毎月21日更新 新着情報

2025年7月21日新着情報

1 「風景」の視点から

このたび、図らずも京都の景観問題にかかわることになりました(2参照)。一人の委員として何をするのか、何ができるのかは、会議が未開催の現時点(7.7)では、何も判りません。そういうときなればこそ、景観問題についての自分の立場を見きわめておく必要があろうか、と考える次第です。

『風景の論理』(2007年)を出版して以来、世間で取りざたされる「景観」の問題について、意見を求められるなどして関与したことは、一度もありません。「風景」を主題とする拙著の内容が、景観問題の関係者にとって無縁であったことのしるしかと思われます。そんな私が、景観政策についての発言を求められる職分に就くということは、たぶん世間の風向きが変わったこと、景観問題に風景の視点が必要だという認識が生まれたこと、を物語っているでしょう。

風景と景観とは、意味が異なりながらも、密接に関係しあっています。『風景の論理』「第一章 風景概念の基本構成」に、そのあたりの議論を詳細に展開していますが、18年も前の記述をたどりなおすようなことはしません。ごく簡単に言えば、「景観」は、目に見えるかぎりでの外界の様子を表します。対するに「風景」は、視覚的な表れ以外に、あらゆる感覚をつうじて心に伝わる世界の姿、〈意味〉を表すという点で、「景観」から区別されます。こうした区別のポイントは、二つの語に共通する「景」(日の光を表す)に、見え姿である「観」が結びつくか、目に見えない雰囲気・空気を意味する「風」が結びつくか、にあります。

ちょうど1年前、日本サウンドスケープ協会主催のシンポジウム《心に残る音風景》に参加して、「沈黙と響きのあいだ」という講演を行ったことから、「風景」の奥深さに気づかされました(3参照)。「サウンドスケープ」として扱われるのは、何デシベルと計測されるような物理的音響ではなく、「心に残る」意味をもった響き、音の「風景」です。耳は、五感のうちでも、特に心の深い部分に訴えかける力をそなえた器官。耳からの聴覚、目からの視覚、その他嗅覚や触覚など、感覚のすべてが織り合わされて、そのときどきの世界の風景が成立すると言わなければなりません。『風景の論理』執筆当時、風景の視覚的な面にしか注意が及んでいなかったことを、その折、大いに反省しました。「音風景」はあっても、「音景観」ということがないのは、音の体験が音響から生じる感覚的刺激だけで独立することなく、他の感覚と「共感覚」的に組織されて、意味を生み出す事実があるからです。そういう次第で、音に関するかぎり、どうしても「音風景」と言わなくてはならないわけです。

仮に「風景問題」という呼び方をするなら、その内実は「景観問題」とイコールにはならない。ここまでの話から、そのことがお判りいただけることと思います。委員会の場で発言の機会が与えられる場合に、自分にできることは、景観の問題は風景の問題と一体であって、この二つを切り離すことはできない、という原則論を述べることぐらいでしょうか。風景を論じるさいには――むろん景観についても当てはまりますが――、その土地に生きる人々の思いが、最優先されるべきではないか、と私は考えます。つまり、国際観光都市だからという理由で、外来の観光客に与える印象といったものが、住民の思いよりも先行する事態は、あってはならないと。そんな分かり切ったこと、仰々しく言わんでもええがな、という声が、どこかから聞こえてきそうな気がしますが……

2 「京都市景観政策検討委員会」への参加

 1にも記したとおり、京都市からの要請を受け、標記の委員会に参加することになりました。2007年にスタートした「新景観政策」から、まもなく20年を迎えるこの機に、時代の変化に即応した景観づくりをめざして審議、調査するとの目的から、京都市長の諮問機関として設立されます。委員としての任期は、2025722日~2027721日の2年間。年間56回開催され、再来年には答申が提出される予定とのこと。

 風景論を手がける一人として、京都の景観問題にコミットできる貴重な機会をいただいたと喜んでいます。活動状況については、適宜、本サイトでご報告したいと考えています。

3 日本サウンドスケープ協会誌発行

 昨年6月、千葉市幕張で開催された日本サウンドスケープ協会主催のシンポジウム《心に残る音風景》に参加して、「沈黙と響きのあいだ」と題する招待講演を行いました。6月下旬、開催の記録を含む協会誌(『サウンドスケープ』第24巻、電子版)の情報が届きましたので、URLを公開します。拙稿は、非会員にもアクセスできる「一般公開」の扱いとされていますので(pp.512)、ご一読いただければ幸いです。

 https://www.soundscape-j.org/publication.html

4 木岡哲学塾の活動状況

 木岡哲学対話の会

 年間のテーマは、「環境問題」。「哲学対話」の発表内容は、参加者によってさまざまですが、参加者が自身にかかわるテーマを、「最も広い意味での環境問題」という文脈において考える、ということが狙いです。私の担当する「哲学講話」のテーマ・内容は、後に続く「哲学対話」に連動するように配慮して組み立てられています。

◎第5回

日時:7月6日(日)13001600

会場:大阪駅前第三ビル17F第8会議室

内容:

《人間の言葉、機械の言語》

  1. 哲学講話:《沈黙と語りのあいだ》

 「沈黙」は、無音ではなく表現以前の〈意味〉の充実であること、〈語り〉に先行し、〈語り〉と〈語り〉をつなぐ〈ま〉であること、を明らかにしました。沈黙と語りの〈あいだ〉は、テクノロジーが模倣することのできない〈人間の条件〉そのものであることを示し、人間と機械とを分かつ一線を画しました。

  →沈黙と語りのあいだPDF

  1. 哲学対話:《生成AIの光と影:ラジオ少年が「生成AIの光」と出会うまでの軌跡》

 長年にわたり活躍してきたITエンジニアが、ラジオ少年の時代、駐在先の外国で難題解決を果たした青年時代、生成AIの目覚ましい進歩に立ち会う現在、という人生の三つの時期をクローズアップする形で、自分史を語り出しました。

3)その他

秋期のプログラムについて相談し、912月の発表者、全体討論のテーマなどを決定しました。

 哲学ゼミ

〇日時:629日(日)13:001600

〇プログラム

1)『国家』第五巻の読解

国家の守護者のあり方――妻子の共有、私有財産の禁止など――をめぐる討議を経て、「哲人王」の思想、哲学の本質論を提示するなど、全巻の中心ともいえる第5巻について、詳細な内容検討が行われました。

  1. 研究発表

完成して間もない拙稿「〈中〉への問い――山内得立に倣いて」について、内容を紹介して討議に付しました。

 次回は、713日(日)に行われる予定です。

 個人指導

 レクチュア・読書指導・語学指導・論文指導などを、自宅で行っています。自己研鑽のためのレッスンが中心ですが、「木岡哲学対話の会」で発表するための助言も行っています。それぞれの関心のあるテーマに即して、読解するテクストを選定し、テーマを決めて論文を作成してもらうなど、個々のニーズに即応するゼミとなっています。

HKさんの場合:

 転職支援の実務に携わりながら、仕事の合間を見つけて、月一回のレッスンに通い続けています。〈意味〉の問題に関心を寄せ、レッスンに参加する以前から、現代哲学のテクストに自力で挑んできました。昨年までに山内得立『意味の形而上学』を読み上げたのち、ホワイトヘッドの主著『過程と実在』に転じて、毎回3章程度ずつ読み進めています。

PAGE TOP