大病からの復帰
猛志君:シリーズの三回目は、『〈あいだ〉を開く――レンマの地平』(世界思想社、2014年)を取り上げてほしい、と先生は要望されました。この著書は、シリーズの最初に取り上げた『風土の論理――地理哲学への道』(2011年、ミネルヴァ書房)の三年後、三作目の著書として刊行されました。風土学三部作には入らない、この本の性格はどういうものでしょうか。
直言先生:風土学三部作に比べて、分量的にも少ない小さな本ですから、いわば三部作の「間奏曲」、そんな言い方をしたこともあります。けれども、内容的にはオマケではなく、独立した作品であると主張したい気持ちがあります。
猛:「あとがき」に、「この書を世に出すことは、一つの必然であり、運命であった」と書かれています。
直:「あとがき」を読んでくださっているとは、ありがたい。この本を世に出すことができた喜びを、そこでは率直に書き表したつもりです。
猛:僕が特に印象づけられたのは、大病を経験された後で、この本が書かれたという事実です。それについて、何かお話しいただけませんか。
直:木曽の別荘が完成して間もない2012年8月14日、お盆に帰阪するつもりで乗った中央本線の特急「しなの」、その車中で倒れました。座席をめぐるトラブルから、車掌と言い争っているうちに、天井がグルグル回り出し、昏倒。立ち眩みというようなものではなく、脳卒中による小脳出血であることが、緊急搬送された病院で判明しました――ケンカ相手の車掌が、特急を坂下駅で臨時停車させ、近くの病院に入院させてくれました。命の恩人です。
中道さん:入院された経緯については、以前にも伺ったことがあります。当初は、生死の境であったとか。
直:ええ、出血が小脳から脳幹(自力呼吸の中枢)の近くまで及んだので、危なかったと。とはいえ、小脳出血ですから、言語や記憶にかかわる大脳皮質は無事。そのおかげで、仕事がそれからも続けられたわけです。
中:「あとがき」では、「最後に一言」として、「旅先で倒れた直後、献身的に看護に当たってくれた妹が、夢枕に立った祖父と父から「助けてやってくれ」という声を聞いたことを述壊した」と書かれています。
猛:そういう体験が、この本を書かれたことの「必然」「運命」につながっているということでしょうか。
直:そういう気がします。というのも、倒れる前の2011年、『風土の論理』を出した後で、長年親交のある世界思想社の久保民夫さんから、新しい「現代哲学叢書」シリーズに何か書いてくれないか、というお誘いがあったものの、あまり気が乗らず、筆が進んでいませんでした。それが、生命の危機を通過したことでスイッチが入り、そのころ書かねばならないと思っていたテーマと必死で向き合うことになった。それが事の次第です。
猛:本のタイトルに「あいだ」「レンマ」がありますし、目次を見ても、「中の論理」「通態性」「アナロギア」といった、風土学のキーワードが並んでいます。ということは、この時点で、それまでの研究をまとめておく狙いがあったのかな、という気がします。
直:そういう受けとめ方で結構です。結果的に、それまでに手がけてきた風土学のテーマのオンパレードという本になりました。本文200ページ足らずの小さい本だというのにね。
猛:この本のオビには、「二元論を包摂する東西総合の地平へ」という、大きな見出しが掲げられています。
直:見出しの下に宣伝用のコピーがあるでしょう。それを読んでください。
猛:「西田幾多郎の系譜上で独自の個性を放つ山内得立の思想に着目して、古代インドに発するもう一つの論理、レンマの地平を見極める。ロゴス的二元論によって分断された人と自然、人と人の〈あいだ〉を回復し、生命と環境の危機から蘇生する道を切り拓く」とあります。
直:どうですか、コピーの印象は?
猛:本の内容そのままで、とても正確な説明になっていると思います。
直:そうでしょう。君の言うとおり、「正確」そのもの。ですが、この文句を提案されたとき、いくぶん不満のあった私から、久保さんに対してクレームをつけた覚えがあります。
猛:それはまた、どういう不満でしょう。
直:「山内得立」なんて哲学者のことは、誰も知らない。そんな名前を挙げたのでは、本が売れなくなるのではないか、とね。
猛:へぇー、そうでしたか。それに対する返答はどうでしたか。
直:むしろ、そういう人の名前を前面に出した方が読者にアピールする、「山内哲学」を前面に打ち出しましょう、ということでした。
猛:で、こういうコピーが出来上がったと。その結果について、どう思われますか。
直:当時のおのれの不明を恥じるばかりです。この本の主旨は、山内哲学を顕彰することであって、それ以外の目的は付け足しのようなもの。そうであればこそ、存命であった梅原猛先生から、恩師のことをよく書いてくれた、というメッセージが届いたわけです。
山内哲学との〈出会い〉
中:すみません、山内先生のお名前が登場するのは、『〈あいだ〉を開く』が最初だと記憶します。それまでのご本に、その名前が出てこないということは、山内哲学に対する関心がなかった、ということでしょうか。
直:そのご指摘は、正確ではありません。『風土の論理』(2011年)の参考文献リストに、この人のテクストを2点挙げています。しかし、それはささいな言及であって、本格的に山内の哲学を論じたのは、『〈あいだ〉を開く』が初めて。記憶されているとおりです。
猛:山内得立の哲学を、最初に本格的に論じたのが、この本だということですね。そのことは、風土学にとってどういう意義があるのでしょうか。
直:二つの意義があります。山内哲学との〈出会い〉によって、それまで自分の手がけてきた風土学の意義が、山内のめざす「東西総合」という目標に一致することに気づいた、これが一点です。もう一つは、彼の主著『ロゴスとレンマ』が明らかにした二つの論理のうち、西洋のロゴスに対する東洋的なレンマに目が開かれ、レンマが風土学の課題として浮上してきたこと。私が気づいたのは、山内が風土学と同じスタンスをとっていて、インドや中国など東洋の思想が、西洋とは異なるレンマ的論理であるということです。
猛:なるほど、いまのご説明で、先生にとって山内哲学との出会いが、決定的に重要であったということが分かります。脳卒中で倒れるまでの風土学の著作には、ベルクソンや現象学など西洋哲学のテクストがよく引かれていますが、『〈あいだ〉を開く』以後の著書では、西洋哲学よりも東洋思想に言及される割合が多くなっています。
中:同感ですが、西田や九鬼のような日本人の哲学については、それ以前からも、ずっと関心をもって取り組んでこられたように感じます。
直:中道さんは、さすがにポイントをついてきますね。おっしゃるとおり、西田や九鬼、和辻など日本の哲学者については、風土学にかかわる以前から――というより、哲学に入門して以来――一定の関心をもっていました。そういうベースがもとからあって、新たに山内との出会いが成立した、という言い方が適切かもしれません。
猛:具体的に言うと、どういうことでしょうか。
直:先ほど取り上げたオビの謳い文句に「西田幾多郎の系譜上…」とあるように、山内は西田の直弟子として、日本の哲学の進むべき道を、それも師の西田以上に深く自覚した哲学者です。その行き方が、日本の哲学を風土学に見定めた私の手本になったということです。
中:すみません、「西田以上に深く自覚した」とおっしゃったことの意味が、よく分かりません。小さなことかもしれませんが……
直:小さなことではない、本質的な問題です。トップランナーとしての西田は、自分の流儀で日本の哲学を切り拓くことに全力で打ち込んだ。そのあとに続く山内のような弟子は、先生のやり方をはたから見ていて、うまくいった点、うまくいかなかった点、どちらもよく理解していたはずです。そのことが、自身の哲学をどう進めるべきか、という課題に対する、師よりも慎重な姿勢を生み出したと考えられるのです。
猛:いまの言葉は、山内得立という哲学者の評価に関係する重要なポイントを含んでいるように思います。師の西田幾多郎と弟子の山内得立の関係について、できるだけ判りやすく解説していただけないでしょうか。
直:承知しました。二人の関係を念頭において、日本の哲学の課題とは何か、について講義しましょう。
講義:日本哲学の課題
幕末、江戸幕府からヨーロッパに派遣されて最新の学術を修得した西周等が、明治の初めにphilosophyを導入したことから、日本における「哲学」――この訳語は、西によるもの――の歴史が始まりました。哲学も、他のあらゆる近代科学と同じく、西洋から直輸入された学問ですが、それ以外の学問すべてを基礎づける根本的な学問という意味で、哲学の担う役割は、極めて重要でした。
さて、「哲学」とは何か。「世界と人生の意味に関する理性的反省」(野田又夫)という定義を、このホームページでもご紹介したことがあります。そういう営みは、世界中どこでも行うことが可能であるし、現に行われています。とすると、哲学という学問は、世界中どこでも同じように行われている、と考えられるでしょうか。その考えは、ある意味で正しいが、別の意味では正しくない、と思われます。世界・人生について理性的に反省する、という基本はまったく同じだが、反省の中身やスタイルは、国や民族によってさまざまに異なるというのが、そう考える理由です。どの地域でも、その土地に固有な人と自然との関係、人間同士の関係というものがあり、そういう関係性に沿って、問題を考えなければなりません。人および自然との関係が、「風土」を意味する。このことを、たぶんかなりの読者がご存じでしょう。
風土の異なりを無視したのでは、哲学もヘチマもない。この基本認識から出発しようとするのが、「哲学」としての風土学です。しかし、そういう考えとは反対に、西洋から輸入された哲学、つまりphilosophyをそのまま学べばよい、と考える人も大勢います――明治以後の日本の哲学者は、大半がそういう立場でした。それはどうしてでしょうか。古代ギリシア以来、西洋世界で営まれてきた哲学には、「論理」という確固たる基盤があり、ほかの条件は多少異なっていても、こと論理に関するかぎり、世界中のどこでも誰でも、それに従って考えるのが当然である、と考えられるからです。哲学を行うには、論理以外の用語、概念も重要ですが、概念は論理と深く結びついているので、西洋哲学の論理と概念を丸ごと輸入して摂取した方が手っ取り早い、という考え方が有力になります。
近代日本の哲学、そのパイオニアは西田幾多郎です。「西田哲学」という独創的な体系を完成させた、偉大な哲学者として知られています。彼が企てたのは、日本という風土に生じる自身の経験を、西洋哲学の論理によって説明することでした。その哲学をひとことで言い表すなら、「無の論理」。「無」というのは、西田が熱心に修業した座禅の求める「無の境地」ですが、その体験を西洋哲学の論理と概念で表現するということが、日本で哲学するということだ、と西田は考えたわけです。このやり方は、従来「不立文字」(ふりゅうもんじ)として、禅の意味を言葉では表現できないし、すべきでないとされてきた考え方を、ひっくり返しました。そうして西田が、無の意味をある程度まで論理化(言語化)できたことは、大きな成果に間違いありません。ただし、この成果には、陥穽というか、重大な問題が伴います。それは、本来、西洋的な論理では表現されないような体験の意味を、無理やり哲学の概念に当てはめてしまったことで、禅あるいは仏教がもともと備えている本質的なものが、歪めて表現されてしまったということです。この難点は、仏教の体験を論理によって表現しようとするかぎり、避けられないものです。
西田の後に続く人々、とりわけ山内得立のような直弟子は、師のぶつかった難点をどうすれば克服できるか、という新たな課題に立ち向かわなければなりませんでした。問題は、日本人に固有な体験を、いかに哲学的な論理によって表現するか、です。山内がこの課題に向けてとった作戦は、仏教など東洋的・日本的な文化の底に、西洋起源の哲学とは異なる、しかし確固とした「論理」の存在を認め、それに形を与えるということでした。代表作『ロゴスとレンマ』(1974年)の中で、山内は西洋哲学の論理を「ロゴス的論理」と呼び、仏教など東洋文化を支配する論理を「レンマ的論理」と呼んで区別しました。その狙いは、西洋のロゴス一辺倒ではなく、東洋のレンマにもしかるべき地位を認めて、二つの論理を対等に扱い、それによって東西の論理思想を区別し、かつ統合することにありました。師の西田から引き継いだ日本哲学の課題を、山内はこのように解決しようとしたのです。
レンマと〈あいだ〉
猛:いまの講義で、「レンマの地平」を提起されたことの背景が、だいたい分かりました。明治以後の日本の「哲学」が抱える課題に、山内得立が答えを出した。その答えを、現代社会の問題に応用しようとして書かれた著作が、『〈あいだ〉を開く』である、と。
直:そうですね、そう言えると思います。「現代社会の問題に応用」とおっしゃった点は、なるほどそうかと感じました。
猛:僕がそう言ったのは、三部構成のⅠでレンマの論理を説明してから、Ⅱの最初に、「第4章 なぜ〈あいだ〉が重要なのか」が置かれているからです。この章では、〈あいだ〉が、「環境」を考えるうえで決定的に重要である理由が示されています。
中:この本の中で、いちばん印象に残っているのは、「環境とは〈あいだ〉である」(72頁)という言葉です。ほかの章は、私にとってやはり難しく、お手上げの状態でしたが、第4章のこのあたりだけは、身を入れて読みました。
直:そうですか。実は中道さん以外にも、この考え方に共感を表明した人がいます。先月の「新着情報」でご紹介した拙著の書評の中で、「あいだラボ」の主宰者小林泰紘さんは、こう書かれています――「レンマ的論理における環境は、自己から切り離された外部の存在ではなく、自己がそこへと伸び広がり、自身と一体不可分な面を備えたものとなる」(「人と自然の〈あいだ〉をめぐって」151頁)。
猛:環境倫理学の二元論では、環境そのものの意味が覆い隠されてしまう、という批判ですね。書評ではもう一つ、その点に関連して、「南北問題」と呼ばれる構造的な不均衡にも言及がされています。手許にあるコピーから、その箇所を引用します。
近代科学革命以降、人が自然を支配の対象としてきた背後には、それと同時か、あるいは先立って、人が自然を支配するように他人を支配し、他人を支配するように自然を支配するという幾重にも錯綜した支配-被支配の構図が隠され、問題を深刻化させてきた。そして現代文明を生きる私たち誰もがその構図に陥る危険性を内にはらんでいる(同頁)。
先生、この記述をどう思われますか。
直:拙著のメッセージを正面から受けとめ、自分の言葉で正確に表現された、見事な要約です。著作権の関係から、書評の全文を公開できないのが残念です。
中:以前、「人間環境学研究」(都市の風土学)の講義に参加させていただいていたころ、環境問題の本質が南北問題であるということを、力説されていました。そういうお考えが、『〈あいだ〉を開く』でハッキリ表現されていると感じました。
猛:いま中道さんのお話を聞いて、気づいたのですが、「あいだを開く」というフレーズには、二重の意味があるのですね。一つは、二元論のように、人と人、人と自然を分断する考え方に対抗して、双方が一体不可分であるあり方をうちだすこと。もう一つは、中道さんや僕のような部外者が、大学院の講義に参加させてもらったように、対話のできる〈出会いの場〉をつくること。そんなふうに理解しても、よいでしょうか。
直:そのように考えてほしいと思います。じっさい、ご指摘の第4章には、「出会いのあいだ」という一節も入っていますから。人と人の〈あいだ〉というのは、たがいに異なる二人が、それぞれの違いを知りながら、出会って対話する場のことです。
中:人と人以外に、人と自然の〈あいだ〉というのも、同じように考えられるのでしょうか。ふつうの意味で、人が自然と対話するとは言いませんが。
直:たしかに自然は、人に向かって直接口を利くわけではありません。しかし、自然に相対するとき、例えば山に向かっているとき、向こうから語りかけられるような感じがすることがあるでしょう。自然を相手にして、向こうから語りかけられる「かのような」体験は、誰にでも起こりうる。そういう実感に目をつぶらないかぎり、人と自然の〈あいだ〉が開かれている、ということになるのではありませんか。
中:なるほど。おっしゃっていることの意味が、よく解りました。先月の「新着情報」で、御岳山について書かれていたのも、そういう趣旨ですね。
二元論との対決
猛:ここまでの対話をつうじて、『〈あいだ〉を開く』という著書が、先生の仕事の中で大きな意味をもつということが、見えてきました。『風景の論理』から『風土の論理』へと展開してきた風土学にとって、一つのターニング・ポイントといえる仕事ではないでしょうか。
直:そうですか。君がそう考える理由は、何ですか。
猛:それまで公にされなかった「レンマの論理」が、風土学の中心を占めるようになったということです。僕の印象では、日本における風土学の先駆者が、それまでの和辻哲郎から山内得立に替わったのではないか、と感じられます。いかがでしょうか。
直:それは、少し言い過ぎでしょう。山内のうちだしたレンマの考えが、風土学にとって大きなはずみとなったことは事実です。しかし、和辻の『風土』、特にその中に展開されたアナロジー(類比)の思想が、風土学の基礎である事実は動きません。
猛:お言葉ですが、最後の「第9章 アナロギアと〈形の論理〉」で取り上げられているのは、和辻ではなく山内の「アナロギアの論理」です。これは先生が、和辻よりも山内の学問の方を高く評価されているということではありませんか。
直:そう言われて、ハッとしました。君から盲点を突かれて、和辻と山内の関係を問題にしてこなかったことに、はじめて気がつきました。『邂逅の論理』(2017年)では、和辻のアナロジーを集中的に論じているのに、これは何としたことか。
猛:もう一つ言うなら、『〈あいだ〉を開く』が「レンマの論理」をうちだしたことで、風土学にとって新しいテーマが浮上してきたように思います。
直:どういうテーマですか。
猛:ロゴスとレンマとの関係をどう考えるか、つまり二元論と非二元論との関係です。僕は、哲学の学生として、特にこのテーマに関心があります。
直:インタヴュアーである君に質問して恐縮だが、君の関心はどういうところにありますか。
猛:この本でも、それ以後の本でも、先生は近代の二元論を批判しています。しかし、その一方で、二元論を認めるという意味のことも発言しています。ということになると、二元論を否定したり肯定したりすることの真意が、どこにあるのかよく分かりません。
直:君の疑問は、もっともです。二元論対非二元論、ロゴス対レンマという〈対決〉の形式をとった場合に、双方の立場がどういうふうに区別されるかを、簡単に示しましょう。
- 科学技術の分野を筆頭に、人間生活の大半の場面において、二元論は有効かつ不可欠である。二元論にもとづく論理的思考も、あらゆる学問(科学)の基礎として必要不可欠である。
- しかし、二元論には楯の反面ともいうべき致命的欠陥がある。それは、人間と自然をもっぱら利用・支配の対象とする欲望の視線を生み出すことである。
- レンマの論理は、二元論が閉ざした人と人、人と自然の〈あいだ〉を開く。欲望に歯止めをかけるべく、レンマ的思考をロゴスの支配する世界に導入しなければならない。
- ロゴス(二元論)とレンマ(非二元論)のいずれかのみでよいのではなく、双方の使い分け・配分が重要課題となる。圧倒的に優位であるロゴスの一辺倒を抑える工夫、コツが求められる。
以上4点にまとめましたが、これでどうでしょうか。
猛:二元論批判は、近代文明の全否定であるかのような議論になることが、よくあります。しかし、いまの説明で、そうではないことがよく解りました。
中:科学技術の恩恵を受けて生活している者としては、二元論を基本的に認めたうえで、その暴走を抑える工夫が必要である、とおっしゃっていることに共感しました。
直:上に挙げた4点、なかでも④は、拙著の中でふれなかったポイントです。ロゴスとレンマの使い分け・配分をどうするかは、これから真剣に検討しなければならない課題であると考えています。
新たな地平へ
猛:本日の対話から、三番目の著書『〈あいだ〉を開く』が、先生の風土学にとって大きなステップになった、と言えるような気がします。先生は、現在の地点から、この本の意義をどう把えておられますか。
直:君が最初に「ターニング・ポイント」と評されたように、この本は自分の学問にとって、まさに転換点である、ということが見えてきました。自分の意識の中では、そういう変化を特に気にかけたわけではないけれども、君から言われて、ああそうか、と納得した次第です。
猛:僕からすると、それまでの著作とこの本以後の著作とでは、内容が全然違います。それまでの本では、ベルクの著書や西洋哲学のテクストが中心を占めているのに、『〈あいだ〉を開く』以後は、山内得立を中心に、仏教や日本哲学のテクストが前面に出てきます。
中:そう言えば、ベルク先生の本に言及されることが、この本以後では少なくなりました。われわれ三人が対話した『〈出会い〉の風土学』(2018年)が、ベルク風土学を正面から論じた最後の本ではないでしょうか。
直:言われてみれば、そのとおりですね。私の書くものから、ベルク先生の影が薄くなってきているのは、じっさい、おっしゃるとおりです。
猛:それでも、第Ⅲ部の「第7章 通態性」では、「ベルク風土学における〈あいだ〉」が論じられています。この章が書かれたことの狙いは、何でしょうか。
直:説明しにくいけれども、一言でいえば、ベルク風土学と私の風土学との〈距離〉をはっきりさせたい、ということです。
猛:〈距離〉と言われたのは、「違い」ということでしょうか。
直:それもあります。けれど、同時に「近さ」の意味もあります――〈距離〉というのは、「離れを距(ふせ)ぐ」と読まれるように、「近さ」と「遠さ」の両方を含む関係です。
中:私のような素人には、理解しにくい関係のようです。解りやすく言うと、どういうことでしょうか。
直:「近さ」から言うと、「通態性」という概念は、先ほど論じた二元論と非二元論という異なる二つの立場を行き来すること、どちらか一方だけが正しいのではなく、どちらも正しい面があるとして、両方を活かす考え方を意味します。
中:なるほど。その点が、先生とベルクに共通する思想で、たがいに「近い」ということですね。
直:そうです。それと、これはまったくの偶然ですが、二人とも山内の『ロゴスとレンマ』に、ほぼ同時に注目して、私の方からレンマ的論理が「通態化」の考えと同じではないか、という意味の私信(メール)を、ベルク氏に送ったことがあります。
猛:で、それに対する返事は?
直:お前の言うとおりだ、としてこちらの指摘を全面的に認められました。ベルク先生の著書に「レンマ」がひんぱんに登場するようになるのは、それ以来のことだと記憶しています。
中:それでは、〈距離〉の意味する「遠さ」の方は、どういうことになりますか。
直:ベルクさんは、レンマを参考にしながら、ご自身の「通態化」の考え方を改訂された。そのあたりの事情を、第7章で取り上げました。その考え方は、一種の合理主義ですが、この章を執筆しながら、こんな解釈は合理主義的であっても、仏教を土台とするレンマには当てはまらない、とつよく感じました。この時期に、ベルク風土学との異なりを自覚したことが、そこから距離を置くようになった理由です。
猛:ベルク風土学から距離をとって、大乗仏教などのテクストに接近されることになったのは、そんな事情があったのですね。そういう方針転換から生まれた以後の著書については、次回以降に取り上げたいと思います。
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