朝鮮語での校歌斉唱について

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  • このトピックには2件の返信、1人の参加者があり、最後に浦靖宜により2年、 12ヶ月前に更新されました。
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    • #5284 返信
      堀川舜平
      ゲスト

      先日選抜高校野球大会を観戦しに、甲子園球場に訪れました。その際、京都国際高校が1回戦を勝利し、試合終了後に校歌を斉唱されていたのですが、その校歌が朝鮮語でした。
      それは、京都国際高校の前身が朝鮮学校ということからでした。
      ネット上では、朝鮮語の校歌を聖地甲子園で流すべきではないといった意見や、生徒に罪はないのだから考慮すべきだといった賛否両論がはっきりと分かれる状況となっています。
      木岡先生は、この国家に関する意識の差異についてどのようにお考えでしょうか?
      また、日本に属している高校なら、朝鮮語ではなく日本語の校歌に変更すべきでしょうか?
      僕自身、なかなか難しい問題だなと考えてしまい、木岡先生の見解をお伺いさせていただきたいと思い、質問させていただきました。
      お忙しいところ申し訳ないのですが、ご返答いただけると幸いです。

    • #5299 返信
      木岡伸夫
      ゲスト

      「出会いの広場」で議論するにふさわしい、重要な問題提起をしてくださったことに感謝します。私への質問という形で書かれていますが、みなさんからいろんなご意見が出ることを期待して、やや控えめ?なコメントをさせていただきます。
      昨日(3.27)の京都国際高の試合、たまたま最後の劇的逆転の場面を、テレビで感情移入しながら観ていました。同校が1回戦で勝利した後、甲子園に校歌が流れ、それをめぐる議論が、SNSを賑わせているということですね。たまたまその歌詞が、朝鮮語であったことに関して、日本の高校なのに、なぜ朝鮮語の歌詞なのか、という疑問が出ることも、当然予想されます。
       リクツだけから言えば、国内にある学校の校歌の歌詞が何語であろうと、問題はありません。しかし、これがたとえばアメリカン・スクールであったなら――校歌があるかどうか知りませんが――、歌詞が英語でもクレームは出ないでしょう。日本と朝鮮(韓国)の間に、過去の歴史にもとづく感情が絡むことから、クレームのつく事態が生じていると思われます。当事者を「学校側」「日本人側」に分けて、問題を整理します。
       学校側――京都「国際」高校と改称し、日本人を受け入れておきながら、なぜ朝鮮語の校歌を通そうとするのか。そこには、戦前の植民地支配の下で、「君が代」を強要された屈辱の記憶が、消えることなくはたらいています。経営上の理由から、日本人生徒も受け入れる方針に変えたものの、学校としてのアイデンティティは、あくまでも朝鮮民族の学校である、ということでしょう。今後、同校が日本語の校歌に変える決断をすることが、仮にあったとしても、それは在日の人たちの心底に潜む恨みの念が消えることを意味しません。
       日本人側――この件に関して、旧「加害者」側の日本人にも、「何だ、お前らは」といった式の反発が生じる。これも、予想される反応です。昔から朝鮮人差別を重ね続けた過去があり、現在もそれへの後ろめたさをコンプレックスとして抱える日本人の心情から、「ヘイトクライム」の類が発生しているのではないか、そう感じます。ネットでのやりとりの次第は、私には分かりませんが、自責の裏返しというべき形で、過剰な攻撃性が生じているのかもしれません。
       投稿者の堀川さんには、これを機会に、日朝(日韓)関係の歴史をくわしく勉強されることをお勧めします。いかにも元教師らしい言いぐさで、気に障ったらゴメンなさい。

    • #5490 返信
      浦靖宜
      ゲスト

      はじめまして。

      私も木岡先生のご見解以上のものは持っていませんので、単なる蛇足でしかないわけですが、考えたことを書き留めておこうと思います。

      現在のところ京都国際高校の校歌が朝鮮語のみであるなら、それを歌う以外に選択肢もないので、本来であれば何も問題にならないはずです。

      特に物議を醸したのは、歌詞に日本海の韓国側の呼称である東海(トンへ)がある部分だそうですが、これも本来であれば何も問題にならないはず。例えば、私たち日本人は樺太と大陸の間の海峡を間宮海峡と呼んでいますが、諸外国はタタール海峡と呼んでいます。国や言語、歴史が異なれば、地名も異なるのはあまりにも当然のことであり、「その呼称は間違っている」という指摘は頓珍漢です。

      もちろん、日本海=東海をめぐって、日本と韓国で呼称問題が生じていることは知っています。国際的な正式名称をどうするかに関しては、政治的な問題になるのでしょう。

      とはいえ、そのことは、京都国際高校の校歌とは本来何の関係もないはずです。京都国際高校が、生徒に日本海は東海と呼ぶような教育を行なっているのなら話は別ですが、そのような事実があるようにも思えませんし、仮に、そのような教育が行われていても、それでも本来の呼称問題とは関係ないはずです。

      例えば、私が韓国人と話をしていて、相手が「この間、東海で泳いでね〜」と述べたのに対して、
      「東海なんて言うな!ここは日本だぞ!日本海と呼べ!」と怒ったら、私の方がおかしいでしょう。

      相手にとっては、あの海は東海で、私にとって日本海。単にそれだけのはずなのです。

      そこに、わざわざ呼称問題という政治的イシューを持ち込む人たちは、別に甲子園に興味があるわけでも、京都国際高校に興味があるわけでもなく、それを肴に反韓感情をぶちまけたらスッキリするからそうしているのでしょう。
      それは褒められた行為ではないと思います。

      今回の校歌は、本来、政治問題とは無関係であり、物議を醸している人たちがそれを勝手に政治問題として騒ぎ立てている。そうした迷惑騒動として、私は今回の問題を捉えています。

      (とはいえ中には本気で、「日本では日本語以外の校歌はあってはならない」と考えている人もいるかもしれませんね。そう思う気持ちも、全くわからないわけではないです。だとしたら「スッキリしたいからそうしてるだけ」と言う私の物言いは少々失礼なのかもしれません。表現の自由は保障されているので、「韓国語の校歌はけしからん」と意見を述べる自由もあるとは思います。しかし、どのような理屈でそれを相手に強制できるくらいに正当化できるのかは、私のような若輩者にはよくわかりません)

      最後に補足だけしておけば、

      やはり使用を控えるべき呼称はあるとは思います。
      例えば、中国を指す支那は、本来は英語のChinaと同じく、秦を語源にした呼称であり、それ自体に負の意味はないですが、かつて日本が侵略(この言葉が強く感じるのであれば、侵出とでも置き換えてください)した当時使われていた呼称なので、今は控えた方がいいとは思います。ソウルを京城と呼ぶのも控えた方がいいでしょう。
      過去の負の歴史を思い起こさせる必要などないという配慮から、ある特定の呼称を控えることはあり得ることと思います。
      東海はそれに当たらないので、全く問題にならないと思います。

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