毎月21日更新 新着情報

2022年2月21日新着情報

1 「木岡哲学塾」のご案内

 先月、本ページ上に「木岡哲学塾」の「趣意書」を掲載しました。その時点では、「対話の会」について、まだ方針を詰め切れていませんでした。その後に考えたことを中心に、以下、具体的に説明します。

◎木岡哲学塾Ⅰ:「対話の会」

 すでに申しあげたとおり、私の主宰する「哲学塾」は、これまでの講義形式をとりやめ、今年から参加者主体の「対話の会」に切り替えます。そのきっかけとなったのは、「哲学対話」との出会い。20207月に行った「木岡哲学対話の会」(会場の吹田市サンクスホール、「哲学対話」提唱者の梶谷真司先生(東京大学)、および各拠点をZoomで結ぶ、オンライン多元中継)において、「哲学対話」の実際に立ち会ったことが、大きなはずみとなりました。その一部始終については、動画(20209月の「新着情報」に公開)でご確認ください。ひとことで言えば、「哲学対話」とは、参加者全員が同じ平面に立ってテーマを共有し、それぞれの思いや意見を交換する、というものです。

 そのときから、私の主宰する行事において、「哲学対話」をどのように具体化するかが、大きな課題となりました。退職後、これまで続けてきた「哲学塾」は、講義と発表・討論が半々の、ゼミ形式。対話に向けて、十分開かれていたとは申せません。「講義」を「対話」に、どうシフトするか。方針転換を考えるものの、何をどうするかの案が定まらない状態が続きました。その矢先、新たな光が差してきました。それは、心理療法の大家ロジャーズが開拓したPCA(パーソン・センタード・アプローチ)を軸とする、対人援助職のための事例検討法PCAGIP(ピカジップ)に、眼が開かれたことです。「哲学対話」とPCAGIP法には、非常にハッキリした共通点があります。

  • 参加者全員が、同じ目線に立ってテーマを共有する。
  • ファシリテータ(進行役)が、会の運営を担当する。
  • 「事例提供者」(意見発表者)が何を言っても、批判されない。
  • 結論が出なくてもよい(参加者それぞれに気づきがあれば、それでよい)。

ほかにも共通点はいろいろありますが、二つの方法を見比べて、私は以上の4点に、特に惹かれました。教授が学生を相手にする、一方通行の「講義」では、このように開かれた「対話」は実現しません。講義との違いは、次の点にあります。「哲学対話」の場合、参加者がテーマを持ち寄る中から、全員合意の下に、その場で対話のテーマが決められます。PCAGIP法では、対人援助職のグループの中から事例提供者が立てられ、周囲の質問に事例提供者が答えるという形式で、対話が進行します。「事例提供者」を立てる(PCAGIP)、立てない(「哲学対話」)という違いはあるものの、いずれの場合も、言葉のやりとりをつうじて、参加者それぞれが自身にとって大切な何かを発見する、という対話ならではのメリットは同じです。他人の発言を批判・否定しないというルールも、両方に共通です。これは、学問の世界での研究発表・討論のあり方とは、まったく対照的です。自分の考えが他人によって批判されない、安全・安心な環境の中で、各人みずから「気づき」に至る、という〈自己発見〉のプロセスが生まれるのです。私の求める哲学のあり方――「自分のテーマを自分で考え、自分の言葉で表現する」――に近づいていく可能性が、「哲学対話」とPCAGIP法にはある、と考えられます。私は、これら二つの方法を参考にして、「対話の会」を企画運営したいと考えます。 

 現時点で考えられる会の手順は、およそ次のとおりです。

  • 初回において、参加者が自己紹介を行い、それを受けて「事例提供」の順番を決める(希望しない人に、事例提供を求めることはしない)。
  • 事例提供(30分程度)の後、参加者が順に一つずつ質問して、提供者がそれに答える。このプロセスを、一、二巡する(第1ラウンド)。
  • 参加者は、記録やメモを取らず、対話に集中する。その代りに、記録者が要点を板書して、情報共有を図る。
  • ファシリテーターは、第1ラウンド終了後に、共有された事実や状況を整理する。参加者各自に、一定の気づきが生まれている状況を受けて、必要な場合には、補足質問などの機会をつくる(第2ラウンド)。

 以上は、おおむねPCAGIP法の原則にしたがった手順です。もう一点、主宰者(木岡)は、基本的に自身の役割を、「ファシリテーター」および記録者として位置づけます。その立場では、指導者・教師としてふるまうことはありません。したがって、これまでの哲学塾のように、講義することもありません。ただし、「講義」に代わって、自身が抱えるテーマについて「事例提供」を行うことを考えています。ときにはPCAGIP法の専門家に参加していただき、ファシリテーターを務めていただく場合も想定しています。

 以上ですが、いかがでしょうか。もっと詳しい趣旨説明や会の方針についてのご相談は、初回オリエンテーション(313日)のさいに行う予定です。オリエンテーションは、それ自体が、私自身の立場を紹介する「事例提供」の例となります。こうした会の趣旨に賛同くださる方には、参加のご検討をお願いします(連絡先:n.kioka@s3.dion.ne.jp.

 

[参考図書]

  • 梶谷真司『考えるとはどういうことか――0歳から100歳までの哲学入門』幻冬舎新書、2018年。
  • 村山正治・中田行重『新しい事例検討法 PCAGIP入門――パーソン・センタード・アプローチの視点から』創元社、2012年。

木岡哲学塾「読書会」、同「個別面談」については、基本的に先月ご説明したとおりです。それぞれについて、具体的な情報を若干補足します。

 

 

木岡哲学塾Ⅱ:「読書会」

  • 開始日:320日(水)14001600
  • テクスト:九鬼周造『偶然性の問題』(岩波文庫)「第二章 仮説的偶然」「五 因果的偶然と目的的偶然」(71頁)から。
  • 内容:2時間を半々に分け、前半では主宰者もしくは参加者による話題提供(発表と討論)、後半でテクストの読解を行う。読解に当たっては、主宰者がテクストの要点を整理したメモを提供し、それを参照しながら読み進める。各回、23節を読む予定。
  • 備考:本テクストは、日本人の手になる最高水準の哲学書。精緻に考え抜かれた論述を読み解くことをつうじて、論理的思考の鍛錬となることをめざす。

 

木岡哲学塾:「個別面談」

上記Ⅰ,Ⅱとは別に、個々のご希望に合わせた面談をお受けします。学問研究上の助言や指導、生活上の相談事、雑談、その他何であれ、直接会って話したいと思われることがあれば、気楽においでください。12時間程度、お付き合いする用意があります。

 3月の開始以降、日(16時以降)・水・金の午後を空けています。予定時間を調整する必要がありますので、おいでになるさいには、事前に希望日時をお知らせくださるよう、お願いします(n.kioka@s3.dion.ne.jp)。

 

2 著書贈呈

 

このほど、拙著『瞬間と刹那――二つのミュトロギー』(春秋社、¥3600)が刊行されました(220日)。内容概略は、次のとおりです。

西洋の「瞬間」と東洋(仏教)の「刹那」。しばしば同義語と見られるこの二つの語は、それを使用する世界の異なりを意味する。それはどういう異なりか、なぜそれが生まれたのか、を明らかにするための補助概念が、「ミュトロギー」すなわち「ミュートス」(神話)と「ロゴス」(論理)の結合態である――この概念については、戦前の哲学者三木清から、着想を借りた。「瞬間」のミュトロギーと「刹那」のミュトロギー、この二つを比較すべく、旧著『邂逅の論理』と同じ三部構成(全九章)をとった。大まかな区別で言うなら、Ⅰは「瞬間」、Ⅲは「刹那」について、それぞれのミュトロギーを展開する。中間のⅡは、西洋と東洋にまたがる日本「哲学」のあり方、「瞬間」と「刹那」――というより、二つの語の背後にある世界――の双方に開かれた、日本人哲学者の思索を取り上げる。それは、最終的に「瞬間と刹那の〈あいだ〉」(第九章)に立とうとする私にとって、貴重な教訓を提供してくれた先人たちへのオマージュでもある。

以上の内容に関心をお持ちくださる方には、拙著を贈呈します。贈呈を希望される方は、次のいずれかをお選びください。

  • 手渡しの場合。当方のオフィス(阪急京都線相川駅下車、西改札口を出て、右手の駐車場向かいの喫茶UN DEUX TROIS右隣のビル3F、徒歩1分)まで、おいでください。水・金・日の午後(1417時)在室。おいでになる時間の連絡を、メールでお願いします。
  • 郵送の場合。宛先住所をお知らせくだされば、送料着払いの「ゆうメール」(¥360)でお送りします。

 

3 ウィルス感染状況について

 オミクロン株による感染拡大第6波の収束が、なかなか見えない現状です。そうした中、「木岡哲学塾」の行事については、基本的に予定どおり行います。中止・延期等の予定変更は、主宰者が感染する、「緊急事態宣言」が発令される、このいずれかの場合のみとお考えください。参加を申し込まれた方が、随時参加の見合わせ(欠席)、取りやめ(退会)をされることは、もちろん自由です。この旨、ご了承をお願いします。

以上

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