出会いの人間学(2)――「出会う」ということ
〈出会い〉と〈別れ〉は、別々のことではなく、一つながり。先月のエッセイは、人と人が出会った先には、必ず別れがやって来るということ、この誰もが認めざるをえないにもかかわらず、まともに向き合おうとしない真実を取り上げて、その意味を考えました。今月は、それを受けて、読者のみなさん――もちろん私も含めて――が、その意味が判っているつもりで用いている〈出会い〉そのものをテーマにして、「出会う」というのがどういうことかを、ご一緒に考えたいと思います。
「会う」と「出会う」の違い
誰かと「会う」ことは、日常茶飯事、別に珍しいことではありません。教職(研究職)を離れた現在の私でも、近所のスーパーに出かける際には、道々あるいは店内で何十人もの人を見かけ、その傍らを通り過ぎます。それらの人々――大半は面識がない人々――について、「会った」という言葉を用いることは、おかしなことではありません。しかしその場合、大勢の人に「会った」ということを口にすることはあっても、「出会った」という表現は、用いないのがふつうでしょう。「出会う」という言葉は、不特定多数の人を認めるようなことではなく、私にとって特別の意味をもつ誰かしらと、たがいの存在を認め合う仕方で、「会う」場合にかぎって用いられます。簡単に言うなら、「会う」という行為は一方的、「出会う」行為は相互的、という用法の区別ができると言ってよいでしょう。
日本各地に、「出合橋」なる地名があります。何やらロマンチックな連想を呼ぶ地名ですが、二つの川の合流点を「出合い」と呼ぶ昔からの慣わしから、川や運河の合流点に橋が架けられた、という事実を物語っていると考えられます。重要なことは、「出合い」が合流地点を指す場合、もちろん「本流」と「支流」の区別はあるにしても、二つの流れがたがいに対等な仕方で一つになる場所を表す、という事実。このことは、人と人との〈出会い〉にも当てはまる、と私は考えます。つまり、二人が「出会う」場合、一方が他方よりも上に立つ、あるいは同じことですが、一方が他方よりも低い位置に立つ、といったことはない。「出会う」人同士はたがいに対等同格である、という動かしがたい事実があるということです。身分によって差別される上下関係、権力的な人間関係は、〈出会い〉には存在しない、というよりむしろ、「存在してはならない」というのが、長らくこの言葉をテーマとしてきた私の基本姿勢です。先月のエッセイの最後の方で、「対等な出会い」をいちども経験したことがない、という学生のケースにふれましたが、私に言わせれば、それは人間同士の〈出会い〉を体験していない、という事実の表明です。それは、多くの若者が、まさに「出会いなき世界」を生きている、という現実そのものです。
〈出会い〉の事実
「会う」と「出会う」の用法の違いから、話に入りました。その要点は、人と人との関係が、一方的であるか相互的であるかという違いによって、二つの動詞が使い分けられることにあります。「甲が乙に会う」というだけでは、まだ〈出会い〉ではありません。「甲が乙に会う」と「乙が甲に会う」が、同時に成立する場合に、「出会う」という行為が成立する、ということがポイントです(英語で言えば、「会う」は“meet”、「出会う」は“encounter”で、両語の用法には明確な違いがあります)。
誰かと「出会う」とき、自分の心の中に何が生じるかを、当事者の心理に沿って考えてみます。「袖触れ合うも他生の縁」――仏教的な格言として、よく知られています。道を通り過ぎる際に、袖と袖が触れ合うといった軽い接触が起こる、それも「他生」(生まれる前の前世)から、そうなるべく定められていた〈縁〉である、という意味の宿命論と言えますが、前回のエッセイで言及した「運命の赤い糸」につうじる深い意味があります。私に言わせれば、「出会う」ことの本質を表す諺です。
道々、自分の袖が誰かの袖と触れ合うかどうかは、まったくの偶然。たまたまそうなった相手に、目をとめたり、言葉を交わしたりするということも、偶然そのものです。しかし、そうして知り合った相手と、何らかの交渉に入る――たとえば、困っている相手を助けるとか、逆に自分が助けられる――ことによって、そうなるべき運命であった、という意味での〈縁〉を感じる。日本人の多くが用いる「ご縁があって……」の言い回しは、前に申し上げた「偶然の必然化」としての「運命」を表しています。縁談をまとめる際に、結納というものが交わされる慣習は、〈縁〉の存在を関係者双方が確認するとともに、それをどちらか一方が勝手に否認する――つまり、〈縁〉を切る――ことができないように考案された、関係保証の手続きにほかなりません。
『邂逅の論理』(春秋社、2017年)の終わりに近い第九章で、私は〈縁の論理〉をテーマとして取り上げ、仏教的精神圏に生きる私たちにとって、いまも〈縁〉が抜き差しならない重さをもつ、ということを説明しています。たとえば、夫婦の関係成立を「ご縁」として受けとめることで成立する「見合結婚」は、個人同士の合意成立を条件とする「恋愛結婚」全盛の現代でも、それなりに健在です。それどころか、恋愛が前提の結婚でも、仲人が立てられ、結納が納められる、といった慣習が残存する事実は、昔から日本に伝わる〈縁の論理〉と個人間の契約を旨とする近代社会の個人主義とが合体した、日本社会の折衷的なあり方を如実に示しています。ついでに申し上げますが、昨年刊行した編著『〈縁〉と〈出会い〉の空間へ――都市の風土学12講』(萌書房、2019年)の担当章(「第4章 〈縁〉の倫理」)で、私はそれまで明らかにしたことのない〈縁の倫理〉を具体化しました。ここで詳しく立ち入ることはしませんが、日本社会に先在する「間柄」(和辻倫理学のキーワード)にもとづく倫理と、自由な個人の意志によって成立する「契約」の考え、この二つをどう結びつけるか、という問題に答えたものです。その中で私は、前近代か近代か、日本か西洋か、というような単純な二者択一は、不可能だとする立場を明確にうちだしました。
私・汝・彼――三者関係
少し議論が横に逸れました。本題に戻りましょう。さて、誰かと「出会う」とき、私の心中に何が起こるでしょうか。道の向こうから近づいてき誰かと「出会う」場合、何の関心も引かない相手――行きずりの人――であったなら、たがいに通り過ぎるばかりの相手と「出会った」とは言いません。その相手に注目し、関心を抱くとともに、何らかの情報――旧知のAさん、テレビで見かけた人物、など――を得た場合に、はじめて「出会った」という言い方ができるように思われます。未知の相手なら当然ですが、友人などでも、それと認知される以前なら、一種の「他者」だといえる。私にとって、「出会う」ことが成立するのは、「他者」と目される相手と遭遇する場合だということです。
「他者」との遭遇、これが〈出会い〉の第一条件です。これに付随して、「出会う」相手である「他者」にとっても、同じ条件が当てはまります。すなわち、その人物にとっても、私が「他者」として現れる、ということです。この二つの条件がそろうことによって、〈出会い〉はつねに、二人の主体のあいだに生じる相互的な出来事である、ということが言えることになります。よって〈出会い〉は、二者のもとに生じる相互的な出来事である。これが、〈出会い」の第二条件です。たぶん、ここまではどなたも納得され、了解されることではないかと思われますが、いかがでしょうか。
つづいて申し上げるのは、〈出会い〉が成立するための第三条件。とはいうものの、おそらく私以外の誰も、まだ指摘したことがないと思われる事柄です。それは、〈出会い〉が二者のあいだで閉じられる行為ではなく、自他以外の第三者が介在する、三者間の出来事であるということです。このことは、〈邂逅〉(思いがけない出会い)を主題とした前出の『邂逅の論理』を書いている時点では、まだ気づかず、刊行後のふとした折に気がつき、考えるようになった問題です。このあたりが、今月のエッセイの目玉になりそうなので、できるだけていねいに説明したいと考えます。
ふつうに考えるなら、「出会う」ことは、自己と他者、〈私〉と〈汝〉が、一対一で向かい合う場合に生じる事柄、二者間の出来事であるはずです。英語のencounterは、まさしくたがいに「向かい合う」こと、つまり一対一の関係を表しています。にもかかわらず、〈出会い〉が「三者間の出来事」だとは、一体どういうこと……⁉ そう思われるに違いありません。これに対して、私が言いたいのは、自己つまり〈私〉が、他者である〈汝〉と出会うとき、そこに第三者としての〈彼〉が介在している、という事実です。〈彼〉とは、〈私〉と〈汝〉を結びつける媒介者、縁談を成立させる仲人のような存在、と言えばイメージがつかみやすくなるでしょうか。何ものかが、そういう媒介者の役割を果たすことによって成立する〈私-汝-彼〉三者の社会的連関、これが〈出会い〉の構造である、という確信を私は抱くようになりました。このことをはじめて公にしたのは、『邂逅の論理』刊行の翌年(2018年)に行った学会講演「「西田哲学」と私――〈邂逅〉の視点から」(西田哲学会第16回年次大会)においてです。
講演の内容をくわしく説明するつもりはありません(関心のある方は、2019年度刊行の『西田哲学会年報』第16号に掲載された〈講演録〉を、HPの「活動実績」でご覧ください)。ここでは、〈出会い〉のトピックに関係するポイントだけを、かいつまんでご紹介します。テーマの意味は、「西田哲学に私がいかに出会ったか」ということ。学生時代から、解らないなりに取りついて読んできた西田幾多郎の著作。「わからんなあ」「難しすぎてお手上げだ」――たいていの読者と同じ感想を、私もそのつど抱きました。そういう読書体験も、一種の〈出会い〉であると言えなくはありません。しかし、そういう西田哲学との長い付き合いに、大きな転機が訪れます。それは2002年、在外研修先のパリで、この哲学者の存在を一から見直す機会が生まれたということです。
パリの西田哲学
この見出しは、1年間の研修後に、その報告として発表したエッセイの表題です。パリ到着早々、現地で開かれている「西田研究会」に参加して、現地の人々――在住の日本人のほか、フランスなど西洋の研究者多数――が西田哲学に寄せる関心の高さに驚きました。西田研究会に参加しつづけ、この人たちがなぜ、何のために、西田を読もうとするのかを考えるうち、私自身の意識が変わっていきました。ひとことで言うなら、私はパリで西田哲学と新たに出会ったのです。私にとって、この新しい〈出会い〉の意味は、次のようなことになります。
パリや周辺の在住者のうち、西洋の人々は、日本人西田幾多郎の哲学に、これまでの西洋哲学にはなかった斬新な思想があることを知り、それを活かそうと思い立った人たちです。いっぽうパリ在住の邦人研究者は、自身が西田哲学に惹かれるより以上に、西田を研究しようとする外国人の視線に触発されて、研究意欲を高めている人たち、といえます。このあたりの事情は、かつて「テクノロジーの問題」シリーズ(2)で言及した、ジラールの「欲望の三角形」の図式に当てはまります――他人がもつ欲望の模倣(内的媒介)と申し上げたことを、ご記憶の方はおいででしょうか。簡単に言えば、私もまた図式どおり、パリ在住の人々の「欲望」に刺激されて、西田哲学を真剣に勉強したいと思ったわけです。1年間の留学中、何をテーマとするか五里霧中であった当初の霧が晴れ、やるべき目標が立った私は、日本の古書店から岩波の旧版『西田幾多郎全集』を取り寄せ、アパートの部屋で読みふける次第となりました。でも、可笑しいでしょう、西洋文化の中心地パリに留学しながら、わざわざ日本人の全集を取り寄せて読むなんて――
〈出会い〉には、最初の一撃、というべきものがあります。それまでまったく知らなかった「他者」といきなり出くわし、衝撃とともにその存在を受けとめる、といった出来事がそれに当たります。しかし、いまご紹介した私の西田哲学との〈出会い〉は、そういう衝撃的なものではありません。西田幾多郎という〈汝〉を、すでに知っていた〈私〉が、「西田研究会」という〈彼〉によって、新たな〈出会い〉へと導かれた。事の次第は、そういうものです。一人の人格との〈出会い〉――この場合は、むしろ〈邂逅〉という言葉を使いたい気がします――は、仮にそれが生涯にただ一回の出来事であったとしても、その意味を繰り返し掘り下げるという仕方で、無数に繰り返されます。そういう意味で、西田哲学との〈邂逅〉は、私にとって無限の反復をもたらす〈出会い〉であったことになります。パリ滞在の1年間を皮切りに、帰国後も西田哲学は、他のさまざまな媒介者、〈彼〉の存在をつうじて、繰り返し私の目の前に立ち現れてきましたし、今もそうです――帰国後に発表した著書や論文の中で、西田とのこうした〈出会い〉から影響を受けていないものは、一つもありません。ということは、〈出会い〉というものは、それが第三者の介在する三者間の連関であることによって、そのつど面目を変えて蘇り、はてしなく続けられる、ということです。
自己客体視
〈出会い〉の事実を、三者関係の図式で説明しました。三者を「甲」「乙」「丙」で表すとするなら、甲と乙との〈出会い〉は、丙によって媒介される。上の例に当てはめて言うなら、甲(木岡)は、丙(西田研究会)の導きによって、乙(西田)との〈出会い〉――いわば「再会」――を果たした、ということになります。「欲望の三角形」(ジラール)に沿って言うなら、甲は丙の乙に対する欲望を模倣した、という言い方をすることも可能です。しかし、人と人との〈出会い〉のすべてに、第三者が関与する、ということができるでしょうか。〈彼〉が介入することなく、〈私〉と〈汝〉のあいだで閉じられるような〈出会い〉もあるのではないか。というよりむしろ、二者だけで完結する〈出会い〉の方がふつうではないか。そうおっしゃる方が、おありではないでしょうか。男女の〈出会い〉のような出来事は、通常、当事者同士の一対一の関係であって、そこに第三者が絡むというのは、例外的なケースだと言わなくてはなりません。そのとおりですが、一見すると二者の関係と見える出来事も、実のところは三者関係であるということを、この機会に申し上げたいと思います。
二者の出来事と見える〈出会い〉が、実は三者関係である。このことを、私自身の体験を振り返って説明します。表現が穏やかではありませんが、私には、かつて「殺してやりたい」ほど憎い相手がいました。もちろん、日常そんなことはおくびにも出さず、表面上は、その相手ともふつうの付き合いを続けましたし、何かあったとしても、若い頃のように激情に駆られて暴言を発するようなことも、めっきり少なくなりました――影の声:「ホンマかいな?」。とはいえ、相手のことを考えるたび、憎悪の念が高まり、自制心を失うのではないか、と危ぶまれることが、再々あったことも事実です。判っていても、理性で抑制することが難しい情念に翻弄される苦痛――先月軽くふれた「怨憎会苦」の例とお考えください。
ところがそんなあるとき、スッと身が軽くなる体験が生じてきたのです。それは、憎悪の主体である〈私〉と、その相手である〈汝〉に対して、両者を上から見下ろす〈彼〉の位置に自身が立っている、という感覚でした。そのとき私は、当事者の一方「甲」であると同時に、「甲」「乙」のいずれでもない第三者「丙」の位置に立って、事の次第を俯瞰していました。そして、それによって自分自身が救われる、そういう得がたい経験をしたと思っています。この事態について、どういう言い表し方ができるかと考えたとき、「自己客体視」という言葉が浮かんできます。ご記憶でしょうか、だいぶ以前に騒がれた「臨死体験」をめぐって、死に瀕した患者が「体外離脱」して、ベッドに横たわっている自分の姿を病室の上方から見下ろす、といった「自己客体視」の事例が多数報告されたことを。もう一つ、臨死体験ではないけれども、ひどいいじめの被害を受けた子どもが対外離脱して、その状況を俯瞰することのできる視点に立った、というような報告例のあることは、ご存じの方もおいででしょう。自身を当の状況から切り離して、第三者の位置から客観的に見ることができれば、一種の救済になるわけです。
もちろん私の場合は、「体外離脱」したわけではなく、ただ自分自身の関心を問題の局面から切り離した、言い換えると、他人事として見るようになった、というそれだけのことです。言葉で言えば簡単ですが、それは私にとって奇蹟でした。この例は、甲と乙との交渉を一つの〈出会い〉として意義づけるのは、少なくとも当事者の一方――甲でも乙でも構わない――が、第三者「丙」の位置に立って、全体を俯瞰することができた場合である、ということを物語ります。愛憎いずれであれ、両者がともに情念の渦中に巻き込まれているあいだは、まだ〈出会い〉ではありません。いままさに進行中の出来事から、少し距離を置き、第三者の視点から出来事を把える。それができてはじめて〈出会い〉が成立する、と考えられるなら、先ほど申し上げたとおり、〈出会い〉は三者関係であるという、このことに納得していただけるのではないでしょうか。
〈出会い〉から〈縁〉へ
以上、〈出会い〉が三者間の出来事であるという私の考えは、おそらく多くの方にとって耳新しい主張に響くのではないでしょうか。〈出会い〉というのは、自分と相手の二人だけに生じるプライヴェートの出来事である、というのが世間の常識だからです。出会って絆が結ばれるかどうかは、本人同士の問題であって、そこに他人が介入する余地はない、と。たしかに、それが一般の常識であることは、否定できません。マルチン・ブーバー(1878-1965)という哲学者が、『我と汝』(1923)という有名な作品を書いています。当事者の二人がどう向き合うかが、〈出会い〉にとって決定的に重要です――ちなみにブーバーにとっては、神と人間の関係が最も重要でした。このことは、間違いありません。
ですが、われわれは一人残らず社会に属し、他人とさまざまな仕方でかかわり合って生きています。このことは、その中の特定の誰かと向き合って、深い絆を結ぶ〈出会い〉が生じた場合にも、そこに直接の当事者ではない人々が、かならず何らかの影響を及ぼしているという事態を想定させます。そういう影響力を、これまでの議論の中では、第三者としての〈彼〉に代表させたわけです。お判りいただけるでしょうか。
〈出会い〉は、〈私-汝-彼〉の三者関係。このことを私に納得させてくれた哲学者がいます。私が過去に出会った最大級の哲学者の一人として、今回のエッセイで名を挙げた西田幾多郎(1870-1945)です。この人は、生涯をつうじて思索を何度も大きく発展させたことで有名ですが、その後期に「私と汝」(1932年)という論文を発表しています。そこで扱われているのは、ブーバーと同じ二者関係ですが、より晩年に歴史的世界の論理を考えるに至って、三者関係の着想を具体化しました。「弁証法的一般者」という難しい名の下に、〈私〉と〈汝〉を結ぶ「媒介者M」とされたのは、〈私〉と〈汝〉を取り巻く社会、〈彼〉の存在です――「彼の世界」として言い表されているのは、「環境」にほかなりません。個と個の関係は、すべて社会的な行為である以上、周囲の社会からの影響なしにはありえない、という考えによっています。西田の考えは、「個物が環境をつくると同時に、環境が個物をつくる」というもので、形式的二元論を一歩も出ない今日の環境思想をはるかに超える深い思想に、戦前の西田が到達していたことを示しています。
それについては、いつか取り上げることにして、今回のテーマをめぐって最後に考えたいのは、〈出会い〉からはじまる〈縁〉についてです。〈出会い〉から〈縁〉へと話がつながってゆくのには、訳があります。ふつうの考え方に反して、〈出会い〉は二者の間で完結する事柄ではなく、二者の外に立つ第三者を想定することで成り立つというのが、今回のエッセイの趣旨でした。ここに、三者によって形づくられる三角形ABCが考えられます。△ABCの各辺AB、BC、CAは、三者のうち二者(A-B、B-C、C-A)の関係であるとして、ABの外にD、BCの外にE、CAの外にF、という別の点を置き、それと結ぶことによって、新たに△ABD、△BCE、△CAFという形の三者関係がつくられます。それらの三角形の外側にも、同様にしてさらに新しい三角形がつくられる……、というふうに考えるなら、三者関係は無数に拡がっていくネットワークとして、どこまでも外に開かれる、ということが判ります。いうならば、一つの〈出会い〉が次の〈出会い〉を呼び、さらにまた次の〈出会い〉を呼ぶ、という仕方で、〈出会い〉の輪は無数に広がっていくということです。こうして、どこからどこまでかが言えないような無限定的拡がりをもった関係性を、私は〈縁〉として解釈します。
〈縁〉の拡がり
「出会う」ということは、出会った人と人とが、そこで「縁を結ぶ」ということです。それは、当人同士がおたがいを裏切らない、という形の責任を担い合うということを意味します。あらゆる倫理の原点は、おのれが出会った相手に対して責任を果たすこと、この点に異論の余地はありません。ですが、ここまで述べてきたことからすれば、話はそれだけでは済みません。というのも、誰かと出会うということは、出会った相手と自分との二者で完結する事柄ではなく、自分と相手それぞれの背後にいる数多くの第三者とも関係する、という事態を意味するからです。「縁結び」(結縁(けちえん))というのは、二人のあいだだけで結ばれる契約ではなく、それをとおして、二人の背後にいる多数の人々に対して責任を負う、という倫理的行為を意味します。誰かと〈縁〉を結ぶということは、それをきっかけとして、世の多くの人々との〈責任のネットワーク〉に身を置くこと、そんな言い方ができるかもしれません。伝統的で封建的な社会の秩序は、いま申し上げたような意味での〈縁〉を中核とする倫理的意識によって、維持されてきました。そういう〈縁〉の結ばれる社会は、倫理的共同体としての「世間」に、ほぼ一致します。
しかし、こんなふうに〈縁〉を論じてくると、お前は封建主義の礼賛者か、という反撃を食らいそうな気がします。そうではありません。最初の方で少しふれた最新稿「〈縁〉の倫理」の中で、私は伝統的な「間柄」の倫理と「個人主義」の倫理の中間(あいだ)に立つ、と明言しています。単なる個人主義ではなく、「自分の生きる世界全体に対する責任」という意味で、〈縁〉の考えが活かされなければなりません。ここでいう「全体」とは、自分にとっての利害関係の総体にとどまるような「世間」のことではありません。それに対して責任がある、と感じられる社会関係の拡がりが、〈縁〉によって限定される「全体」ということです。ですから、「縁結び」の範囲は、人によって広くもなり、狭くもなります。かつて私自身が想定したような「無限責任」は、そこには発生しません――「無限責任」というのは、結果的に「無責任」と変わりません。そうではなく、己がかかわったことのある、もしくは今後かかわる可能性のある人々に向けて、自己を開くこと、「出会う」ことへと開かれてあることが、〈縁の倫理〉の内容です。責任の範囲で言えば、それは「有限」と「無限」の〈あいだ〉に位置します。もう少しくわしく言うなら、自分のかかわりはここまで、として線を引くかぎり、「有限」責任にとどまるものの、その線を越えた向こうの相手にも視線を向け、「縁結び」の可能性を開く、という関心のありようです。そういう理屈が、すぐに判っていただけるかどうか。また機会を見て、この問題を論じたいと考えます。
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木岡先生に、本で出会い、エッセイで出会い、直接の出会いではなくても、こんな風に面白く学ぶことができるのだとあらためて感じています。
多少の縁とは思えないほど、私のなかでは拡がりをみせています。
先日、知人の愚痴を聞きました。彼女は、夫の家族に酷く叱られ口もきいてもらえないというのです。
どう考えても、彼女の考え方に共感でき、私の生き方とは大きく違う考え方をする夫の家族のようです。そして後日、彼女に謝罪を求めてきたそうです。
彼女は、家族には直接反論もせず、ただ怒っていましたが、「考え方が違いすぎて今後はもう付き合いたくない」と言いました。
以前の私だったら、そこに同意していたと思います。でも今回は「縁あって知り合った人なんだから、切り捨てずに、ひとまずこのまま置いておけば」と伝えました。謝罪したくないという彼女に、「いつかまた何かあったら、その時によく考えればいいよ」と伝えました。
彼女には言えなかったけれど、私からみたら彼女はほぼ正しいけれど、彼女が正しくて家族が悪いと言い切れないと思っています。
思考を宙ぶらりんにするようでスッキリしないかもしれない。けれどきっと、二元に決めつけず縁を閉ざさないことは、〈あいだ〉を開くことで、今後の道が開いているのだと思います。今後、何があるかわからないですから。
〈あいだ〉を開くレンマ学は、こうして私の生活に変化を与えています。
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夫の家族から非難された妻が、第三者に事情を訴え、同情を求めた。世間でよくある打ち明け話の類と思われますが、こうした際に告白する当事者が求めるのは、相手が自分に共鳴し、相槌を打つなどして、味方になってくれることです。それが判ったうえで、小室さんはその方に直接肩入れすることなく、中立的な立場に身を置こうとされています。「ひとまずこのまま……」と書かれているように、ご自身が第三者(彼)の位置に立ちつつ、同様の「俯瞰的」(某首相の不適切な用法によって、流行しましたね!)態度が必要であることを、相手に示唆されたわけです。〈出会い〉〈縁〉が三者関係である、というエッセイの主張を地で行く実践を、日常生活の場面で試されたのだ、と私は理解します。この場合、当事者同士――妻と夫――が、騒ぎ立てる周囲の人たち(夫の家族)から冷静に距離をとり、一対一で向かい合う時間がもてたなら、たがいに認め合い、元々の〈縁〉を確認するときが、存外早く来るかもしれません。純粋に夫婦だけで向き合わなければ、〈私〉も〈汝〉も〈彼〉の位置に立つことは難しいと考えます――「外野」の第三者を排除することで、真の三者関係が生まれるというのは、一種の逆説ですが。