「〈あいだ〉に立つ(4)――哲学に何ができるか」を読んで

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      悩める関西人
      ゲスト

      「〈あいだ〉に立つ(4)――哲学に何ができるか」を読ませていただきました。ウクライナへの侵攻が起こったとき、私も「哲学に何かできないのか」と考えておりました。考えを深める良い機会になりましたので、コメントを投稿させていただきます。

      今回のウクライナ問題が起こったとき、私はとても大きな不安に陥ったような感覚でいました。日常が終わってしまうのではないか、生活していけなくなるのではないかと、社会がもっと悪い方向に、コロナ禍でもなんとか維持していた日常すらも、続けられなくなってしまうのではないかという不安です。

      そういった状況で、私も「哲学はこういったとき何かできないのだろうか?」と、自分に問いかけていました。ですが、答えは出ずモヤモヤとした気持ちになっていました。

      エッセーを拝読させていただいて、「哲学は直接には関係がない」と言い切って頂けたことが気持ちが良かったです。

      哲学はいろいろな事柄について論じることができるので、何かしらの方法で事象に直接的に関わることができるのではないかと、私は考えていました。

      哲学でできる範囲と、実践で取り組むべき範囲を分ける必要がある。このことが分かっておらず、「哲学で何かできないだろうか」と悩んでしまっていました。言い切っていただいたことで、哲学と実践をそれぞれ取り組んでいこうと腹が決まりました。

      では、当事者としてかかわることができない哲学としては、何を行うことができるでしょうか。

      哲学は第三者の立場を取らなければいけないという記述を読み、ドゥルーズの下記の言葉が思い出されました。

      「哲学は≪権力≫ではない。・・・哲学は他の諸力と語り合うことができない。哲学はそれらに言うべきこと、伝えるべきことを何も持たない。哲学はただ折衝を先導するだけである。」

      衝突ではなく、折衝して別の仕方を探ること。

      ウクライナ問題に引き付けて言い換えると、仲介により、お互いが準備していなかった、別の道筋を作る。

      哲学は仲介者として、折衝し新しい道を作っていくことに関わることができるのではないか。もしそうであれば、哲学の役割にも希望が持てるように思います。

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