毎月21日更新 エッセイ

日本を問う(4)――ベルクの場合

ベルク氏とのご縁

直言先生:過去3回、日本人哲学者和辻哲郎と九鬼周造、作家の坂口安吾を取り上げて論じてきました。しかし、日本人だけが「日本を問う」わけではありません。外国人でありながら、日本に深い関心を抱き、日本とは何かを問い続けた人もいます。日本の外にいながら、日本を問いつづけた、いや問いつづけている人、と言えばだれがイメージされますか。

猛志君:オギュスタン・ベルク、先生の風土学に影響を与えてこられた方。

直:やはりそう思われましたか。今回、ベルク先生にとって日本を問うことにどんな意味があるのかをテーマにしたいと思います。よろしいでしょうか。

中道さん:もちろんです。先生がベルク風土学から大きな影響を受けてこられたことからすると、このシリーズでベルク先生を取り上げられるのは当然のことと思います。チョット意外な気がするのは、先生が最近書かれるものの中に「ベルク」という名が見当たらないのは、どうしてだろうかと。そんな風に感じていました。

直:そうですか。言われてみると、そうかもしれません。自分自身の風土学を展開するようになるまでは、ベルク風土学が目標であると同時に、一つのカベ。何とか自分の道が切り拓けるようになった2010年代以降は、その分、ベルク先生に言及する機会が減ってきたということになりますかね。

猛:僕の受ける印象では、ベルクに代わってひんぱんに登場するようになったのが、山内得立。対決する相手が、ベルクから山内に替わった。そういうことではないでしょうか。

直:言われたことには、一理あります。2010年にかかるころ、ベルクと私は二人とも、ふとしたきっかけから山内の著作と出会った。ちなみに、ベルクが出会ったのは『ロゴスとレンマ』、同じころ私が読み出したのは『意味の形而上学』。別々のテクストでありながら、ほぼ同時期に山内の哲学に興味をもつようになったのは、偶然と言うほかありません。このあたりのことは、以前、エッセイに書いた記憶がありますが……

中:私にも、それを読ませていただいた記憶があります。でも、その内容は覚えていません。要点を繰り返していただけると助かります。

直:ベルクにとって、山内の説くレンマの論理は、自身の背骨である西洋の論理を照らし出す鏡になった。私にとってレンマの論理は、そこから日本や東洋の思想をとらえ直すきっかけになった。山内との出会いについて、簡単にまとめると、そういうことになります。

中:よく解りました。ベルク先生にとって、山内との出会いは、〈日本を問う〉ことにつうじる大きな意味があったと。そう理解してよろしいのですね。

直:ええ、そのとおり。ですが、1942年生まれのベルク氏が山内を知ったのは、60代も後半、それまでの日本研究をつうじて、彼自身の学問であるメゾロジー(風土学)をほぼ完成した時期のことです。彼がどのように日本を問うたかについては、青年時代の日本との出会いまでさかのぼって見きわめなければなりません。

中:ベルク先生が、なぜ日本を問うことになったのか。その始まりから、生涯を振り返って見ていこうということですね。了解しました。

日本との出会い

直:フランス人であるベルク氏が日本研究に向かったのは、偶然のきっかけからであって、最初からそれを希望したわけではありません。

中:「偶然のきっかけ」とは、どういうものですか。

直:パリ大学地理学第三課程を修了した後、国家博士の学位をめざして留学しようと考えていたベルク氏に、日本留学を勧めたのは父親(ジャック・ベルク、著名な言語学者)であった、ということを『風土学はなぜ 何のために』(拙訳、関西大学出版部、2019年)の中で回想しています。父が日本行きを勧めた理由は、かつて自身が東洋学者になりたかったからだと。しかしベルク氏は、そのころ日本よりも中国への留学を希望していたと書いています。新疆など、西域に憧れがあったとのこと。ところが、その夢を断念しなければならなくなる事情が発生しました。何だか分かりますか、猛志君?

猛:分かりません。中国に対する関心を失わせるような事情が生じたのでしょうか。

直:60年代後半に中国全土を覆った文化大革命が、ベルク氏の中国行きを断念させたのです。そのために1967年秋、日本研究に方向転換したということが、『風土学はなぜ…』に綴られています。

中:ということは、もしそういう事情がなかったら、ベルクさんは日本に来なかったかもしれない、ということですね。日本に来なかったら、風土学を手がけるという人生も実現しなかったわけですね。

直:少なくとも、現在私たちが知るような形での風土学(メゾロジー)を考えつく機会は、生じなかった公算が高い、ということは言えると思います。

猛:そういう話を聞くと、学問というのは偶然の産物なのかな、という気がします。日本に来たことが、必然ではないというのですから。

直:偶然がはたらくことによって、一つの学問が生まれることがある。それは、君の言うとおり。しかし、それだけでは説明のつかない事情、風土学の成立が必然であった、といえるような事情もあります。

猛:風土学の成立には、偶然ばかりではなく必然性があったと。それは、どういうことでしょうか。

直:本人の心の中に、結果として形になることを求めてうごめいている欲求がある。その欲求は、学問が生まれるための〈必然〉です。しかし、それがいつどういうきっかけから、形になって表現されるかは、〈偶然〉によるのです。

猛:つまり、日本への留学は、元からあった欲求が形になるきっかけだった、とおっしゃるわけですね。その元からあった欲求とは、何でしょうか。

直:自分が生まれ育った西欧社会の考え方に対する疑問、というか違和感です。

猛:どうしてそれが、日本に来ることで形になったのでしょうか。

直:簡単に言うなら、他者という〈鏡〉に自分を映してみることによって、おのれのうちに潜んでいたものの正体が明らかになったからです。

中:すみません。「他者の鏡に自分を映す」という比喩の意味がよく分かりません。具体的に言うと、どういうことでしょうか。

直:「他者の鏡」が、日本人の生き方、考え方を指していることは、お判りでしょう。日本人のものの見方は、自分とは異なる。フランス人である自分自身の考え方は、それと異なる日本人の思考と突き合わせることによって、そうか、そうだったのかという仕方で、腑に落ちるということです。

中:日本人とフランス人とで、考え方が違うというのは、どういうところでしょうか。

直:よくご存じの言葉で言うと、二元論であるのがフランス、二元論でないのが日本、という明確な違いです。

猛:日本人は二元論ではないと。そうベルクが言っているのですか。

直:『風土学は…』の「第四章 通態化」の中で、そのことを明言しています、「風土性は二元論に異を唱える」(42頁)と。「風土性」は、ベルクが日本留学後、和辻哲郎の『風土』などから学んだ思想で、二元論が中心であるフランスにはない考えです。「風土性」という言葉が、もともとフランス語にはないので、それをどんな風に表現するかに苦労したということを、いろんな機会に書いています。

中:へー、「風土性」という言葉がフランス語になかったと。では、「風土」は?当然、フランス語にあると思うのですが。

直:いや、ありません。正確な意味で「風土」に当たる言葉は、フランス語には存在しないのです。

中:もしそうだとしたら、風土学に関するヴォキャブラリーはどうなるのですか。たしか『風土』は、フランス語に翻訳されていますよね。

直:ベルク訳が刊行されています。その中で、「風土」に対しては、「ミリュー」(milieu)という訳語が充てられています。ミリューは物理学の用語として、媒体・媒質を表しますが、「環境」という訳もできる。風土の意味を表すのに、他の語よりも適当だと考えられるのです。

中:「環境」と「風土」とでは、いったい何が違うのですか。

直:環境(英語environment)は、二元論の用語で、中心にいる主体の周りを取り囲む客体を表します。デカルトがうちたてた主客二元論に一致する用語です。それに対して、風土は、主体と客体とが分けられないような仕方で結びついているあり方を表します。自然を、人間に対立するものとして人間から切り離さない考え方をするのが、風土の概念です。

中:「風土」の第一章に、「寒さの中へ出ている」というような表現があったと記憶しています。それが二元論ではないあり方になるのですか。スッキリ頭に入る言い方ではないような印象を受けました。

直:そうでしょう。和辻が勉強したのは、現象学。デカルトを受けついだフッサールが築いた理論ですから、「志向性」のように二元論的な用語が使われる。志向性による現象として説明するために、「寒さの中へ出ている」というようなケッタイな言い回しをとらなければならなくなるわけです。

非二元論という鏡

直:「他者の鏡」に話を戻しましょう。ベルクは、自分が二元論の世界を生きているという事実を、非二元論的な日本と出会うことによって自覚した。このことが、日本という他者の鏡に自分の姿を映す、という比喩のもつ第一の意味です。

中:「第一の意味」とおっしゃるのは、他にも意味があるということですか。

直:〈自分は二元論の世界に生きている〉という自覚が、第一の意味。もう一つの意味は、それと同時に、〈自分は非二元論に近しさを覚える〉という認識が成立するということです。

中:非二元論に近いということは、日本人の考え方に近いということですね。フランス人よりも日本人の方が、自分と思想的に近いのであると。

直:そう思われますか。日本人が非二元論を生きていると知って、自分と二元論とのあいだに距離ができる。それは確かですが、他者の考え方がただちに自分に近いと言えるかどうか。日本人は〈他者〉なのです。そんなに接近できたのでは、日本人は他者とは言えなくなるのではないですか。

中:ということは、二元論に対して距離を感じるようになっても、そのまま非二元論に一致するというわけではないと。ややこしいですね、そういう中間的な立場というのは。

直:一つ、例を挙げましょう。最初の日本論と言える『空間の日本文化』。その中でベルクは、主語のない日本語の世界に驚いた体験を紹介しています。日本映画に、戦争下の病院が出てくる。その中にとどまっている若い看護婦に、男性の医師が訊ねる。君は、どうしてここから逃げないのか、と。すると、看護婦は医師に背を向けたまま一言、「好きです」と。だれでも場面の想像がつくでしょう。英語なら“I love you.”と必ず主語がつくべき表現が、日本語では誰が誰を好きなのかが、口に出されなくてもすぐ判る。ベルクは、そういう日本人のふるまいを「場所中心主義」と呼んでいます。

中:確かに、説明されなくても、場面の意味はすぐ分かります。それは、ベルクさんが日本人のふるまい方を批判的に見ている証拠でしょうか。

直:さて、「批判的」というべきかどうか。日本人は自分たちとは違うというように、距離を置いて見ているということは言えるでしょう。

中:となると、ベルクさんにとって、日本はどういう存在になるのでしょうか。自分を映す鏡として重要だけれども、そうかと言って、自分がそれと一体化できるような存在でもない。となると、何だかややこしい感じがします。

猛:ややこしいでしょうね。日本通の外国人の多くが、言葉には出さなくても、ベルクさんと同じようなシチュエーションに身を置くのではないでしょうか。いま思いつく人物としては、ほら、このあいだまで朝ドラに登場していた……

中:『ばけばけ』ですか、小泉八雲と日本人の妻セツが出てくる。

直:そう、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが、そういう人物だと思います。

猛:僕はたまにしか見ていないのですが、東大を辞めた後、『怪談』のような日本に関する作品を発表したのは、どうしてだろうか、ということが気になりました。単なる日本愛好者のふるまいのようには思えないのですが……。

直:私の想像に過ぎませんが、『怪談』その他の作品は、ベルクの日本論に近い性格をもっているのではないでしょうか。共通点は、日本を鏡として、自己の姿をそこに映し出そうとした点です。

猛:ということは、〈日本を問う〉ことをとおして、〈自己を問う〉ということですね。

直:そういうことです。外国人による〈日本探し〉は、必ずその反面に〈自分探し〉を伴っている。ベルクの日本に関する著作は、すべてそういう両面を表していると言えます。

猛:日本を知ることが、自分を知ることにつながる。それは、ベルク風土学で言う「通態化」に関係するのでしょうか。通態化はメゾロジーのキモだと思うのですが、まだよく解りません。

直:そうですか。それではこの機会に、「通態化」という考え方を少しレクチュアすることにしましょう。

講義:「通態化」とは何か

『風土の日本』(訳書刊行は、1988年)のように、早い時期に書かれたベルク著に出てくる「通態化」の説明は、とても難しくて、猛志君が言うとおり、よく解りません。ここまで議論してきた本人と日本との関係を頭において、その意味をできるだけ解りやすく説明してみましょう。

「通態」(trajet)というのは耳慣れない言葉ですが、もとの意味は「往き来」、行ったり来たりすることです。ベルク氏本人は、そんなことを書いていませんが、私はフランスと日本とを文字どおり「往き来」する経験が、「通態化」のアイディアを生んだのではないかと感じています。たとえそういう事実がなかったとしても、そう考えた方が、通態化の意味を理解しやすくなることは確かだと言えます。

どういうことでしょうか。フランス人研究者として来日し、日本でのさまざまな体験をつうじて、フランスを客観的に見ることになる。日本に来ることによって、フランスから距離をとるわけです。しかし、だからと言って日本人になるわけではなく、やがて本国に戻ってくる。そうなると、それまでなじんでいた日本が、こんどは遠い存在になり、いまいるフランスとは違う異国であったということが思い返される。フランスと日本とを往き来するベルク氏の生活は、二つの異なる文化を体験しながら、そのいずれとも距離をとる生き方だと考えられます。

それは、自分の位置する〈中心〉が二つあって、そのどちらか一方ではなく、両方を往き来する生き方だと言えるでしょう。以前、私は、そういうあり方を〈脱中心化〉と〈再中心化〉として言い表したことがあります。そのとき私の頭にあったのは、和辻哲郎。和辻はヨーロッパに留学することで、いったん日本という中心を離れる(脱中心化)。そうして、留学先のヨーロッパが新しい中心になる。しかし、ヨーロッパに滞在した後、また日本に帰ってくる(再中心化)。こういう〈脱中心化〉と〈再中心化〉のプロセスが、『風土』という前例のない作品を生み出したという解釈です。

一度きりしか留学しなかった和辻の場合に比べると、ほとんど毎年のように日仏を往来するのが習いであったベルク氏の場合、一つの中心だけに属するふつうの人とは違って、二つの中心の〈あいだ〉を往き来するパターンが常態化します。それはまさしく、ベルク理論の核心である「通態化」を、氏自身が実践しているということです。何を言おうとしているのか、お解りいただけるでしょうか。

繰り返すと、異なる二つの項を往き来するあり方が「通態」、たがいに対立するように見える二つの立場に通態をうちたてることが「通態化」です。二元論と非二元論のように、たがいに相容れない考え方に対して、そのいずれかのみにコミットするのではないような仕方で、双方に関与すること。それは、おのれを二元論者とすることも、非二元論者とすることもしない、そのどちらでもなく、どちらでもあるという仕方で、双方の〈あいだ〉に立つことです。こういう発想は、日本とフランスとの〈あいだ〉に立つ生き方を自らに課したベルク氏のアイデンティティそのものだと言えるでしょう。

来日してから和辻の風土学に接し、その刺激を糧として、自身の風土学即ちメゾロジーの開拓に向かったベルク。「通態化」の思想は、比較的早い時期に生まれたようですが、日本はもとより彼の属する西洋の思想的伝統から多くの養分を受けつつ、成長発展を遂げてゆきます。そうした中で、2010年にかかる頃に生じた山内得立『ロゴスとレンマ』との出会いには、大きな意味がありました。というのも、「二つの立場のどちらでもなく、どちらでもある」通態化の考えは、そのまま山内の「レンマ的論理」に重なるからです。ベルクは、山内哲学に自身のメゾロジーの強力な援軍を見出しました。以後の氏は、レンマの考えを取り入れた通態化の理論を展開していきます。ただ講義は、これまでとします。お二人にとって興味のある点については、ここから対話で明らかにしたいと思います。

その後の展開

直:いかがでしたか。「通態化」が何を意味するのか、いまの講義で理解していただけたでしょうか。

中:自分なりにポイントはつかめたように思います。来日して日本という風土に身を置いたことが、通態化の考えを生み出すきっかけになったという説明は、伺ってなるほどそうか、と納得させられました。

直:繰り返しますが、講義で説明したことは、私の推測。ベルクさん本人が、そのように語っているわけではありません。その点、誤解のないようにお願いします。

中:分かりました。でも、自分の国と異なる風土とにまたがって生きるという経験は、海外の駐在生活が長かった私にとって、他人事ではありません。通態化とは、そういうことだったのかと、目から鱗が落ちる気がしました。

猛:複数の風土にまたがって生きるという経験は、僕にはありません。しかし、そういう経験が通態化につながるという先生の解釈は、なるほどとうなずける気がします。

直:その解釈は最近考えついたことですが、君からそう言っていただけることはありがたい。何か質問したい点はありませんか。

猛:最後の方で、ベルクが2010年頃にレンマ的論理にふれて、それを通態化の考えに取り入れたと言われました。そこから、どういう理論が展開していったのかを知りたいと思います。

直:了解。レンマを知ってから、通態化という考えがどう変わったのか。二つの立場を往き来するというだけなら、「通態性」という概念で説明できます。しかし、そのころから、ベルク氏が「通態的現実」という言葉で言い表すようになったのは、変化しない固定的な通態性のあり方ではなく、歴史的に変化発展する通態化のあり方です。私がご本人の要請を受けて訳した『風土学はなぜ……』の「第六章 通態的な連鎖」の中で、その考えが語られています。

中:先生が訳されたその本、まだ読ませていただく機会がありません。ベルクさんの考えが変わったとすれば、レンマの影響によるということでしょうか。

直:それも一つですが、山内を知る前に、ドイツの生物学者ユクスキュルの環境についての考え方を知ったことが重大です。メゾロジー(milieu[風土]についての学問)は、語源的に言って「環境学」ですから、生物の世界を「環世界」(Umwelt)として物理的な環境(Umgebung)から区別したユクスキュルの考えが、重要だとしてメゾロジーに取り入れられました。

猛:『生物から見た世界』というユクスキュルの本は、生物学の先生から薦められて読んだことがあります。ダニにはダニに固有な環境が存在する、という話が面白かったのを覚えています。

直:それはよかった。人間の世界に「風土」つまり人間特有の環境が存在するように、生物種にはそれぞれに固有な環境が存在する、という思想がその本に述べられています。ベルク氏は、和辻とユクスキュルの二人をメゾロジーの先駆者に数えています。

中:ユクスキュルのいう「環世界」は、「通態的な連鎖」とどうつながるのでしょうか。

直:生物主体は、その置かれた状況に合わせて、自分の生きられる環境を変化させていくことができる。それは、人間という種が、時代や社会の状況に応じて環境の意味を変えていくという考えにつながります。「環境が変化する」とよく言いますが、それは主体にとっての環境の意味が変わるということです。そこから「通態的な連鎖」という考え方が生まれてくるのです。

中:すみません。おっしゃることの意味を、こちらが理解できるように具体的に説明していただけないでしょうか。

通態的な連鎖

直:承知しました。私たちは、現実を解釈して、「SPである」(S is P)と判断します。ベルク氏の挙げる例で言えば、何かあるものを別の何か「として」見立てるということがある。琵琶湖を「近江八景」と呼んで、中国の洞庭湖近くの「瀟湘(しょうしょう)八景」に見立てる。琵琶湖を洞庭湖「として見る」というのは、「琵琶湖(S)は洞庭湖(P)である」(S is P)という述語づけを行うことである。20世紀の終わりに書かれた『風土学序説』で示されたこういう考えが、2000年代に入り、『ロゴスとレンマ』に出会ったころから、主語Sと述語Pとの関係が、歴史をつうじてダイナミックに変わってゆく、という考え方になるのです。

中:主語と述語との関係が変わると。何がどう変わるのでしょうか。

直:「現実(r)は、PとしてのSである」(rS/P)という定式が立てられます。「SPとしての通態化」とも言い換えられるこの定式は、主語である何かを把える述語が、時代や状況によって変わっていくことによって、/r˝=S˝/P˝、というように、次々に変化するというわけです。こういう言い方で解りますか、猛志君?

猛:よく解りません。述語がそのときどきに変わるというだけなら、歴史的変化ということで理解はできます。でも、その定式では、述語に関係する主語Sが、述語とともに変化すると考えられる。それだと、主語の同一性はどうなるのでしょうか。

直:〈主語述語〉の関係性が変わっていく。したがって、現実(r)の意味も変わっていく。そのことが、「現実の通態的な連鎖」という言い方で、ベルク氏が言おうとしている事柄なのですが、いかがでしょうか、中道さん?

中:申し訳ありませんが、私にはチンプンカンプンです。山内の「レンマ的論理」は、いま説明された通態化とどう関係するのでしょうか。

直:おっしゃるとおり、とても解りにくい説明です。実は、私自身、このあたりのことが説明されている第六章と最後の第七章、訳そうにも理解ができなくて、翻訳を投げ出したくなることがありました。レンマに関しては、S/Pは、「本来の意味で実体でも関係でもないが、実体的でありながら同時に関係的でもあるような」現実だとされています。実体と関係について、テトラレンマの「両否」と「両是」に相当する、という解釈が行われています。

猛:「実体」と「関係」とが矛盾する概念だというのは、現代物理学の動向を見れば、ある程度呑み込めます。しかし、現実を表す定式が、両否と両是によって説明されるというあたりの事情が、どういうことだかピンと来ません。どうして、レンマに訴える必要があるのか、僕には疑問です。

直:いま言われたことは、私自身がメゾロジーに対して覚える違和感につうじます。それは、ベルク氏が現実を超越した実体を大前提に置きながら、そのような実体から隔てられた現実が、にもかかわらず実体につながっていると考えていることです。

猛:神学の立場で言うと、人間は神を知ることができない、けれども神が人間に働きかけていることは信じられる、とでもいうようなことでしょうか。

直:いま君が「神」と呼んだ〈超越〉のことを、ベルク氏は「大地」――ハイデッガーの用語です――とか「自然」と呼んでいます。こう言ってよいかどうか迷いますが、ベルク先生の思想のうち、日本人にとって一番近づきにくいのが、「自然」に関するこの主張だと思います。今回、自分自身がよく理解していないことを、お二人に解りやすく伝えることができませんでした。申し訳ない次第です。

中:難しいことばかりでしたが、ベルクさんにとって〈日本を問う〉ことがいかに重要であったか、ということだけは解りました。どうもありがとうございます。

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