1 老いるということ
タイトルから、老いの繰り言か、そんなものを読まされるのはかなわんなあ、と感じられたら、どうかスルーしてください。先月の「転居の記」にも、ややそれらしい気配がありました。こちらの気分は、さしあたりその続き、というところでしょうか。
明日は午前6時に起きる。そう自分に言い聞かせて、眠りに就く。で翌朝、6時に目を覚ましたものの、眠いし、起きたくない。どうしよう、思い切って起きるか、そのまま寝床にいつづけるか――誰にでもよくあることで、珍しいことではありません。そのとき、眠気を振り払って起きるか、えいママよ、と布団をかぶってそのまま……というのも、二つに一つで、他に選択肢はありません。リクツとしては、そのどちらかしかないのに、どちらを選ぶのも気が進まず、決めかねる時間が続いていく。喩えで言うなら、そういうあり方が、私にとって「老いる」ということの実態です。お分かりいただけるでしょうか。
歳をとるというのは、それまでふつうにできていたことが、できなくなることだというのが、通常の理解です。そのことに間違いはないけれども、ことの次第はそれほど単純ではない。一つのことができるかできないか、そのどちらかがすぐには決められず、「できる」と「できない」という、二つのどちらに落ち着くかを決めるために逡巡する時間が、そこにからんできます――朝起きの例のように。先月書かせてもらった引っ越しの事例も、同じことです。転居するかどうか、先々の面倒を考えると、した方がよいとも、しない方がよいとも、容易に決められず、迷い続けることになります。たまたま「空室あり」という情報が届いたことで、その部屋を検分して入居を決定するという流れが、否応なく出来上がりました。グズグズためらっているだけの時間がない、という事情が働いて、大きな動きを生み出した例と言えます。寝床の中で迷い続けるような状況をスパッと断ち切ることで、いちおう高齢者にも転居が可能であるという事実が、証明されたわけです。
こんなことを書いてもよいかどうか――エッセイを休載してから、日々の生活の中で、書くテーマと内容を考えこまなくてもよいのは、ホント楽やなあ、というのが昨今の気分であることを白状します。七月から数えて、三月目。そろそろ再開か、という内心の声にかぶさる、もう一つの声――「まだ、ええやろ」。若かった頃のように、白か黒かを割り切れず、決断に手間どるのが、年寄りのならいではないか、そんな気がします。そういう優柔不断を経ながら、A(実行)とB(断念)の二者択一でいえば、Bに傾いていくというのが、私だけでなく、多くの高齢者の実状ではないだろうか、とそんな気がするこの頃です。
哲学の分野では、新しい本が続々登場しています。面識のない若い著者が、こちらが初めて目にする新奇なジャンルで、野心作を世に問うその度胸には、いや驚くほかありません。新しいものを、新しさゆえに拒絶あるいは無視するという態度は、一般的には老化の表れに違いないと思われます。老人には、上記のように優柔不断とあわせて、それと矛盾するかのように、単純化を求める態度、その両方があるように感じられます。ですから、自分に言い聞かせるべきことは、新しい書物に対して、ともかく心を開いて向き合わなければならないということ。そのうえで、汲むべき内容がもしあれば、虚心に受け容れ、そうでない場合は、なぜ何がいけないのか、という理由を挙げるだけの手数を惜しまない、ということです。私の場合、判断を急がないという現在の性向を、もしうまく活かすことができたなら、あるいはそれなりの「年の功」が実るかもしれません。
2 木岡哲学塾の活動状況
9月1日の「木岡哲学対話の会」をもって、活動を再開しました。月の半ばになっても、8月と変わらない酷暑の続く中で、塾生の変わらない意欲に支えられながら、行事の順調な進展を期す毎日です。
Ⅰ 木岡哲学対話の会
先月お知らせした方針のもとに、後期の第一回を次のとおり開催しました。
◎第6回
日時:9月1日(日)13:00-16:00
会場:大阪駅前第三ビル17F第8会議室
テーマ:《出会いと対話》
- 哲学講話: 《出会いから対話へ》
「世界と人生の意味についての理性的反省」である哲学。哲学は、異なる世界に生きる者同士の〈出会い〉、およびそれに続く〈対話〉を必要とします。風土学の中心テーマである〈出会い〉と〈対話〉がもつ意義を、簡潔に語りました。
2)哲学対話
発表:《対話から生まれるもの》
オープン・ダイアローグのように、間身体性によって成立する対話の場。その充実が求められる現状に則して、発表者が日ごろ抱える問題の所在が明らかにされました。発表とそれに続く対話は、一昨年の方針であったPCAGIPに近い「集団カウンセリング」の雰囲気で行われました。
Ⅱ 哲学ゼミ
前半を「テクスト読解」、後半を「発表と討論」に充てる方針は、前期と変わりません。後期の初回は、次のとおりです。
◎第6回
日時:9月15日(日)13:00-16:00
会場:木岡自宅
プログラム
1)『瞬間と刹那』「第六章 瞬間から歴史へ――三木清とミュトロギー」
三木清の人間学とそれが要請するミュトロギーの方法について、詳しい説明が行われました。
2)発表と討論
発表:《土居健郎『甘えの構造』について》
かつて論議を呼んだ日本人論の古典について、発表者が現在の関心から再論を提起しました。
Ⅲ 個人指導
再会直後の9月上旬に、二人の塾生と以下のようなレッスンを行いました。
◎Aさん:
70歳代の社会人。秋から取り組む課題として、本人が希望したプラトン『国家』の概要を確認し、読解の進め方を話し合いました。つづいて、毎回のノルマであるベルクソン「意識と生命」の原書(フランス語)による講読を行いました。
◎Bさん:
30歳代の公務員。本人のテーマである「自然」について、自身の経歴における自然とのかかわりが文章で報告され、それをもとに「風土」「環境」などの類概念との異同を明らかにしました。つづいて、これも本人作成のレポートを用いて、四書の一つ『中庸』の「誠」の哲学の本質をめぐる検討を行いました。
お二人とも哲学を専攻されたことのないアマチュアですが、それぞれの生き方との接点を大切にして精進されてきた結果、大学のゼミでは不可能に近い、高水準のレッスンが実現しています。