から、何かお訊ねしたい点はありませんか。
常識としての〈中〉
猛:今日の対話では、中間に立つことと正しいあり方、この二つが東洋の思想で結びついていることが印象づけられました。そういう〈中〉の意味は、西洋哲学では表に出てこないような気がするのですが、その点についてどう考えられますか。
直:プラトンに代表される西洋哲学の本流では、〈中〉は哲学の原理とはされない。中間的なあり方を否定して、最高の頂点をめざすということが、学問のめざす目標になってしまっている。そのことを明らかにすることが、今回の講義の一つの眼目でした。
猛:「一つ」というと、他に何か……
直:もう一つは、にもかかわらず〈中間的なもの〉は、哲学がそこから出発する以外にない起点であり、またそこに帰着しなければならない終点である。この点を強調する狙いがありました。
猛:プラトンについて、二つのことを指摘されましたが、〈中〉を重視した西洋の哲学者はいないのでしょうか。
直:現代哲学の共通課題は、二元論を超えるということですから、二つの両極に属さない中間的なあり方に注目している哲学者は、大勢います。ただし、私の知るかぎり、〈中間的なもの〉に特別な注意を払った例外的な哲学者は、ベルクソンぐらいでしょう。
猛:ベルクソンのどういう点を指しているのでしょうか。
直:〈世界の見方〉です。哲学の世界では、事物を「もの」と見るか、「観念」(表象)と見るかによって、実在論と観念論の立場が分かれます。しかし、われわれが目にする世界は、「もの」のように見えるとともに、「観念」としても現れる。「もの」と「観念」のいずれかではなく、いずれでもあるというのが、世界の正しい見方であるということです。ベルクソンは、事物がものと表象のいずれかではなく、その〈中間〉にあるとして、それを「イメージ」と呼びました。
猛:僕の聞き及んだ範囲では、ベルクソンは二元論を乗り越えるために、独自の「イメージ論」を構想した哲学者だとされています。
直:そのとおりですが、二元論というものは、物と心とを分ける以前に物心が出会うことで知覚が成立している、という根本の事実を深く追究しない。その事実は、二つのものが分けられる手前、二者の〈中間〉にあるということを、ベルクソンは明らかにしています。そういう〈中〉への着目は、哲学を知らない常識の見方に立つことである、ということも明言しています。
猛:ということは、哲学を研究することは、常識から離れるということになるのですか。
直:はしょって言えば、そういうことになります。君は、そういうメッセージをどう受けとめますか。
猛:ウーン、そうかな、という感じです。常識は大切だけれど、それにとどまっていたのでは、学問にならないからです。
直:〈中〉というのは、誰もがその意味を知っていて、日常の会話でもしょっちゅう使われている。にもかかわらず、〈中〉とは何かと問われると、うまく答えられない、そういう類の言葉です。常識の線にとどまっていたのでは、学問にならないと。それは君の言うとおりだけれど、解っているつもりで実は解っていない、そういう問題に出くわしたときに、常識が世界を見る地点に立ち返る必要がある。とりあえず、それだけ申しておきます。
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