1 春愁
春愁、「春の愁い」とは大仰な――。そうです、書いているこちらも、いささか気恥ずかしいこの言葉を使うには、それなりの理由があります。桜咲く毎年のこの時期、自分の気分を駆り立てずにおかない行事を取りやめてから、丸三年。自分でも持て余し気味の、つれづれなる思いをどう表現するかを、ボンヤリ考えているうちに、柄にもないこの言葉が浮かんできた、という次第です。
毎年、春先に自分の気持ちをそぞろ搔き立ててきたのは、渓流釣り。三月の声を聞くや、さて谷の様子はどうだろうか、雪が残っていて歩きにくいのではないか、水量の少なさからして、産卵後の魚の回復具合は大丈夫か……などといった、とりとめのない連想が頭を駆けめぐり、時の経つのを忘れる。そんな時間の意味が、この釣りをしたことのない人に伝わるでしょうか?
中学生から高校生にかけて、渓流釣りの愉しさに目覚めて以来、長い学生時代――七年間の学部生活に、のちの大学院生時代を加えると、15年にも及ぶ――に潜伏していた、渓流釣りへの熱は、大学に職を得た30代後半に再燃しました。還暦を過ぎての脳疾患で、手脚とも不自由になってからも、渓流通いをなかなか断念できず、未練がましく、解禁当初の渓谷に足を運ぶ悪あがきが続きました。それが、もう止めようと思ったきっかけは、三年前の三月末、小脳出血で倒れて以後も通い続けた、奈良県奥吉野の天川渓谷で、「ボーズ」(釣果ゼロ)を味わったことでした。毎年恒例の手続きとして、なじみの旅館で一年間通用の入漁券を購入し、不自由な身体を押して釣り場に立ったものの、魚影がまったく見あたらない――ついでながら、いつも気になる釣り人の姿も。それもそのはず、コロナ禍による入漁者の激減によって、収入の当てが外れた漁協は、以前とは異なり、ほとんど魚を放流しなかったにちがいない――と、これは帰途に気のついたことですが、後の祭り。「渓流の女王」アマゴに再会する喜びを胸に、勇んで家を出ていく私のルーティンに、もはやこれまで、と一気にピリオドが打たれたのは、不漁の結果のほか、年ごとに不自由の募る身体のせいでもあった、と言わなければなりません。
早春の渓流釣りの魅力は、美しい魚体を手にする喜びだけではありません。釣り場にみなぎるのは、水音と調子を合わせるかのようなシンとした空気、しびれるほどの水の冷たさ、樹木の放つ香り、山野草の息吹など、そこに身を置いた者に〈生きている〉実感をもたらすものすべてが、渓流には揃っています。釣れても釣れなくても、渓流通いを止めない私が口にする言葉は、「ビタミン注射」。長年の習慣を絶った私にとって、禁断症状というべきか、よく渓流の夢を見ます。目覚めてから、ああ、まだ執着が消えないんだな、と苦笑することの多い昨今の私です。「諦める(明らめる)」という言葉には、事の真相を知って、その成り行きに得心する、という意味合いがあります。そういう意味で、「あきらめる」ためには、自身の往生際の悪さそのものを正視する手順が、たぶん必要なのだろうという気がします。
最後に――かつて愛読した山本素石(山釣りの達人で文筆家。筑摩書房から著作集全5巻が出ています)の随筆から、「春愁」の題を借りました。若くして逝った妻を哀惜する一文が、長い時を超えて余韻を響かせた事実を付記しておきます。
2 木岡哲学塾の活動状況
Ⅰ 木岡哲学対話の会
◎第2回の報告
日時:4月7日(日)13:00-16:00
会場:大阪駅前第三ビル17F第7会議室
テーマ:《法と正義》
1)哲学講話: 《法とは何か》
法は正義のロゴス。法とは何か、法は何のために存在するのかを、いくつかのテクストを引きながら、根本から考えました。
2)哲学対話:《わが裁判闘争》
親友の遺産相続をめぐるトラブルに主体的に関与した発表者が、裁判に至る経緯と判決までの流れ、裁判をつうじて得られた教訓を語りました。
Ⅱ 哲学ゼミ
2024年度の第2回を、次のとおり行いました。
〇日時:4月21日(日)13:00-16:00
〇会場:木岡自宅
〇プログラム
1)テクスト読解:
木岡伸夫『瞬間と刹那――二つのミュトロギー』(春秋社、2022年)「第三章 存在の根拠としての無」。
2)発表と討論:
魚住孝至『道を極める――日本人の心の歴史』(放送大学教材)についての報告および討議。
3)その他
各自の研究テーマについて、相談しました。
本ゼミについては、前回(3月)をもって高水準の専門志向に歩調を合わせた過去の運営方針を打ち切り、参加者の一般的なニーズに沿って共同討議ができるゼミとして、4月から再スタートしました。「テクスト読解」と「発表・討論」を柱とする方針は、以前と変わりません。参加費2000円。
Ⅲ 個人指導
〇会場:木岡自宅
〇開催日:月・水・金・日(上記イベント開催日を除く)の、午前(10時-12時)・午後(13時-17時)。事前予約制。
〇内容:学生・社会人を対象に、読書指導・語学指導・論文指導を行うほか、個々の希望に合わせて対応します。原則は、2~4週に1回、各2時間の指導。指導料3000円。
以上のうち、Ⅱ・Ⅲについては若干名の参加を受け付けます。希望される方は、次のアドレスまでお申し込みください。→n.kioka@s3.dion.ne.jp