1 〈考える〉ことと〈考えない〉こと
ある朝、フッと頭に浮かんできたことどもを記します。先月の続きのような内容です。
日常、人と話していると、この人は〈考えている〉、あるいは〈考えていない〉、ということがすぐに判ります。そんなことに気をとられるのは、哲学が〈自分で考える〉ことだという、私の哲学観によるもので、これは習性というか、業(ごう)のようなものです。二とおりの印象のうち、圧倒的に多いのは後者。世の大半の人たちは、ものを考えていない。エラそうな言い方で恐縮ですが、そう断定したいというのが、正直なところです。
世に〈考える〉ことを生業(なりわい)とする職業があり、その代表格が「哲学者」であるとされている事実。これは間違いです。同業者であるこの種族ほど、〈考えない〉連中はいない。世間の人々にとって、「哲学者」は常人の理解が及ばない難しい書物を読みこなす能力のある人であるとされ、物事を深く考えるプロが哲学者であると受けとられています。そういう受けとめ方には理由があり、必ずしも間違ってはいない。にもかかわらず、日本の「哲学者」がものを〈考えない〉人種の筆頭格だとするこちらにも、しかるべき言い分があります。それをご説明しましょう。
一種の風土決定論になりますが、〈考えない〉生き方は、日本の風土――自然と社会のあり方――に由来します。恵まれた自然条件の中で、特別の人為的努力を講じなくても、生きる糧が比較的楽に手に入る――和辻哲郎『風土』が見事に描写した、モンスーンの風土。そこに生きる人々には、おのれの判断一つで生死が分かれる、苛酷な風土――沙漠が典型――に比べるなら、必死で考えなければならない理由が希薄です。生命をつなぐための水の獲得が、右に進むか左に進むかの選択にかかっているような状況では、一つの判断のミスが命とりになる。そういう状況下では、人は死に物狂いで考えようとするし、自力による解決が困難な状況では、絶対者に救いを求めるでしょう――沙漠の風土において、人々が神に絶対服従する理由を、『風土』は説得力をもって明らかにしています。〈考える〉習慣は、考えなければ生きていけない風土で育まれます。ここでくわしい説明はできませんが、日本のような農耕社会では、そういう自立的思考が求められる局面は少なく、逆に、農作業を共同でスムースに運ぶためには、自分で考えるよりも、社会の習わしに沿って他人に同調する生き方が求められます。そういう習慣が、長年にわたって受け継がれ、いわば日本人の遺伝子として定着したのではないか。私は最近、そんな風に考えるようになりました。
しかし、日本社会に転機が訪れる。明治以降、西洋文明の導入によって、「近代化」や「民主化」が社会のスローガンになる。それまでの〈考えない〉社会に〈考える〉社会の文物が導入された、その代表が「哲学」です。考えなければ生きられない社会で、優秀な頭脳をもつ少数のエリートが考えた成果である哲学。ところが、それを受け入れるのは、〈考えない〉日本社会ですから、その受け入れ役――「哲学者」と呼ばれていますが、実態は「輸入代理業者」――は、テクストの内容を正確に翻訳して、「教える」ふりをすれば、立派に商売が成り立つのです。こういう人たちに「哲学者」という間違った呼び名を与えるよりも、もっと実質に即した「文献学者」という名を呈してはいかがか、と私は思います。二つの名称の違いは、哲学者が自分でものを考えるプロであるのに対して、文献学者は他人の考えた結果である文献の意味を正確に伝えること――それだけでも、外国語の読解力など、ふつうの人にはない高い能力が求められます。バカでは務まらない職業です。
さて、哲学とは、〈自分のテーマを自分で考え、自分の言葉で表現すること〉。このことにいちばん向いているのは、世の中で実際に苦労している社会人。いちばん向いていないのが、大学の哲学教師。この逆説がお分かりになりますか?難しい問題に直面して、それを考え、答えを出さなければならない社会人に対して、そういう状況から離れて、研究室で本を読んでいれば通るのが、世にいう「哲学者」――かく申す私自身、数年前までその一員でした。本当の意味の哲学は、世間の人々にこそ開かれているという事実。もし、このことをご存じない向きがおいでなら、このさい認識を改めていただくようお願い申し上げて、雑文を閉じることにします。
2 木岡哲学塾の活動状況
「木岡哲学対話の会」「哲学ゼミ」「個人指導」のいずれも、これまでどおり順調に活動を続けています。それぞれの近況をお伝えします。
Ⅰ 木岡哲学対話の会
◎第8回
日時:11月3日(日)13:00-16:00
会場:大阪駅前第三ビル17F第6会議室
内容:
《道を切り拓く》
1)哲学講話:《道の思想》
〈中〉と結びついて「中道」を形づくる〈道〉の意義を明らかにしました。「日常歩まれる道路」から、宇宙の根本原理、道徳規範などの理念に至る意味の広がり、とりわけ日本における〈道の文化〉の特色を、私自身の課題とする〈かたちの論理〉に結びつけて説明しました。
2)哲学対話:
《Second Brainで拡張知能を獲得しよう!》
レジュメのほか、図解など関連資料が豊富に用意され、生成AIについての基本的説明、現在の技術的到達点と今後の展望、人間との「協働」の可能性まで、超重量級の内容をコンパクトにまとめた高水準の発表が行われました。
3)その他:
アンケート結果をもとに、本会を来年度に継続する提案が行われ、全員の合意が得られました。
Ⅱ 哲学ゼミ
◎第8回
日時:11月24日(日)13:00-16:00
会場:木岡自宅
プログラム
1)『瞬間と刹那』「第八章 転換の論理」
「刹那滅」をめぐる初期仏教のミュトロギーを論じた第七章に続いて、大乗仏教(唯識派・中観派)が到達した〈転換〉の論理が明らかにされます。
2)発表と討論
和辻哲郎『風土』の主要箇所をめぐる要約と論評が行われます。
Ⅲ 個人指導
参加者個々の要望に沿って、テーマごとのレクチュア・読書指導・論文指導などを自宅で行っています。最近では、9月・10月の本欄で紹介した5名のほか、新たに2名の塾生を相手に、以下のような個人指導を行いました。
◎Fさん:
会計業務に長年携わった70歳代の元会社員。企業会計を手がかりにして、家庭会計をいかに組み立てるかというテーマについて、助言を行いました。
◎Gさん:
現代世界の諸問題に深く関心を寄せる40歳代の社会人。母親の食事療法を担当する中で出会った書『チャイナ・スタディー』について、本人が作成したレポートを読んで、助言と添削指導を行いました。