毎月21日更新 エッセイ

風土学の最前線(1)――もうひとつの〈中〉へ

対話再開

直言先生:7月からお休みしていた対話を再開します。この間、お二人はいかがお過ごしでしたか。

中道さん:いやもう、この夏のヒドイ暑さで、何もできずに家でじっとしているだけの毎日でした。私よりも年長の先生は、無事に過ごされたのでしょうか。

直:八月は、恒例の山籠もり――別荘暮らし――で暑さから逃れましたが、向こうでも例年とは様子が変わって、夜中に窓を閉めて寝ることが難しい気温の高さで、温暖化がここまで進んでいるのかと驚きました。

猛志君:窓を閉め切って寝るなんて、大阪の夏じゃ考えられません。いつもそんなに涼しい所なのですか。

直:ええ、昼間は30度を超えることも珍しくはないが、夜は20度以下に下がるのがふつうです。ところで、君の夏休みはいかがでしたか。

猛:いくら暑くても、家にこもっていることはできません。休みの半分は、接客業のバイトで明け暮れ、稼いだ小遣いでキャンプに出かけたりしていました。

中:若い人は体力があるから、そんなことができる。うらやましいなぁ……。哲学の勉強はどうでしたか。

猛:お答えするまでもなく、全然ダメでした。この夏は、カントをじっくり読み込もうと思っていたのですが……

直:そうでしょう。この異常な暑さでは、ふつうの人なら、ものを考える気になれないでしょうからね。

中:とおっしゃると?先生はいかがでしたか。私のように何もしないのとは違って、いろいろ考えられたのじゃありませんか、「ふつうの人」とは違っておられるようですから。

直:大学に勤め出したころ、たまたま出かけた信州の田舎が涼しくて、仕事も遊びもできる環境に惚れ込み、夏は毎年そこで過ごすことにしました。歳をとって、遊ぶ体力はなくなっても、涼しい土地で仕事をする習慣だけは、捨てることができません。過去に発表した著書、論文の構想は、ほとんど八月の避暑中に考えついたものです。

猛:だとすると、『瞬間と刹那』以後、何か新しい著書の構想が、別荘で生まれたということでしょうか。

直:著書まで行くかどうかはともかく、書いてみたい大きなテーマが、最近になって具体化してきました。今回から始める《風土学の新機軸》のシリーズで、その内容を明かしたいと考えています。

中:風土学の「新機軸」ですか、なんだかワクワクしてきます。どういうテーマが取り上げられるのでしょうか。

直:一口に言うと、〈中〉の問題です。これをテコに、風土学の独自性と目標点をハッキリさせたいと考えています。

猛:先生の風土学では、〈あいだ〉が一番重要なキーワードになっています。〈あいだを開く〉というスローガンなら、これまでなじみがあるし、その意味はよく解ります。いま挙げられた〈中〉というのは、〈あいだ〉と同じ意味の言葉ではないのですか。

 

〈あいだ〉と〈中〉

直:ここで言う〈中〉と〈あいだ〉とは、同じではありません。これまでの著作では、ほとんど同じ意味に用いてきましたが、最近になって、二つの語を比べた場合の意味の違いに気がついた。そのうえで、これまで問題にしてこなかった〈中〉の意味に、こだわって考えてみようというわけです。

中:〈あいだ〉と〈中〉とでは、意味が違うとおっしゃる。それがどういう違いなのか、こちらに判るよう、ご説明をお願いします。

直:承知しました。二つの語が表す意味を、仮にそれぞれ一つの円で表すなら、二つの円が重なり合う図を描くことができます。二つの円は、部分的に重なるものの、ぴったり合致することはありません。想像してください。

猛:集合を表すベン図ですね、了解。

直:その図で〈あいだ〉を表す図と〈中〉を表す図とには、双方が重なる共通部分=ⓐ、〈あいだ〉だけに属する部分=ⓑ、〈中〉だけに属する部分=ⓒ、があります。三つの部分ⓐⓑⓒを説明することによって、二つの語の共通する点と異なる点が明らかになります。

中:お話はよく解ります。共通点と違いをおっしゃってください。

直:まず共通点のⓐから。わかりやすい例を出すなら、《between A and B》は、「ABの中間」とも「ABのあいだ」とも訳せます。ABの二つが存在するとき、〈あいだ〉も〈中間〉も同じことを意味します。

猛:〈中間〉と言った場合、「中」だけでなく「間」(あいだ)が加わっています。両者の〈中間〉とは言っても、両者の〈中〉とは言いません。

直:君らしいツッコミですね。そのとおり、〈中間〉の「中」は「真ん中」を表す。それが「間」と一体になって、英語《between》の意味を構成します。意味の近い〈中〉と〈あいだ〉が、たがいに結びつくことによって、「二つのものにはさまれた」空間が指示される、と理解することができます。

中:でも先生、私の理解する〈あいだ〉には、〈出会いの場〉という大きな意味があります。それは、どう考えたらいいのですか。

直:いま問題にしているのはⓐ、〈あいだ〉と〈中〉の共通部分です。あなたがおっしゃる〈出会いの場〉は、〈あいだ〉にあって〈中〉にない意味、ⓑのことです。

中:失礼しました。ⓐについての結論は、どうなりますか。

直:二つのものの存在を前提した場合に成立する、「二者を結ぶ空間」と言えばよいでしょうか。「中」と「あいだ」とは、ともに「二者の存在」を前提する点において、意味が共通するということです。

中:よく解りました。おっしゃるとおり、〈出会いの場〉が成立するのは、異なる二人が向かい合うことによってです。〈あいだ〉は、たしかに「二者の出会い」を前提します。

直:そう、それがⓑ、つまり〈あいだ〉にあって〈中〉にない意味になります。

猛:ってことは、「中」は「二者の出会い」がない場合でも成立する、ということでしょうか。そういう意味が、ⓒにあるということでしょうか。

直:そのとおり。〈中〉にあって〈あいだ〉にない意味とは、必ずしも二つのものを前提することがなくても存立する、〈中〉そのもの、ということです。

中:〈中〉そのもの、ですか。それは、はじめて伺うお話です。私の理解では、ABが存在するとき、AでもBでもない中間地帯が〈あいだ〉である。その意味の〈あいだ〉と〈中〉とはイコール。だから、〈中の論理〉と〈邂逅の論理〉とは、同じものだというように受けとってきましたが、そういう理解は間違っているのでしょうか。

直:間違いではありません。〈中〉と〈あいだ〉との共通部分ⓐに注目するなら、そういう理解になるのが当然です。しかし、〈あいだ〉にない〈中〉の意味ⓒを考えると、〈中の論理〉と〈邂逅の論理〉とを区別して考えなければならなくなる。ご存じのとおり、〈中の論理〉は、山内得立の考えたレンマの論理。私はそこからヒントを得て、〈邂逅の論理〉を考えついたわけですが、その時点では、〈あいだ〉と〈中〉とを分節化して考える必要がある、ということに気づいていなかった。その点を反省して、一から考え直そうとしているわけです。

中:《風土学の新機軸》は、その点に関係するということですね。やり直そうとお考えになっているのが、どういう問題なのか、くわしい説明をお伺いしたいものです。

猛:昨年出された論文に、たぶんそのあたりの問題が関係していると思うのですが、ポイントがまだよくつかめません。いつものように、講義をお願いします。

直:わかりました。昨年来、手がけてきたことを整理する意味で、私が現在抱えている問題の内容を少しご紹介しましょう。

 

講義:〈中間〉ではない〈中〉そのもの

ここまでの対話をつうじて、〈中〉には「二つのものの中間(あいだ)」という以外に、〈中〉そのもの、という別の意味があると申し上げていますが、ピンと来ない方もいらっしゃるでしょう。ふつうの用法では、〈中〉は《between》として、分けられた二者の中間を表すとされています。けれども、私たちが用いる〈中〉の熟語、たとえば「中正」「中庸」には、対立的な二者を前提することがなくても、それ自体で正しい物事のあり方、という意味合いが含まれているように感じられます。

中〉には、物事の〈あるべき本来の姿〉の意味が含まれているのに、そう受けとることが難しい事情があります。たとえば、よく用いられる「中道」――中道さんのお名前を、例に挙げます――という語。「中道」を謳う政党が、現にいくつか存在しますが、世間はその存在をどう受けとめているでしょうか。政治の世界で「中道」というのは、保守対革新、右対左といった対立のいずれにも立たない、中間の立場、として理解されています。当の政党は、是々非々の立場を掲げるものの、状況次第でどちらにも転ぶ風見鶏ではないか、といった批判がよく聞かれることは、ご承知のとおり。当の政党が、「中道」をプロパガンダするさいに、右でも左でもない政治の王道を歩む、という方針の意味を世間に浸透させることができなかったからです。そういう事情もあって、とかく左右の対立が表立つ、二極対立的なこの国の政治状況で、「中道」を唱えることは、どっちつかずのあいまいな立場、というネガティヴな受けとられ方しか生まないことになるのです。

「中道」とは、両極の中間ではなく、「道に中(あ)たる」、つまり〈それ自体として正しい行き方〉を意味します。中国の思想では、〈中〉は〈道〉とセットになって、積極的な道徳の理念を表します。とりわけ儒教では、道徳の中心に〈道〉が位置づけられ、その〈道〉に沿うあり方が〈中〉で表されているのです。この意味における〈中〉は、ふつうにイメージされる〈二つのものの中間〉とは違って、〈それ自体として正しいあり方〉を指すことに、注意しなければなりません。

いま挙げた後者の方を、あえて「もう一つの中」と呼ばなければならない事情について、少し説明しましょう。私が最も大きな教えを受けた山内得立『ロゴスとレンマ』(岩波書店、1974年)では、東洋的な論理として「テトラレンマ」(四つのレンマ)―― A(肯定)、 非A(否定)、 Aでも非Aでもない(両否)、 Aでも非Aでもある(両是)、という四つの論理形式――を挙げています。四つのレンマのうち、は肯定と否定の「どちらでもない」(両否)、は「どちらでもある」(両是)、と規定されています。山内は、このように「どちらでもないがゆえに、どちらでもある」というのが、〈中〉のあり方であるとして、のレンマを「中の論理」と名づけました。それに加えて、「中の論理」は〈中〉の論理的地位を認めない西洋のロゴスの論理に対して、〈中〉を認める東洋的(仏教的)なレンマの論理である、という考えをうちだしました。私は、この考えを知って、西洋と東洋には違った論理の型がある、というその主張を全面的に受け容れ、自身の風土学にそれを取り入れてきた経緯があります――拙著を読まれた方なら、ご存じのとおりです。

しかし、昨年発表した「「中の論理」再考」(HP「活動実績」を参照)において、私は長年支持してきた山内のこうした考え方に、はじめて異を唱えました。それは、テトラレンマにおいて、「 肯定」「 否定」に続く「 両否」「 両是」が、肯定と否定という形の二者の対立を前提したうえで、それらの中間を規定する、という手順がとられていることに対する違和感です。このやり方は、ロゴス的な論理と対比されるはずのレンマが、それ自体、ロゴス的な思考に根本から制約されていることを物語ります。これでは、レンマはロゴスに対立するどころか、ロゴスに従属するオマケのようなもの、もしくはロゴスの〈修正版〉にすぎないもの、になってしまう。このような不満を表明して、山内の提出した「中の論理」とは異なる、もう一つの「中の論理」を考える必要があるのではないか、という批判を提起しました。これが、昨年公表した論文二篇中の第一作「「中の論理」再考」の趣旨です。

それ以後、私が考えてきたことは、「もう一つの中」をどのように具体化するか、という問いに答えることでした。それに続いて、昨年中に続篇、今年に一篇の論文を発表した現時点で言えることは、「もう一つの中」が、哲学にとって抜き差しならない重要性をもつということ、しかもその意味での〈中〉は、ふつうの意味での「論理」によっては表現しがたい、という事実に気づいたこと、この二点です。今回は、ここまで申し上げた以上のことに踏み込むことはできません。というか、避けたいと考えます。お二人との議論をつうじて、説明不足を補うことに注力したいと思います。

中の「論理」をめぐって

直:今回の講義で、お名前の意味に関する詮索をさせていただきましたが、どんな感想を抱かれましたか、中道さん。

中:「中道」が、対立する二者の中間ではなく、それ自体として「正しい道」を表すという講釈は、学生時代に偉いお坊さんから聞かされたことがあります。仏教の根本真理が中道であるということ以外、内容は記憶に残っていません。それよりも、友人同士の言い争いに割って入ったときに、お前は中道やからなあ、といった皮肉な反応を返されることがありました。

直:対立を調停するためには、妥協案を示す必要があります。しかし世間では、妥協することをよく言わない習慣が、根強くはびこっています。

猛:「妥協について」というテーマが、以前、《あいだに立つ》シリーズの第1回(202112月)で取り上げられたことがあります。今回の講義では、〈中〉そのものの正しさを強調されたわけですから、「妥協」や「調停」の問題は関係ないのじゃありませんか。

直:そんなことはない。二者の〈あいだ〉に立つことと、〈中〉そのものの意味する正しさには、根本的なつながりがある、と私は考えています――それがどういうつながりであるのかを、これから究明しなければなりません。仏教における「中道」の位置づけは、そのための非常に重要な手がかりです

猛:そうですか、わかりました。そのこととは別に、講義の最後の方で言われたことが、僕の頭に引っかかっています。

直:何でしょう、〈中の論理〉に関する疑問でしょうか。

猛:ええ、「もう一つの中」は、論理によっては表されない、と言われたその点です。〈中〉を哲学的に追究しようとするなら、その意味を論理化しなければならない、ということになるのではないでしょうか。

直:おっしゃるとおり。だから山内は、レンマの論理をロゴスの論理に対抗させる形で、〈中の論理〉を表現したわけです。

猛:だったら、その〈中の論理〉では表されない「もう一つの中」の論理を立てるというのが、本来の筋ではありませんか。「論理」を用いないことには、〈中〉を哲学のテーマに取り入れることは不可能です。

直:君の意見は、「哲学」(フィロソフィー)一般の立場を代表するもので、言い分はよく解ります。私が言いたいのは、西洋が中心の哲学の世界で「論理」(ロジック)とされてきた思考形式では、「もう一つの中」の本質を言い表すことができない。だから、ロジックとしての論理に替わる何らかの形式を考えなければならない、ということです。

中:論理に替わる何らかの形式、とおっしゃいました。その形式とは何でしょうか。

直:「ことば」と訳されたり、「論理」と言い換えられたりもする「ロゴス」が、それに当たると考えます。あえて日本語に訳すとすれば、「ことわり」(理)ということになるでしょう。

猛:「ロジック」ではなく、「ロゴス」ですか。ロゴスとロジックとでは、いったい何が違うのですか。僕には違いが判りません。

直:君の追及に答えられるかどうかが、今回の対話の急所になります。君に納得してもらうためには、ロジックとしての論理が、どういう仕方で生まれてきたかに、目を向けることから始めなければなりません。今回も思考実験に付き合っていただけるかな。

猛:望むところです、喜んでお付き合いします。

 

哲学の三つの伝統と論理

直:君は、野田又夫『哲学の三つの伝統』(岩波文庫、2013年)を読んだことがありますか。

猛:その本は、先生がよく言及されているので、購入して持っています。でも、恥ずかしながら、目を通していません。

中:私の方は、その本の中で、書名になっている「哲学の三つの伝統」だけ読んだことがあります。

直:結構です。そこに書かれていたことの中で、何か印象に残っていることがありますか。

中:心に残っているのは、古代のギリシア、インド、中国に、ほぼ同時に哲学が誕生した、三つの伝統は、たがいに独立に発展した、というような内容です。

直:正確に記憶されていますね。で、その三つの伝統が、対等同格の関係であったということについては?

中:よく覚えていませんが、以前そういう意味のことを、先生の口から説明されたような記憶があります。

猛:本を読んでいない僕も、先生からそのあたりの説明を伺ったことは覚えています。その中に、論理に関する言及があったと思います。

直:まさに、そこがポイントです。野田先生は、三つの伝統は違った論理の型によって特徴づけられる、と書かれているのですが、その区別ができますか。

猛:三つの論理ということは、覚えています。たしか、「論証法」「弁証法」「修辞法」という分け方がされたかと。

直:ならば、君が「論理」として意識するロジックは、古代ギリシアに発する論証法の流れに属するということも、お分かりでしょう。ちなみに、弁証法はインド、修辞法は中国の伝統を特徴づけるとされています。

中:論証法・弁証法が論理だというのは、そのとおりかと思いますが、修辞法はレトリック、〈表現の綾〉みたいにイメージされるレトリックが、はたして論理なのでしょうか。

直:野田先生の真意はともかく、古代ギリシアで生まれた哲学の伝統に、三つの論理の型が共存していたという事実が、先生の頭の中にあったと思われます。弁論術を教えて回るソフィストは、もっぱらレトリック(修辞法)を使用し、これを攻撃するソクラテスは、一問一答式のディアレクティック(問答術、弁証法)によって、それに対抗する。そういう中で、ソクラテスの弟子プラトンや、その弟子アリストテレスは、厳密な思考法であるアポディクティック(論証法)の開発を行った。これら三つの論理のせめぎ合いが、哲学の現実であるということを、古代ギリシアから見てとられたわけです。

中:そういうギリシアと、インド、中国との違いは、どういうことになりますか。

直:インドでは弁証法の段階まで進み、中国では修辞法の段階にとどまった、というのが野田説の趣旨。ギリシアから始まる伝統を継いだ西洋のように、三つの論理のタイプが哲学のうちに共存する事態は、中国でもインドでも生じなかった、と指摘されています。

中:そういうことなら、哲学の三つの伝統が対等同格であるという見方には、留保が必要になりますね。西洋哲学の伝統が、他の伝統にはない論理の展開をつうじて、世界を制覇したという現実が突きつけられているわけですから。

猛:僕も、三つの伝統が対等同格だなんていう言い方は、ウソっぽいと思います。弁証法を論理の一種に数えることはできても、修辞法が論理であるなんてことは、哲学をやっている者は、誰も認めない話です。カントから論理の意味を教えられた僕自身、論証法的なロジック以外に論理はない、と考えています。

直:それが、哲学を知る人のふつうの考えだと思います。それを認めたうえで、君にお訊ねしたいのは、野田先生が論証法以外の弁証法・修辞法まで含めて、「論理」であるとおっしゃったのは、どうしてかということです。

猛:中国にも哲学があり、インドにも哲学があることは、大学に中国哲学やインド哲学のコースが置かれていることから明らかです。西洋にしか哲学がない、なんていう思い込みをうち破るために、西洋とは異なる型の論理を挙げられたのではないかと思います。

直:自分がもっと若かった頃は、いま君が言われたのと同じように考えていました。西洋中心主義を批判するために、三つの哲学の伝統を区別し、それぞれを特徴づける論理の型を区別しようとされたのだ、とね。

猛:そうじゃないのですか。それ以外の理由があるというのなら、それは何ですか。

直:君は先ほど、論証法以外に論理はない、という考えを口にしましたね。そういう考えなら、弁証法や修辞法を論証法と同格の「論理」であるとは言えなくなる。違いますか?

猛:そう思います。三つの論理は、同格だとは言えません。

直:だったら、異なる論理を追究する三つの地域――西洋、インド、中国――の哲学も、対等同格だとは言えなくなるし、西洋中心の立場は揺るがないということになる、どうですか?

猛:……

中:すみませんが、チョット口を出させてください。三つの伝統には、それぞれを代表する論理の型がある、と言われたことの意味は、私にも解ります。けれど素人考えですが、哲学の論理というものが、一つだけで足りるとは思えません。論証法・弁証法・修辞法という三つは、独立してあるのではなく、たがいに結びついている。先生は、さっきギリシアの哲学を例に挙げて、そういうことをおっしゃったのではないでしょうか。

直:そうです。私の話のポイントをよくつかんで聞いてくださったことに感謝します。

中:ソフィストの論理がレトリック、それを攻撃するソクラテスの論理が弁証法(ディアレクティック)、その後に続いたプラトン・アリストテレスの論理が論証法(アポディクティック)。たしか、そういうふうに区別されましたね。

直:そう、そのとおり。古代ギリシアだけではなく、その後、中世から近世にかけて、西洋哲学は、これら三つの論理の対立・葛藤を演じながら、近代を迎えたということが、この本に収められた別のテクスト――「西洋哲学と東洋哲学」や「ヨーロッパ人の世界像の変遷」――にくわしく書かれています。それを読むと、西洋が三つの論理すべてを含む形で、フィロソフィーとしての哲学を展開したのに対して、インドや中国では異なる論理同士の葛藤が生じなかった、という事実が浮かび上がってきます。

 

論理化されない〈中〉へ

猛:いまのお話から、哲学の「三つの伝統」の特徴や違いが、呑み込めてきました。異なる三つの論理は、どれか一つではなく、三つとも哲学にとって不可欠である、ということが書かれているわけですね。

直:野田先生の真意は、三つの論理をすべて内包した西洋哲学の経験を、日本やほかの地域は謙虚に学ぶべし、というところにあったと考えます。

猛:なるほど。ここで、僕が先ほどお訊ねした問題に戻ってもよいでしょうか。山内得立の提起した「中の論理」に対して、先生の挙げられる「もう一つの中」は、「論理」では表せないとされた。それはどうしてか、という問題です。

直:今回のキーポイントに戻ってきましたね。先ほどのギリシア哲学の例が、説明するのにちょうどよい。ソクラテスがアテネのアゴラ(広場)で通りかかる人々を呼び止めて、一問一答式の対話をしかけたことは、ご存じですね、中道さん。

中:よく知っています。先生は先ほど、それが弁論術を教えて回るソフィストのレトリックに対抗するディアレクティックである、と言われました。

直:一問一答の形式では、訊かれたことに対して、「イエス」か「ノー」かの二択で答えなければなりません。「弁証法」とも「問答法」とも訳されるディアレクティックの特徴は、物事の真偽を肯定もしくは否定のいずれかによって決するところにあります。

中:ということは、ディアレクティックでは、「どちらでもない」とか「どちらでもある」といった中途半端な答え方は許されない、ということになりますか。

直:そうです。ギリシア語で「対話」を意味するディアロゴスは、「二つのロゴス」。ロゴスとロゴスとがぶつかった場合に、どちらかが正しく、どちらかが間違っている、という結果を導く方式が、ディアレクティックになるわけです。

中:それなら、ディアレクティックを行う場合には、〈中〉というものは認められなくなるのではないでしょうか。

直:理屈を通そうとすれば、当然そうなります。ただし、実際に行われる対話では、答えを決めかねて右往左往したり、話題を変えてごまかそうとしたりする場合が、ふつうに生じます。日常会話は、哲学ではありませんから。

猛:ハハーン、するとそういう対話から、きっちりした二値論理の形式に移行したものが、アポディクティックの形式論理だと。プラトンやアリストテレスがうちたてた論理は、そんなふうに理解できるということですね。

直:お察しのとおり。会話のディアレクティックでは、「どちらでもない」とか「どちらでもある」といった言い方で、〈中間的なもの〉の余地が残される――それを具体化したのが、山内の言う「中の論理」です。しかし、そういう中間的なものを一掃することによって、厳密な論理としての論証法が具体化する。そうなってしまえば、「排中律」――文字どおり、二者の中間的なものを認めない原則――が示すように、論理の世界から〈中〉は抹消されてしまうわけです。そういう論理に対して、山内得立が「レンマの論理」によって〈中〉を主張したのは、この文脈で言えば、アポディクティックをディアレクティックの線に引き戻す狙いからであった、と総括できるでしょう。

猛:解りました。しかし、「中の論理」が表せない「もう一つの中」は、ロジックでは表せないけれども、ロゴスによって表現されるというのは、どうしてでしょうか。

直:それ自体として正しい物事のありようが、〈中〉である。このことは、二分法に立脚する西洋的な論理(ロジック)では表現できないが、対照的に中国では、昔から道徳の原理として、さかんに言い表されてきました。その表現を「ロゴス」と呼びたいわけですが、その理由にこれ以上立ち入ることはできません。今回は、ここまでで終わりにして、この問題を引き続き考えていくことにしましょう。

中・猛:了解しました。よろしくお願いします。

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