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2025年2月21日新着情報

1 二つの空間

 人間は、二つの空間を生きている。最近、そんなことを考えるようになりました。二つの「世界」という言い方も頭に浮かびましたが、その言い方だと、二つの世界がたがいに独立し対立している、というイメージになってくる。そうではなく、二つの空間は近接し重なり合うので、区別がしにくい。けれども、二つの空間のどちらに自分や自分の相手がいるのかは、その場の空気感で判別できる。近頃もそういう実感を抱く機会があったので、ここに書いてみる気になりました。

 二つの空間を、「自由空間」「権力空間」と呼び分けたいと思います。そこに身を置くことによって、だれとでも気がねなく言葉を交わすことができる、それが自由空間。それに対して、何かしらの身構えとともに他人と向き合い、たがいに型どおりの言葉を発することで、無難に治まっていくというような、制約された空間が、権力空間です。もっとも、こんなふうに要約したのでは、違いが際立ちすぎて、実態からかけ離れてくる。実際のところ、私たちは、日常的に二つの空間をたえず行き来しているので、その間のギャップには気づかないのがふつうです。

 二つの空間が異質なものとして立ち現れてくるのは、自分がその一方に位置して、相手にもそこに身を置くことを期待する場合です。具体例を挙げるなら、自分が設定した対話の場に他人を誘い入れようとする場合。自由空間を共有しようとするこちらからの呼びかけに、反応がないとか婉曲な拒否があったりすると、その人は権力空間にとどまる方を選んだのだな、という感じが生じてきます。

 「権力空間」という響きは、誤解を招くかもしれません。それは、型どおり、マニュアルどおりに動くことが周りから期待され、自分としてもそれに従うことが苦痛ではなく、当たり前であるような場のことです。たとえば、人が成長する過程で、子どもとして親の言いつけに従順に従う、学校で先生に言われたことや校則に異を唱えたりはしない、そういう振る舞いが身についてきます。別に「権力者」が命令するわけではないけれども、だれもがそのしきたりを守ることで、安全に暮らしていくことができる、それが権力空間の特徴です。実社会は、家庭や学校の延長。誰に命令されるまでもなく、私たちは慣習やしきたりに沿って行動しています。

 別に構わないではないか、なぜ、それを「権力」というご大層な言葉に結びつけるのか。そういう反論が出てくるかもしれません。理由は、ハッキリしています。安全が保障されたその場にいることが、自由であることに対するくびき、妨げになるからです。権力空間に自由空間を対立させることの意義は、まさにこのことにあります。人と人の〈あいだ〉を開き、対等な相手との対話を生み出すためには、「権力空間」から出て、「自由空間」に入らなければなりません。大学を辞める何年か前、〈対等同格な出会い〉という持論を授業で語っていたとき、自分は生まれてからいちども対等な出会いを体験したことはない、と言い返してくる学生がいました。これは大きな啓示でした。今回の話に引き寄せて言うなら、その学生は、いまだかつて権力空間ではない自由空間に身を置いたことがない、と告白したわけです。

 権威を看板に掲げる大学は、文字どおり権力空間を代表しており、そういう存在であることを自らに許してきました。私は、その空間に風穴を開け、自由空間を導入しようと闘ってきましたが、それも5年前に見切りをつけました。幸いにして、自由空間を共有しようとする同志に恵まれた現在の境遇が、例外的な仕合せであることを感じる昨今です。

 

2 木岡哲学塾の活動状況

 「木岡哲学対話の会」「哲学ゼミ」「個人指導」について、それぞれの近況をお伝えします。

 木岡哲学対話の会

 例年どおり、2月はお休みです。3月から、新年度の活動を開始します。2025年度は、「環境問題」を全体のテーマに掲げて、プログラムを組んでいきます。

◎第1回《環境問題を考える》

日時:32日(日)13001600

会場:大阪駅前第三ビル17F第7会議室

内容:

  1. 哲学講話:《「環境問題」とは何か》

 風土学の立場から、「最も広い意味での環境問題」について、それを考えるに至った経緯

と問題の広がりを説明します。

2)哲学対話:《私の環境問題》

 先月お知らせしたとおり、第1回は発表希望者がないため、環境問題をめぐる各自のイメージを語り合うところから、対話を展開することになりました。

3)その他

次回以降の哲学対話について、討議したいテーマ、発表希望者を募ります。

 

 哲学ゼミ

 2月のゼミは、次のとおり開催される予定です。

◎第11

日時:216日(日)13:001600

会場:木岡自宅

プログラム

1)《『国家』を読む前に》

 テクストの読解にあたって、プラトンと『国家』に関して必要と考えられる注意を行ないます。

2)『国家』第一巻

 全篇の「前奏曲」とされる最初の正義をめぐる対話について、参加者による報告をもとに議論します。

  1. その他

次回以降の取り組みについて話し合う予定です。

 

 個人指導

 各自の希望するテーマに沿って、レクチュア・読書指導・語学指導・論文指導などを自宅で行っています。レッスンの中で取り扱っているテクストは、プラトン『国家』、ベルクソン「意識と生命」、ホワイトヘッド『観念の冒険』といった古典が中心ですが、最近刊行された話題書も取り上げることがあります。テクストの単なる読解にとどまらず、その思想を現在にどう活かすかが、レッスンの眼目です。

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