〇年頭のご挨拶
寒中お見舞い申し上げます
更新日(毎月21日)の関係から、新年のご挨拶が遅くなりました。遅ればせながら、本年もよろしくお願い申し上げます。
首都圏一都三県に「緊急事態宣言」が発出される、という異常な年明け。それに比べて、ややマシという程度の関西圏にも、いくらか遅れて宣言が発せられたことは、ご承知のとおり。まことに憂慮すべき事態が、日本全体を覆っています。寒中に加えて、異常な昨今の状況、みなさまに心よりお見舞い申し上げます。本サイトを2019年11月に立ち上げてより、1年3か月が経過しました。この時期に当たっての所感などを、いささか申し述べ、年頭のご挨拶とさせていただきます。
- 社会状況について
関西大学退職の前年2019年は、私の人生でかつてなかったほど、社会活動に明け暮れた年でした。5月、ソウルの国際ワークショップに参加し、技術哲学者ホイ・ユク(許煜)氏と知り合いました。6月、オカムラのトーク・セッションに出演。夏から秋にかけて、デンソーのCreation GIGⅡに連続参加し、9月には「欲望と、技術の哲学」をテーマに、池上高志氏(東大教授)との対論を行いました。また同月、写真家麥生田兵吾氏に招かれ、京都のギャラリーで「風景の哲学」を語りました。年末には、京都フォーラムにおいて、〈あいだを開く〉をいかに実践するかについて、関係者と長時間の討議を行いました(以上の催しの内容、その折に作成したテクストやイベントの動画は、すべて「活動報告」「活動実績」でご覧いただけます)。
ところが、明くる2020年、この種のイベントに招かれ、あるいは参加する、といった機会は、パッタリ途絶えました。急変の原因が、年明け以後のウィルス感染禍によるものであることは、ご説明するまでもありません。国内では、2月からワクチン接種が始まるとのこと。それが、感染拡大をくいとめる決め手になるかどうか――分かりませんが、今年中に感染が収束するような見通しは、たぶん立たないだろう、と素人ながら思えます(五輪開催をめぐる疑問を、「出会いの広場」に投稿しました。ぜひ議論にご参加ください)。出口の遠い「ウィズ・コロナ」の時代が、しばらく続くものと覚悟しなければなりません。こちらとしても、去年、声がかからなかった「お座敷」が、今年復活するというような展開は考えられません。社会状況がどうであれ、いま自分として、やるべきことをやる以外にない。このことは、私自身にもみなさまにも、当てはまるのではないかと考えますが、いかがでしょうか。(もし、こんな情勢下でも、私を呼んで話を聞きたい、相談したい、というような奇特な方がおいでになるようなら、どこにでも参上する用意があります。その場合は、交通費のみご負担をお願いします。また従来どおり、「オフィス・アワー」[金曜午後2時-5時]を開いていますので、こちらにもどうぞ。)
- 主宰行事について
先月に発表した行事の方針・予定に、変更はありません。「木岡哲学対話の会」は、本年3月をもって終了します。『随眠の哲学』読書会は、年明け後も、ひきつづき隔週に開催しています。「木岡哲学塾」は、12月に今年度の予定を終了し、4月の新年度から新しいプログラムで再開する予定です。狭いオフィスゆえ、「密」は避けられませんが、リスク覚悟でおいでくださる方を歓迎します(人数に若干余裕があります)。
これらの行事について、ご意見・ご要望がおありの方は、遠慮なくお聞かせくださるようお願いします。
- 出版計画について
個人的な計画をお知らせします。昨年は出すことのできなかった著書を、できれば2021年度中に出版したいと考えています。タイトルは、『瞬間と刹那』。書物の内容を一言で説明することは難しいのですが、あえて申し上げるなら、西洋と東洋、大きく分けられる二つの世界のものの見方を、「瞬間」(西洋)「刹那」(東洋)にそれぞれ代表させ、その異なりを明らかにする、という試みです。二つの世界の本当の〈出会い〉を実現させるために、何が必要なのか。その条件を明確に示すということが、これを書くことの狙いです。執筆中の内容や進行状況については、「木岡哲学塾」のほか、ホームページに連載中の「エッセイ」などで、随時お知らせしたいと考えています。
- 「エッセイ」について
「テクノロジーの問題」「〈あいだ〉を考える」につづく「〈出会い〉の人間学」のシリーズも、今月で5回目。これをもって、本シリーズを打ち切ることにします。毎月更新する方針で、書きつづけてきたエッセイですが、この先もシリーズ物を続けるのか、毎回読み切りのアラカルト方式で行くのか。迷いましたが、年の初めに思いついた「近代を生きる」というシリーズに、来月から着手することにしました。
「近代を生きる」は、どちらかと言えば、論文のタイトルに近い。「エッセイ」に気楽な読み物である「随筆」を期待される方からは、カタイなあ、もっと柔らかいテーマ(内容)にできないか、という声が飛んできそうです。自分でも、そのとおりと思います。それでも、ホームページが続けられるあいだは、この調子で、「難しい」テーマに挑むことを、自身に課すつもりです。以下は、多少の言い訳です。難しいことを難しく書くのは、難しくありません。難しいことをどこまで易しく書けるか。これが、哲学の世界に長く生きてきた私にとっての、最終チャレンジ。過去1年余りを振り返って、まだまだ目標には遠い、というほかありません。
熱心な読者の方から、コメントをいただき、それにお答えすることが、自分にとって大きな励みになっています。それでも、注文を付けることを遠慮される方が、多いのではないかな、と感じています。「難しくて、よくわからなかった」「〇〇の話が、おもしろかった」といった一言だけでも、当方にとっては参考になります。こういうことを書いてほしい、というリクエスト――つい最近、菅野さんからいただきました――も、歓迎です(ただし、すぐお応えできるかどうかは、確約できませんが)。掲示板「出会いの広場」とあわせて、エッセイへの書き込みを、今年もよろしくお願いします。