返信先: 朝鮮語での校歌斉唱について

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#5299
木岡伸夫
ゲスト

「出会いの広場」で議論するにふさわしい、重要な問題提起をしてくださったことに感謝します。私への質問という形で書かれていますが、みなさんからいろんなご意見が出ることを期待して、やや控えめ?なコメントをさせていただきます。
昨日(3.27)の京都国際高の試合、たまたま最後の劇的逆転の場面を、テレビで感情移入しながら観ていました。同校が1回戦で勝利した後、甲子園に校歌が流れ、それをめぐる議論が、SNSを賑わせているということですね。たまたまその歌詞が、朝鮮語であったことに関して、日本の高校なのに、なぜ朝鮮語の歌詞なのか、という疑問が出ることも、当然予想されます。
 リクツだけから言えば、国内にある学校の校歌の歌詞が何語であろうと、問題はありません。しかし、これがたとえばアメリカン・スクールであったなら――校歌があるかどうか知りませんが――、歌詞が英語でもクレームは出ないでしょう。日本と朝鮮(韓国)の間に、過去の歴史にもとづく感情が絡むことから、クレームのつく事態が生じていると思われます。当事者を「学校側」「日本人側」に分けて、問題を整理します。
 学校側――京都「国際」高校と改称し、日本人を受け入れておきながら、なぜ朝鮮語の校歌を通そうとするのか。そこには、戦前の植民地支配の下で、「君が代」を強要された屈辱の記憶が、消えることなくはたらいています。経営上の理由から、日本人生徒も受け入れる方針に変えたものの、学校としてのアイデンティティは、あくまでも朝鮮民族の学校である、ということでしょう。今後、同校が日本語の校歌に変える決断をすることが、仮にあったとしても、それは在日の人たちの心底に潜む恨みの念が消えることを意味しません。
 日本人側――この件に関して、旧「加害者」側の日本人にも、「何だ、お前らは」といった式の反発が生じる。これも、予想される反応です。昔から朝鮮人差別を重ね続けた過去があり、現在もそれへの後ろめたさをコンプレックスとして抱える日本人の心情から、「ヘイトクライム」の類が発生しているのではないか、そう感じます。ネットでのやりとりの次第は、私には分かりませんが、自責の裏返しというべき形で、過剰な攻撃性が生じているのかもしれません。
 投稿者の堀川さんには、これを機会に、日朝(日韓)関係の歴史をくわしく勉強されることをお勧めします。いかにも元教師らしい言いぐさで、気に障ったらゴメンなさい。

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