〈かたちの論理〉から
直言先生;前々回、前回、と二回続けて〈かたちの論理〉について語りました。シリーズ名に掲げた「書きたいことども」の代表が、このテーマだからです。1990年代から始まる〈かたちの論理〉への関心をたどってきましたが、お二人はどのように受けとめられましたか。
中道さん:私にとってはとても興味深く、いつも以上に身を入れてお話を伺ったような気がします。それが二回で終わったのは、肩すかしというか、意外でした。
直:そうですか。どうして「意外」に思われたのかな。
中:そのテーマが、現在に続いているからです。90年代から、2002年のフランス留学を経て、『風景の論理』(2007)までが第一期、つづく『風土の論理』(2011)から『〈あいだ〉を開く』(2014)までが第二期だとすると、それ以後、現在に至るまでの第三期というか、続篇があっても当然ではないでしょうか。
直:現時点でこうだ、というまとめ方ができるようであれば、それは〈かたちの論理〉が完成したということです。完成版を書いて目標を達成したいけれども、まだまだ書けないというのが現状です。
猛志君:前回、2010年にかかる時期に、山内得立の哲学に出会い、そこから〈かたちの論理〉が新しい段階に入った、というお話でした。『〈あいだ〉を開く』以後の著作は、山内の哲学を意識して書かれています。「第三期」は、山内哲学から影響を受けて、〈かたちの論理〉が発展していく段階、と言ってもよいのではないでしょうか。
直:そう、おっしゃるとおりです。彼の唱える「中の論理」や「アナロギアの論理」を、〈かたちの論理〉にどう組み込むかが、中心テーマになってきました。この課題に取り組んできたけれども、ハッキリした答えが出そうで、まだ出ていない、そういうところまで来ているのですが。
中:前に、〈中〉の問題について、トンネルの出口付近だとおっしゃった、その地点にいるということですね。たしか、〈中〉の考え方を〈かたちの論理〉に取り入れたい、とおっしゃいましたね。
直:そうです。〈中〉に関するロゴス、「中道」や「中庸」を〈かたちの論理〉にどう組み込むかが、現在の私の課題です。それについて、お二人と対話を続けられるだけの材料が整っていないので、どうしようかと迷っています。
猛:前回論じられた問題で、それ以来気になっていることがあるのですが、それを言わせてもらってもいいでしょうか。
直:結構です。それは何ですか。
猛:弁証法と〈かたちの論理〉との関係です。先生は、『風景の論理』で取り上げられていた「弁証法」を、〈かたちの論理〉にそぐわないものとして使用されなくなった。そのさい、戦前の日本では多くの哲学者が「弁証法」に傾倒していたけれども、彼らが弁証法と呼ぶものの内実は、〈かたちの論理〉であるとおっしゃった、その点です。当時「弁証法」と呼ばれたものは、じっさいは〈かたちの論理〉なのだと。そのあたりの議論が難しくて、スッキリ呑み込めませんでした。
中:私も猛志君と同じ印象です。講義の中で、西田幾多郎の「弁証法」が、「東西思想のチャンポン」だとおっしゃった、そのあたりの説明も、難しすぎて、さっぱり解りませんでした。
直:お二人のクレームは、戦前の日本人哲学者たちが、表向き「弁証法」を唱えながら、言わんとする内実は〈かたちの論理〉であった、という私の解釈が、理解しにくかったということですね。
猛:風土学は地理哲学である、という先生の考えは、〈かたちの論理〉を弁証法から区別する立場を表していると思います。その点を、もっとくわしく説明してほしいのです。
直:そういうことなら、こうしましょう。今回から始まるシリーズを、「30年代の哲学者」――もちろん日本人です――と銘打ち、代表的な人物を5人取り上げて、それぞれの弁証法との関係に焦点を当てる、というふうに。いかがですか。
中:で、「5人」とおっしゃるのは?
直:西田幾多郎、田辺元、和辻哲郎、九鬼周造、三木清。いずれも、これまで拙著で取り上げて論じてきた代表的な哲学者です。
中:それでは、山内得立は?山内は、先生の〈かたちの論理〉にとって最も重要な哲学者ではないのですか。
直:そのとおり。ですから、山内得立は別格の扱いとして、1930年代の哲学者の中には入れません。山内については、戦前に限ることなく、20世紀全体にわたって活躍した特別な存在として、別にシリーズを立てることにしたいと考えます。そういう次第で、今回のテーマは、西田哲学。この対話で問題にしたいポイントを、最初に講義で述べることにします。
講義:西田哲学の展開
西田哲学という巨大な思想的山脈、その全容をたどるという無謀な試みではなく、〈かたちの論理〉と弁証法との関係という一点に絞って、要約することを試みます。
私が学生時代に専攻したベルクソンは、「哲学的直観」の中で、偉大な哲学者は、ただ一つの単純な直観を生涯にわたって追求し、表現しようとすると説いています。その主張にしたがい、西田幾多郎が終生追い求めたテーマを挙げるなら、それは〈無〉の直観、それを言語化する「無の論理」ということになります。処女作『善の研究』から、最晩年の「場所的論理と宗教的世界観」に至るまで、西田は〈無〉について視点を変え、方法(論理)を変えながら、追究しつづけたと言っても、過言ではないと思われます。
西田哲学の発展は、大ざっぱに言って、四つの時期に分けられます。第一期は、「純粋経験」の時代。一般によく知られた『善の研究』は、「純粋経験」というキーワードを主軸にして、すべてを説明しようとしました。純粋経験の立場から出発した西田は、第二期の「自覚」の時代を経て、第三期の「場所」の時代に到達します――論文「場所」の発表は、1926年。この時代に至って、「西田哲学」と呼ばれるにふさわしい独創的な哲学の体系が生まれた、と一般に言われています。西田哲学のどういう点が、それまでになかった新しい立場なのでしょうか。たとえば、われわれが物を見る場合、自分の見る働き、つまり意識が、見られるものを対象として把えると考えられる。見る働きとしての主観、見られる事物である客観、この二つを結びつける主客の二元論によって、認識が成立するとされる。そういう意識中心の二元論に対して、西田は「見るもの」と「見られるもの」の関係が成立する「場所」を中心に考えようとしました。それまで別々のものと考えられてきた主客の関係が、そこに「おいてある」とされる「場所」。「一個のリンゴを見る」という文を例にとるなら、リンゴを対象として見る〈私〉と、私に見られるリンゴ、私とリンゴの関係、「場所」はこれら三つの要素を含む一つの出来事を表します。主語である〈私〉も、対象であるリンゴも、私がリンゴを見るという関係も、すべてが場所に「おいてある」――場所に「包まれる」という言い方がされることもあります――というわけです。人間の意識を起点として、認識が成立するというのが、デカルト以後の近代の二元論です。そういう意識中心、人間中心の二元論に対して、西田がうちだした「場所」の考えは、人間主体よりも世界の側から経験の成立を説明しようとする立場を表します。ここでは、これ以上立ち入った言及はできませんが、「場所」が従来の哲学になかった、新しい哲学の立場である、ということだけ申しておきます。
第三期である「場所」の時代に続く第四期、京大を退官した後、哲学の命とも言うべき「論理」に関する態度変更が、西田に生じます。「弁証法的論理」の時代が始まるのです。以後、それまでの研究で取り上げられることのなかった「弁証法」が、西田哲学の柱になります。それは、なぜでしょうか。昭和初頭に日本に入ってきたマルクス主義が、当時の哲学者たちに強い影響を及ぼし、そのうちの一人である田辺元が、自身の論理を弁証法に切り替えたことが、西田の立場に大きく作用した、という事実が指摘されています。というのも、西田は、自身の後任として東北帝大から京大に招いた助教授の田辺から、厳しい批判を受け、それをきっかけに自らの立場が弁証法であると宣言するに至った経緯があるからです。
厳密を期すなら、その当時、田辺や西田が「弁証法」と呼んだものの実体は何か、そもそも弁証法とはいかなる思考法なのか、という議論を避けて通ることはできません。ですが、ここではそういう議論に立ち入る手続きは省略して、1930年代以後、西田哲学の看板となった「弁証法的論理」によって、その根本にある〈無〉の思想がどのように変容したか、という一点だけを考えることにします。問題の性格上、いくつか難しい用語を使用しないわけにはゆきませんが、どうかご容赦ください。
第三期でうちだされたのは、「場所」の論理。「無の場所」と言われるように、場所そのものに実体はありません。けれども、場所それ自体が無であることによって、あらゆる事物がそこに成立するとされる――巨大な風呂敷のように、と西田本人が言っています。この世界の出来事は、すべて場所において生じる。それは「一般者の自己限定」と称されるが、事物の側から言えば、同時に「個物の自己限定」でもある。つまり、「一般者の自己限定即個物の自己限定」ということになるわけです。この言い方は、少々乱暴に言ってしまえば、世界(一般者)と個人(個物)とのかかわりを、世界を中心にして説明するものです。「場所の論理」では、自由な個人が関係し合って、世界をつくる、もしくはつくりかえる、といった主体的〈実践〉の契機が、あまり表に出てきません。
ところが、西田にとって大きな転機が訪れます。それが「弁証法」との出会いです。1930年代に日本で流行したマルクス主義の弁証法は、〈資本家対労働者〉の階級対立のように、二つのものが矛盾対立して闘う、という図式を哲学に導入しました。西田は左翼のイデオロギーに同調することのない保守派でしたが、現実世界が矛盾をつうじて動いてゆくという考え方にふれたことで、歴史的世界の論理を具体化するという課題を強く意識するようになりました。弁証法の導入以前に「一般者の自己限定」にかけられていた重心が、弁証法と共に、社会の中で対立する個と個の関係、「個物と個物の相互限定」へと移行するのです。それによって、場所において個物を限定するとされた一般者の位置づけは、どうなるのか。「弁証法的一般者」に変容するのですが、それについては、可能であれば、後の対話でふれることにしましょう。とりあえず、講義のオチとして言いたいのは、弁証法との出会いをつうじて、〈無〉の意味が、歴史的世界のあり方を説明する論理に活かされることとなった、ということです。以上、「無の論理」が、弁証法に結びつくことになった大筋だけを紹介しました。
無の「論理」とは?
直:〈かたちの論理〉を考えつく一つのきっかけとなった、西田幾多郎の哲学。その歩みを私なりに再構成して紹介しましたが、難しかったと思います。講義の中で、お二人が引っかかったというか、よく解らなかった点を、挙げていただけませんか。
中:解らないことばかりでしたが、西田哲学の本質のように言われた「無の論理」というのが、どういうものなのか、さっぱりイメージできませんでした。
直:解らないというのは、どういう点ですか。〈無〉ですか、それとも「論理」ですか?
中:〈無〉というのが、何を意味するのか、そもそもよく解りません。無の「論理」というのが、それに輪をかけて、何のことだか解りません。
直:それじゃ、まず〈無〉から。〈無〉という言葉が何を意味するのか、いちおうそれはお分かりですね。
中:あると思っているものが「ない」状態、存在しない状態です。存在の否定、ということだと思います。
直:非常に的確な理解です。言われたとおり、〈無〉とは物がない状態を意味します。しかし、〈無〉の意味はそれだけではありません。
中:物が存在しないという以外に、〈無〉の意味があるのですか。それは、どういう意味ですか。
直:事物が存在しないことは、対象的な無。それに対して、事物の存在を判断する〈私〉というものがない状態は、「主体的な無」と言われます。
中:「主体的な無」ですか。それは具体的に言うと、どういうあり方ですか。
直:西田が、哲学と並行して座禅に打ち込んだ事実は、ご存じでしょう。座禅がめざすのは、「身心脱落」、自分もなければ世界もない、というような「無心」「無我」の状態です。
中:それが「主体的な無」ということなのですね、なるほど。
直:言っておきたいのは、「主体的な無」というのは、何かがないとか、何もないといった消極的なあり方とは違って、そこからいろんなものが生まれてくる、という積極的なあり方を表すということです。スポーツの世界で、「無心になれ」とよく言われるのは、そこから無限のエネルギーが生まれてくる、という考えに立っています。
猛:その話を聞いて、「無からの創造」という言葉を思い出しました。創造の源は「無」であるという考えが、昔から哲学にはあります。
直:「無の論理」は、そのことに関係しています。西田における「無の論理」は、西洋の形而上学で古くから言われてきた「無からの創造」を、彼独自の観点から言い換えたものにほかなりません。
猛:しかし、そういうことなら、昔からある形而上学の創造論で話は片づくことになります。それと違う何かが、「無の論理」にあるのでしょうか。
直:素晴らしいツッコミです。君に質問ですが、形而上学で語られる「創造」は、本当に〈無〉から始まるといえるでしょうか。
猛:ウーン、難しいなあ。「創造」というのは、それまで何もなかったところに何かが生じるわけだから、〈無〉から始まると言わなくてはならない。でもそれは、神によって行われるワザだという意味では、厳密な意味で〈無〉ということは、言えないかもしれません。
直:「無」から宇宙を創造する神は、「存在」そのもの。「無からの創造」は、〈無〉を前提すると同時に、創造を意志する絶対的な神の存在を想定します。それに対して、西田が着手した「無の論理」は、神を仮定することなしに、宇宙が成立し展開するというリクツを立てる点で、西洋になかった新しい立場の哲学だと言えるわけです。
中:「無の論理」が、西洋にない西田哲学独自の考えだということは分かりました。それが可能だったのは、西田が日本の哲学者であることと関係するのでしょうか。
直:関係します。というより、日本の哲学者だからこそ可能であった、と言わなくてはなりません。
中:それは、どうしてでしょう。「無の論理」のような考え方は、西洋哲学では不可能なのでしょうか。
直:不可能だと思います。理由は、神による宇宙創造のイメージが、それを語るロゴスとともに、人びとの精神を根本的に支配しているからです。『創世記』に書かれているような宇宙創成のプランは、有神論的伝統と一体で生き続けています。
猛:僕からも質問します。先生は、神のロゴスによって創造が行われるという思想を、西洋の伝統だと言われる。だとすると、西田哲学は、そういう考えが日本では通用しないという考えを表現している、と受けとってもよいでしょうか。
直:そのとおり。西田哲学は、西洋形而上学で言うところの「神」を「絶対無」に置き換えた。言ってみれば、木に竹を継ごうとしたわけです。
猛:そのことに関して、もう一点お訊ねします。第四期の「弁証法的論理」の時代、西田は「無の論理」に弁証法を導入したということですが、そのこと自体が、「木に竹を接ぐ」試みということになるのでしょうか。それは、間違ったやり方なのでしょうか。
「弁証法」の意義
直:西洋で生まれた弁証法を、風土の異なる日本に導入した西田のチャレンジは、正しかったのかというお訊ねですね。非常に答えにくい、難しい質問です。ウーン……
中:急に黙りこんでしまわれたことを、どう受けとめたらよいのでしょうか。答えにくいとおっしゃるのは、どうしてなのか、お訊ねしてもよろしいでしょうか。
直:すみません。西田が自分の立場を弁証法に求めたことには、それ相当の理由があります。それを間違っているとは言いにくい。西田は、主体的な〈無〉の意味を、本来そういうものには適合しない西洋哲学の論理によって表現しようとした。それを否定したなら、西田哲学の存在意義まで否定してしまうことになる。それが頭に浮かんだため、口ごもってしまいました。
猛:学生だから言えることだと思われるかもしれませんが、僕は、弁証法でも何でも利用して、自分の言いたいことを表現すればよいと思います。それが、はたから見て「木に竹を接ぐ」試みであるとしても、それなりに意味が通っているのであれば、かまわないと思います。
直:傾聴に値するご意見ですが、そのまま認めることができない訳が、こちらにはあります。
猛:訳とは何でしょう、聞かせてください。
直:簡単に言うなら、戦前の日本社会を席巻した弁証法は、マルクス主義の左翼がそうであるように「闘争の論理」。西田が追究する〈無〉の意味は、そういう論理では表現できないということです。
猛:チョット分からないなあ。弁証法の論理では、テーゼとアンチテーゼとが対立し、矛盾します。そういう現実を、「無の論理」では説明できないということですか。
直:前回の対話でも、弁証法は「二つのものの区分に関するロゴス」である、という山内得立の説明を引用しました。「二つのもの」――資本家と労働者でもよい――が、最初から対立関係にあるというのが、「ディアロゴス」に由来するディアレクティク(弁証法)のあり方です。西田の言う「絶対無」から、どのようにして矛盾や対立が生まれるのか、説明することは困難です。
中:ついてゆくのに苦労する、難しいご説明です。しかし、興味があります。「無の論理」と弁証法との関係を、もうすこし分かりやすくレクチュアしていただけないでしょうか。
直:第四期を代表する「弁証法的一般者としての世界」という論文を引いて、説明しましょう。「場所」の時代から、西田は「一般者」と「個物」という言葉を用いて、世界の出来事を記述します。たとえば、「この花は赤い」という判断は、個物である「この花」が、「赤」という一般者によって限定される、もしくは「包まれる」ことによって成立するわけです。そのような一般者と個物の関係を、ひとことで言うなら、「無の自己限定」。こういう説明の仕方は、ありのままの世界を記述するだけなら、別に問題はありません。ここまでの説明は、解りますか?
中:ええ。先生が言おうとされるのは、そういう「無の自己限定」という言い方では、説明できないような事柄があるということでしょうか。
直:まさしく、そのとおり。「個物が一般者によって限定される(包まれる)」という言い方が、うまく当てはまらない場合があるのです。どういう場合でしょうか。
猛:個物同士が対立したり、闘ったりする場合じゃありませんか。
直:君は、さすがに勘が鋭い。そのとおり、現実社会は、階級闘争に見られるような「矛盾」に充ちています。「一般者による個物の限定」ではなく、「個物と個物の相互限定」を問題にしなければならなくなるのです。歴史的世界の現実を説明するために、西田が考えついたのは「弁証法的一般者」。先ほどの講義でもふれたように、後期西田哲学のカギとなる概念です。
中:弁証法的一般者、それは一体どういうものでしょうか?
直:西田本人の言い方では、「媒介者M」というものです。AとBとが、たがいに対立しあうときに、両者を媒介するはたらきが、「弁証法的一般者」と呼ばれます。対立する個物と個物、その双方を媒介する一般者、この三者関係を想定したのが、後期西田の「弁証法的論理」です。
中:そうですか。よく解ったとはとても言えませんが、先生は西田の考えをどう評価されますか。
直:西洋とはまったく異なる日本の風土に、弁証法を活かそうとして注がれた努力には、脱帽するしかありません。偉大な業績であることを認めます。
猛:しかし先生は、今回、最初から西田哲学と弁証法との結びつきを否定的に把えておられます。批判したい点があるのではないか、と推測しますが……
〈あいだ〉への視点
直:いましがた、「三者関係」という言い方をした、まさにその点です。弁証法は、二つのものが、たがいに独立したままで結びつくという「二者関係」。媒介者という第三項が介入したのでは、弁証法にはなりません。
猛:弁証法では、媒介者が存在しないのですか。意外です。だって、ヘーゲルの弁証法についての講義では、「否定的媒介」という言い方がよくされます。
直:そうでしょうが、弁証法の本質は、媒介者がないところにあります。山内が強調するように、ヘーゲルの媒介の概念は、「媒介者なき媒介」。言わんとするのは、定立と反定立とがたがいに矛盾し、否定し合う関係に立つということ、そのこと自体が「媒介」であるということです。そういう説明で納得されましたか、中道さん?
中:「媒介者なき媒介」なんて言われても、何のことだかピンときません。でも、「媒介者」という言葉から、以前の対話で言われたことを思い出しました。「対話」は、二人だけの関係ではなく、媒介者があいだに入ることで、「三人対話」になるのだと。たしか、仲人の例を出されたことが、頭に残っています。
猛:そうか。すると「媒介者M」というのは、矛盾対立する二者を結ぶ第三者の意味をもつわけですね、なるほど。でも、そういう媒介者が、どうして「弁証法的一般者」という語で言い表されるのか、理由がよく分かりません。
直:君が「分からない」というのは、ごもっとも。私にもよく分かりません。たぶん、現実世界で起こる出来事は、すべて「絶対無の自己限定」として説明しなければならないというような理論的要請が底にあるからではないでしょうか。西田は「場所」の時代に、すべてを世界の側から説明するという態度変更を行った。そうなると、現実世界で生じる闘争についても、それに関与する「隠れた神」のような存在を考えなければならなくなるわけです。
中:「絶対無」が「隠れた神」ということになるのですか。それでは、「無の論理」でなくなるのではありませんか。
直:そう、そのとおり。もともと絶対者である神を前提に考えられた弁証法を導入することによって、「無の論理」は破綻せざるをえなくなります。〈無〉の立場は、弁証法にはなじまないのです。
猛:それなら、西田のいう「弁証法的論理」に、どんな価値があるのでしょうか。西田の求めた論理は、否定されてしまうことになるのでしょうか。
直:そんなことはありません。〈無〉に立脚する哲学は、弁証法によっては表現されないという事実、それを明らかにしたという意味で、西田の試みは最大限に評価されなければなりません。
中:弁証法的論理がうまくいかないことを証明した。そのことが評価されるというのは、非常に逆説的です。どうして、失敗したことが評価されるのでしょうか。
直:西田の考えたことは、「弁証法」という論理形式に合わせようとしなければ、対話の本質そのものです。「対話」(ディアロゴス)と「弁証法」(ディアレクティク)とは、元々同じもの。弁証法が前提する二者関係、闘争的な関係ではなく、二者間の対立が第三者によって調停される三者関係の理論モデルとして、西田哲学を評価すべきだ、というのが私の考えです。
中: そうなると、風土学の〈あいだ〉を開く立場につながることになりますね。
直:ええ、そうです。もっとも、そういう言葉は、西田哲学を神棚に祀り上げている信者連中の耳には入らないでしょうけれど。
猛:いまの説明は、西田は弁証法の論理を取り入れて「無の論理」を仕上げようと奮闘したものの、失敗した、けど、そういう挫折には意味がある、というものです。「30年代の哲学者」を代表する西田幾多郎から、どういう教訓をくみ取るべきでしょうか。
直:座禅で追求される〈無〉は、不立文字――言葉にならない――とされてきた。それを哲学的に表現したことは、西田の偉大な功績です。しかし、それに使用されるのは、西洋哲学のヴォキャブラリーです。〈無〉というものの意味を、西洋世界の論理で表現することは、困難というか、不可能に近い。体験と表現とのギャップが生じて来ざるをえないのです。このギャップを、身をもって生き抜いた大先輩が、西田幾多郎。その後につづく者は、西田の苦闘を一つの手本としながら、日本の哲学をうちたてる試みに挑まなければなりません。このシリーズで取り上げることになるのは、いずれもそういう課題にチャレンジした哲学者たち。私流の言い方が許されるなら、〈風土学の先駆者たち〉ということになります。
中:そういうことなら、今回の続きを楽しみにしたいと思います。
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