直言先生:シリーズの第一回は「〈かたち〉とは何か」、第二回は「〈かた〉とは何か」。違いは、キーワードに「ち」が含まれるか含まれないかだけで、二つのテーマは、見たところそっくりです。お二人は、どういう印象を受けられましたか。
中道さん:これまで区別して考えたことのない〈かたち〉と〈かた〉に、区別が必要になる大きな違いがある、ということを教えられました。日本語の世界がデリケートであることに、いまさらながら気づかされました。
直:いまおっしゃった「大きな違い」とは、どういうものですか。
中:前々回に説明された〈かたち〉は、目に見えるもの。けれど、そこには見えない「心」が関係していると。そういうご指摘が、印象に残っています。前回のテーマ〈かた〉は、その場合の「心」に当たるものと思うのですけれども、そういう〈かた〉には「痕跡」の意味があって、先生はそれを「有と無の両方に開かれている」とおっしゃった。その点が、〈かたち〉との大きな違いで、まだよく解らないポイントです。
直:要点をうまくおさらいされましたね。猛志君の感想は、いかがですか。
猛志君:〈かたち〉と〈かた〉は、どちらも日本語として、違いが問題になる。漢字の「形」「型」では、そういう区別が成り立たない、とされたことが印象に残っています。僕なんか、「形」といえば英語のform、「型」だとpattern、modelが連想されるのですが、そういうふうに単語として区別することのできない微妙なつながりが、日本語の〈かたち〉と〈かた〉にはあるのだろうか。あるとすると、その関係性はどういうものだろうか、というのが気にかかっています。
直:よく分かりました。お二人の考えでは、〈かたち〉と〈かた〉には、日本語として微妙で重大な違いがある。この二つはどう関係するのかという問題を、さらに立ち入って考えたい、ということのようですね。そういう次第であれば、〈かたち〉と〈かた〉の関係性を、今回の主題にしないわけにはいきません。そうしましょう。
中:ついでに、どういうきっかけから、先生がこの問題に関心を抱かれるようになったのかを、教えていただけないでしょうか。
猛:僕からも伺いたいと思っていたのが、その点です。昔から西洋哲学を専攻されていた先生が、どういうきっかけで〈かたち〉や〈かた〉の思想に注目されるようになったのかを、この機会にぜひ聞かせてください。
直:と言われても、すぐに応えられるかどうか。お二人が訊ねられた点は、私の半世紀を超える哲学との付き合いの中で、徐々に姿を現してきた関心を物語っています。ハッキリしたターニング・ポイントではなくても、何度か「転機」といえるようなきっかけがあったことは、間違いありません。それを思い出すことから始めましょうか。
回想の90年代
直:〈かたち〉と〈かた〉の関係性は、〈かたちの論理〉の中心問題。かつて、漢字で「形の論理」と表記したその考えは、西洋哲学との長い付き合いをつうじて、自覚されるようになった「風土学」への方向転換と一つになっています。それは、時期的に言えば、オギュスタン・ベルクの風土学(メゾロジー)から影響を受けて、自分なりの学問を志向するようになった1990年代に遡ります。
猛:風土学三部作の最初に、『風景の論理』を公刊されたのが、2007年。ということは、1990年代から2000年代にかけて、風土学の構想と同時に「形の論理」を考えついた、ということでしょうか。
直:「形の論理」という考えが、風土学への傾倒と同時に生じたわけではありません。ベルク先生の学問に惹かれて、パリに留学したのが、2002年。帰国後に自分の風土学を構想してから、最初に世に出した著書が、いま挙げられた『風景の論理』。その最終章で、「形の論理」を主題にしているけれども、これは1990年代から続いてきた関心を風土学の中に取り入れたものです。
猛:風土学に「形の論理」が取り込まれたということなら、『風景の論理』よりも早い段階から、そちらの問題に関心があった、ということになりますね。
直:ええ、「風土」の問題と「形の論理」、この二つのテーマが別々に共存していました。両者の関係がハッキリ意識されたのは、『風景の論理』を出した頃、というのが正確なところです。「習慣としての身体」(岩波講座・現代思想12『生命とシステムの思想』、1994年)には、統合される以前の二つのテーマが、別々に論じられています。
中:30年近く前の、そのご本、私は拝見したことがありません。どういう事柄を論じられたのでしょうか。
直:タイトルから、「身体論」が思い浮かぶかもしれません。「習慣」は、個人的な身体に関係しますが、ひっくり返して「慣習」といえば、社会的なシステム・制度の意味になります。個人的なふるまいから社会全体のあり方までを、「習慣」というタームで覆うことはできないか、と考えついて取りかかりましたが、書き上げるのにずいぶん苦労しました。これが書けたことで、やがて風土学に着手するための足場が固まった――いまから振り返ると、そんな意義づけができるテクストです。
中:その論文では、個人と社会とをつなぐという課題に苦労して取り組まれた、と受けとめてもよろしいでしょうか。
直:そのとおり。個人から社会までを覆う「習慣」に相当する概念として、当時日本でも注目されていた社会学者ピエール・ブルデュー(Pierre Bourdieu)の「ハビトゥス」(habitus)に取りつきました。それと、その頃にはすでに日本でも有名になっていた、ベルク先生の「風土」概念。論文では、この二つを前半と後半で分けて論じたものの、一体的に取り扱うだけの統合的視点がまだ備わっていなかった、というわけです。
猛:〈かた〉と〈かたち〉の区別について、その時点で論じておられたのでしょうか。
直:〈かた〉(当時の表記では「型」)には言及したものの、その時点では、〈かたち〉との関係はまだ取り上げていません。〈かた〉に関する基本文献として、源 了圓『型』(創文社、1989年)に出会い、「型」と「習慣」や「風土」との関係を考えるようになりました。その本では、一回きりの身体的実践(形)は「型」とはならないものの、それを反復することをつうじて「型」が成立する、というように、〈かたち〉から〈かた〉に移行する過程が説かれています。私にとっては、非常に有益な参考書でした。
猛:とすると、その後の研究生活をつうじて、「形の論理」に対する関心が深まっていった、ということですね。だって、それから10年余り後の『風景の論理』(2007年)では、結論に相当する終章が、「形の論理」と名づけられたわけですから。
中:お話を伺っていると、フランスに留学された2002年の前後、十数年のあいだに、「形の論理」の構想が、次第にまとまっていったことになります。その間のご研究の進展について、ここで解説をお願いできないでしょうか。
直:そう言われると、30年前の自分と向き合わないわけにはゆかなくなります。しかし、昔のことを正確に思い出せるかどうか……。それじゃ、『風景の論理』が「形の論理」に落ち着くまでの経緯のようなことを、ここでしゃべらせていただくことにします。
講義:再説〈風景の論理〉
私の最初の著書『風景の論理』(世界思想社、2007年)は、世間でふつうに「風景」と呼ばれるような、特別な物の見え方を論じた書物ではありません。われわれが生きているのは、さまざまに異なる地域や場所。そうした場所ごとに成立する、一律でない「世界の見方」(地理学者コスグローヴの表現)を、この本では「風景」と呼び、どのように風景が成立し発展するのかを、理論的に説明しています。哲学では、地域や場所の異なりをカッコに入れ、人であればだれでも有すると考えられる認識の働きを「知覚」ととらえ、その仕組みを明らかにしようとする「知覚論」が主流を占めてきました。これに対して、風土学では、世界がさまざまに異なる「風土」として存在する、という事実から出発して、そういう風土における「世界の見方」をあとづける風景論を、哲学の「認識論」に相当する理論として構成します。ちなもに、哲学で「存在論」と呼ばれる部門に相当するのは、「風土」を考察対象とする風土論――こちらは、『風景の論理』に続く『風土の論理――地理哲学への道』(ミネルヴァ書房、2011年)の主題として取り上げました。
「序章 風景概念の哲学的反省」において、風景を問題にする本書の立場を説明してから、本論全五章において、風景はいかにして成立し発展するのかを、風景経験の諸段階として区別し、論じ分けました。最初に「風景概念の基本構成」(第一章)を提示し、そこから風景経験の展開を、「原型――風景以前」(第二章)、「基本風景」(第三章)、「原風景」(第四章)、「表現的風景」(第五章)の順に区切り、たがいに異なるそれぞれの特質を明らかにする手順をとって、論述を進めたわけです。しかし、風景経験の諸相を書き分けるだけでは、『風景の論理』を名乗るわけにはゆきません。風景経験の各段階が、それぞれに特徴をもって成立するというだけではなく、たがいに関係し合うことの必然的な理由を示すことによって、はじめてそれを風景の「論理」としてうちだすことが許される、そう考えました。この点をハッキリさせる狙いから、本論全五章につづく「終章 形の論理――構造と弁証法」を置いたわけです。
こうして、現在の〈かたちの論理〉に至る最初の理論モデルが出来上がりました。そう言えるのは、風景経験の四段階――①「原型」(X)、②基本風景、③原風景、④表現的風景――のあいだに、〈かたち〉と〈かた〉の相関が成立する事実を、明示したからです。すなわち「風景の論理」は、そのまま〈かたちの論理〉である。このことを、現在の時点で改めて確認することができます。「原型」(X)は、前回の講義「〈かた〉とは何か」で説明したように、現実である風景の〈かたち〉をとおして窺われる「風景以前」の何か、それが何であるかを言語化できない〈痕跡〉としての〈かた〉を指します。当時は、それが風景を生み出す〈原理〉だということから、「原型」(X)という名称を与えたわけです。その原型から生まれる最初の風景が、「基本風景」と命名した個人的な経験、つまり〈かたち〉になる。ここに〈かた→かたち〉という第一段階の移行が成立します。
しかし問題は、風土に成立する風景が、個々バラバラの経験ではなく、社会集団に共通する一定の意味内容をもっている、という事実をどう説明するかです。この問いに対して、風土ごとに成立する風景の〈型〉を想定して、「原風景」と呼ぶことにしました。世間では、誰それの原風景、という言い方もよく用いられますが、本書では集団的・社会的な風景の〈型〉という意味で、この語を用いました。そう考えるなら、〈基本風景→原風景〉というこの段階において、〈かたち→かた〉という第二段階の移行が生じてくることになります。
「基本風景」「原風景」に続く風景経験の契機は、「表現的風景」。これは、自身の風土において風景の〈かた〉である「原風景」を経験した個人が、それを土台としつつ、そのことの自覚によってつくり出す、新たな〈かたち〉を意味します。ここに成立するのが、〈原型(X)→基本風景〉の第一段階とは異なる水準で生じる、〈かた→かたち〉の移行です。ということは、「原型」(X)を含めた四つの契機のあいだに、〈かた〉から〈かたち〉へ、〈かたち〉から〈かた〉へ、という対照的な移行の過程が、交互に成立するということになります。この移行は、ピラミッド型の図式(同書179頁)において、〈上昇〉とともに、逆の〈下降〉の過程を生み出します――この点については、説明を省きます。当時として、こうした関係性を「形の論理」と呼ぶことに、不都合はないと考えたのです。
とはいえ、「構造と弁証法」が終章の副題になったのは、どうしてでしょうか。たがいに相関する四段階のつながりをピラミッド型の図式に見立てるのは、「構造論」的見方。それなら、風景経験の動的な「構造」といえば済むものを、「弁証法」で説明しようとした理由は、本書の執筆当時、かつて「形の論理」を追究した三木清や西田幾多郎が、それに「弁証法」の名をあてがっていたからです。現在の著者は、もはや「弁証法」の語を用いません。なぜなら、〈かたち〉と〈かた〉には、弁証法的な「矛盾」の関係がないからです。
「原風景」と〈かた〉
直:以上、〈かたちの論理〉の最初のモデルである「風景の論理」について、ごく簡単に再説しました。お二人には『〈出会い〉の風土学』(幻冬舎、2018年)の中でも、講義と対話に付き合っていただきました(第10回、132~144頁)。そのときの「講義」を蒸し返すような内容でしたが、今回はどのように聴かれたでしょうか。まずは、中道さんから。
中:4年前の講義では、「風景」が問題の中心だったという印象があります。今回の講義のように、〈かたち〉と〈かた〉の関係、つまり〈かたちの論理〉が、『風景の論理』を貫くモチーフであるという点には、まったく気がつきませんでした。ですから、その折の対話では、三つの風景概念の中で、特に興味を惹かれた「原風景」について、質問させていただいたと記憶しています。
直:そうでしたね。あなたが突いてこられたポイントは、「原風景」というのは個人的な経験ではないのか、またそれは言葉ではなく、「イメージ」ではないのか、という二点でした。それに対して私は、原風景は単なる個人的なイメージではなく、社会的な場で語り合われることによって、人々が共有する言語的な経験である、という答え方をしました。覚えておられますか。
中:もちろん、覚えていますとも。今回の講義をつうじて、私が「個人的なイメージ」と感じていた経験が〈かたち〉、語り合いによって共有されるようになった経験が〈かた〉である、という違いがやっと見えてきました。気づくのが、遅すぎましたでしょうか。
直:そんなことはありません。かく申す私にしてからが、〈風景の論理〉イコール〈かたちの論理〉という基本線の意味に、いまごろになって目を向けているぐらいですから。あのとき、いろいろきびしく追及してきた猛志君、現在の考えはどうでしょうか。
猛:あのころ僕には、先生がどうして〈かたち〉と〈かた〉とを区別しようとされるのか、その意図が全然解りませんでした。いまになって、先生が〈かたちの論理〉をもって、西洋哲学では考えられることのなかった新しい論理をうちだそうとされている、という裏の事情がいくらか呑み込めてきました。
直:そうですか、なるほど。4年前と今とでは、風土学に対する君の姿勢が変わってきた、ということでしょうか。いま「論理」と言われたけれども、それは君が〈かたちの論理〉を「論理」として認める、ということでしょうか。
猛:現在の僕の学問では、〈かたちの論理〉が「論理」であるかないかについて、答えは出せません。僕に言えるのは、先生が西洋哲学のロゴスとは異なる考え方を、「論理」として主張されている、という事実だけです。
直:それで結構です。君なりの問題意識を維持していただくことが、私の希望です。
中:あのときの質問を繰り返すようで恐縮ですが、先生が風土学で取り上げられる以前にも、三木清と西田幾多郎が「形の論理」を提唱したのに、二人とも失敗に終わったということを、ご本の中で書かれています。どうして失敗に終わったのか、理由をご説明いただけないでしょうか。
直:承知しました。理由を簡単に言えば、西洋哲学の論理によっては説明できない〈かたち〉の意味を、「弁証法」のロゴスによって説明しようとしたこと、この一点につきます。
中:それは、どういうことでしょうか。なぜ弁証法では、〈かたち〉が説明できないのでしょうか。
直:三木も西田も、われわれになじみのある「形なき形」という東洋的な言い回しによって、〈かたち〉の本質を考えようとしています。「形なき形」というのは、私に言わせれば、〈かた〉のことです。ところが二人とも、そのことに気がついていません。つまり、〈かた〉についての気づきがない。他方、彼らが頼みとする西洋の論理(ロゴス)では、〈かたち〉は、有形か無形かのいずれかであって、そのどちらでもないとか、どちらでもあるといった〈中間〉を認めません。有(肯定)と無(否定)の二分法に立脚する点では、弁証法も形式論理と同じ立場です。要するに、三木・西田は、二人とも〈かたちの論理〉構築に必要なツールを取り違えていた。それが、失敗の原因です。
猛:仮にそうだとするなら、〈かたちの論理〉を西洋哲学の論理で説明することはできない、ということになります。西洋のロゴスでは、無理だとおっしゃるなら、ツールは東洋の「レンマ」しかない。そうおっしゃるわけですか。
直:そういうことになります。君や哲学の研究者に向って申し上げたいのは、東洋的な「レンマ」を「論理」として認めるかどうかは、どちらでもよい。けれども、〈かたち〉や〈かた〉というものを考えようとするなら、ロゴス的な二元論ではない、別の思考法が必要不可欠である、ということ。この一点だけは、譲れません。
中:そこから先生は、ロゴスのような二元論ではない思考法が、「レンマ」だとおっしゃるわけですね。
直:そのとおり。私は、〈かたちの論理〉がレンマの典型であり、〈かたち〉や〈かた〉について考えるなら、レンマに行き着く以外にない、と申し上げているのです。
猛:おっしゃることは、それなりに理解できたつもりです。〈かたち〉と〈かた〉のあいだを開くのが、〈かたちの論理〉である、そういうことになるのではないでしょうか。
直:そうです、間違いなく。
猛:それなら、それとして質問したい点があります。
直:どうぞ、何なりと。
猛:前回の「〈かた〉とは何か」の中で、先生は、〈かた〉は一種の〈かたち〉であると言われました。雪男の足跡を例に挙げて。
直:たしかに、そのとおり。
猛:そのとき、雪男の足跡は、目に見える〈かたち〉であると同時に、その場にいない雪男の〈痕跡〉でもある。具体的な〈かたち〉でありながら、不在の何ものかを指し示すのが、〈かた〉である、と。中道さん、確かそうでしたよね。
中:そうでした。記憶力のない私でも、雪男の例はハッキリ覚えています。
猛:そのことを承けて、先生は、〈かた〉が「有と無の両方に開かれている」とおっしゃったように思います。
直:ええ、そう言いました、おっしゃるとおり。
中:チョット待ってください。〈かた〉が「無に開かれている」って、どういうことですか。「雪男」は〈無〉ではなく、存在するじゃありませんか。
直:「雪男」が何ものであるかは、まだよく分からない。私としては、そういう未知の何ものか(X)を〈無〉と見なしたことから、ああいう言い方をしたわけです。
猛:たぶん、そういうことだろうと受けとりました。あのときから今日まで、自分としてはいろいろ考えました。それを〈無〉と呼んでいいのかどうかは別にして、何か正体の分からないものに関係するということが、〈かた〉の〈かたち〉にはない特徴なのかな、と。
直:いやお見事!こちらの表現しきれていない点を、いま君はキチンと補ってくれました。感謝します。
猛:どういたしまして。僕が伺いたいのは、その先のこと。〈かた〉は、〈かたち〉に関係する一方、正体不明の「X」にも関係する。その関係はどういうものか、という問題です。
中:ことのついでに、私からも質問を一つ。『風景の論理』の中で、先生は三つの風景――基本風景・原風景・表現的風景――の土台として、「原型」(X)を示されています。それが「X」とされたことと、いま猛志君が質問されたことには、関係があるのでしょうか。
〈かた〉から「道」へ
直:まず中道さんの質問から答えるなら、「原型」(X)は、〈かた〉そのもの。〈かた〉が、正体不明の何かにかかわるということを、風景経験の文脈で言い表したものが、「原型」(X)です。
中:では、〈かた〉イコール「X」なのですか。〈かた〉は、それではない何か(X)に関係する、と言われたように記憶しますが。
直:「痕跡」(かた)は、それ自体として、正体不明のX(雪男)ではありません。そういう意味で、〈かた〉とXとはイコールではありません。風景経験について言うと、三つの風景は、いずれも〈かたち〉でありながら、その底にある何かとつながっていて、それなしでは成立しない。そういう根源的な何かを、「原型」(X)と呼んだわけです。こんな説明では、お解りいただけませんか。
中:よく解りません。先生は、「原風景」や「表現的風景」が〈かたち〉であるとおっしゃった。でもそれは、「原型」(X)と底でつながっているからだ、と。それは、どういうことでしょうか。
猛:僕から口をはさませてもらうなら、先生が風景についておっしゃっているのは、あらゆる風景が、それ自体、「原型」(X)の「痕跡」である、ということではないでしょうか。
直:ウーム、言われてみれば、そのとおりかもしれない。ピラミッド型の図式では、一番底の「原型」(X)から頂点の「表現的風景」まで、一本の矢印(↑)が通じる関係を著しています。それを「原型」(X)から見た場合には、三つの風景が、すべてそれの〈痕跡〉である、と。たしかに、そういう言い方ができるかもしれません。
中:議論の中身がよく分からない私から、お訊ねするのも何ですが、「原型」(X)って、いったい何ですか。どうして、そういうものを考えられたのでしょうか。
直:〈かた〉の本質にかかわる、重大な質問です。それだけに、どう答えてよいか、迷うところです。とりあえず、風景経験が〈かたち〉となるために必要な「無定形のエネルギー」(『風景の論理』81頁)である、と言っておきましょう。
猛:「原型」から、僕は有名な「元型」(ユング)を連想しました。この二つは、同じものではないのですか、それとも違いがあるのですか。
直:もちろん共通点はあるけれども、違う概念です。ユングの「元型」(archetypes)というのは、人間の心的活動を支配する集合的無意識のことで、それには「アニマ」「母」「老人」など、象徴的なイメージが名前として与えられています。それに対して、私が「原型」と呼ぶのは、「元型」の例のように名づけられる以前の、まったくのカオス、いわば無そのもののことです。
中:へぇー、「原型」は無だとおっしゃるのですか。無から風景の〈かたち〉が生まれるのだ、と。そんな話は聞いたことがありません。ビックリしました。
直:ビックリしたとおっしゃるが、何もおかしな話ではない。中道さんは、旧約聖書の「天地創造」をご存じでしょう。「創造」というのは、無から有が生じるということです。
中:お言葉を返すようで恐縮ですが、神話の世界では、創造するのは神様です。神のいないところに、創造がありうるのでしょうか。
直:もっともなご意見ですが、一神教の枠組でしか考えないから、そういう話になるのです。
猛:先生のおっしゃる〈かた〉は、先ほど「有と無の〈あいだ〉」と言われたように、けっして〈かたち〉にならない「無」を意味する。そんなとらえ方で、よろしいでしょうか。
直:それで結構。君の理解されたとおりです。
猛:〈かた〉が「無」であるというような思想は、西洋にはないように思われます。そういう発想は、東洋的なのではないでしょうか。
直:ちょうどよいタイミングで訊かれたので、お答えします。『風景の論理』で「原型」(X)と名づけ、以後の著作でも〈かた〉と呼びならわしてきたものは、中国思想の伝統において、「道」(dao)と称されるものに近いのではないか。最近、そのことに気がつきました。
猛:初耳です、〈かた〉が「道」に近いとは。どうして、そんなふうに考えられたのでしょうか。
直:老子に始まる道教はもちろん、孔子以後の儒教でも、「道」は中国思想における最も重要な理念として受け継がれています。「道」というものは、一見して具体的な存在であるように思われますが、その正体については、何も言うことができない。けれども、そういう正体不明の「道」――まさに「X」――から、あらゆるものが生じてくる、というのが道の思想です。
中:いまのお話、私にとっても非常に興味があります。どうして「道」に関心を持たれたのか、くわしいお話を聞かせていただけないでしょうか。
直:了解しました。先ほどの猛志君の質問は、原型(X)と三つの風景との関係についてでした。それに答えるという意味からも、〈かたちの論理〉と「道」の関係を、次回のテーマとして取り上げることにします。
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