毎月21日更新 エッセイ

近代を生きる(5)――日本と中国

 

近代を生きる(5――日本と中国

 「近代を生きる」シリーズの5回目。201911月から連載を始めたエッセイも、これで4つのシリーズ各5回、全20回目を迎えたことになります。前回分につづいて、次に何を書こうかと迷うのが、いつものこと。今回も思案するうち、このシリーズを企画したときに覚悟したテーマの重さに、ほとんど何も応えていないという事実に、ハタと思い当たりました。「近代を生きる」というテーマは、私自身が「近代」をどうとらえ、どう評価するのかを基軸とし、私たちが現にそれをどう生きているのか、またどう生きるべきかを反省する、という狙いに立って、設定したものです。第1回(「最初の問い」)に、現在の日本が「近代」であるのかどうかを問い、「現在の日本は近代である」という答えを出しました。しかし、それ以後は、「近代」に何かしら関係する内容ではあるものの、「近代」そのものを真正面から取り上げる議論をしてきませんでした。これでは、何のために本シリーズの看板を掲げたのかが疑われる、というものです。

 ここで姿勢を正して、正面突破を図ります。と言っても、「近代」という敵は巨大で、まともに相手にするには骨が折れます。シリーズ第3回の冒頭で、竹内好『日本とアジア』(ちくま学芸文庫、1993年)という本を紹介しました。これは、日本の近代を、近隣アジア諸国とりわけ中国との関係から問題にした、本格的な評論集。シリーズ最後に取り挙げるのにふさわしい、重量感のあるテクストです。そこで、その最初に置かれた「中国の近代と日本の近代」を材料にして、上に挙げた狙いを果たすよう努めたいと思います。

テクストについて

 竹内好(191077)は、魯迅の翻訳などで著名な中国文学者・評論家。「1934年武田泰淳らと中国文学研究会を結成し、日本における現代中国研究の端緒を開く」(文庫カバー裏の略歴紹介)。日本の太平洋戦争敗北後まもなく、1948年に発表されたこのエッセイの動機は、「当時は自覚しなかったが、後から考えて、自分流に近代化の一般理論を目ざしたことは確からしい」(著者自身の手による「解題」)。しかし、その結果は、自身の表現によると、「理論にたどりつく数歩あるいは数十歩手前で止ってしまっていて、せいぜい歴史学批判の、それも序説でしかない」とのこと。もっともこの作品は、「戦後日本の生み出した、語の本来の意味における歴史哲学の一つ」(野村浩一)という評価を受けていて、私の受けた印象も、そういうものです。

 歴史の中の「近代」は、人間の手で切り拓かれ、人間によって意味づけられた時代を表しますから、それを考えることは、人間が自分のしたことを反省するということです。わざわざそんなことをお断りするのは、宇宙の歴史とか人類誕生以前の地球の歴史、といったものが、「自然の歴史」(自然史)として考えられ、それと「人間の歴史」(自由史)とは違う、という大前提があるからです。人間が歴史を自分の手でつくったからと言って、その意味がよく解っているとはかぎりません。当人の意図したとおりに事が運ばない、というのが世の常。思いもかけない方向に動いてゆく世間を見て、どうしてそうなったのかと考える。そういう、誰にでも起こる疑問や不思議を考えることから、歴史の営みが始まります。「歴史」は、実際に起こった出来事を表すと同時に、それについて書かれた記録、文書を意味します――ちなみに、「歴史」(history)と「物語」(story)の語源は同じ。出来事と、それについて語り書く行為とが、切り離せないというのが、「歴史」の特徴です。

 「中国の近代と日本の近代」は、いま述べたような意味での歴史を対象に、日本人である著者が、「当事者」の視点から中国と日本の近代化を反省する、という趣旨で書かれたエッセイです。「日本の近代」は当然のこととして、「中国の近代」にも日本人は深く関与していて、その歴史について相当の責任があります。「責任」というと、メンドウな議論が予想されますが、「他人事でない関心がある」と言いかえれば、おそらくどなたも納得されるでしょう。中国と日本に、それほど深いつながりがあるという事実は、歴史を多少でも学んだことのある日本人なら、知らない人はいないはずです。

「近代」の意味

 『日本とアジア』は「歴史哲学の一つである」という評価を、上に挙げました。その評価を裏づけるように、この本には、「近代とは何か」についての「哲学」的な見解が示されています。それを引用します。

 近代とは、ヨーロッパが封建的なものから自己を解放する過程に(生産面についていえば自由な資本の発生、人間についていえば独立した平等な個としての人格の成立)、その封建的なものから区別された自己を自己として、歴史において眺めた自己認識であるから、そもそもヨーロッパが可能になるのがそのような歴史においてであるともいえるし、歴史そのものが可能になるのがそのようなヨーロッパにおいてであるともいえるのではないかと思う(13頁)。

いかがでしょう。私の想定している読者――高校で「世界史」を学習したことがある、という条件ですが――なら、いちおう納得される「近代」の定義ではないでしょうか。引用個所の後に、まだ少し「歴史哲学」的なコメントが続きますが、問題とする「近代」の意味を考えるためには、これだけの記述で十分かと思います。

この引用文では、「近代」がヨーロッパの出来事として説明されています。中世の特徴である「封建的なものから自己を解放する過程」が近代であり、その本質は、①「自由な資本の発生」、②「独立した平等な個としての人格の成立」、の二点であるとされています。この二つの事柄がヨーロッパに起こったことは、間違いのない事実であり、それを「近代」の成立だとする考えにも、不審な点はありません。私は、そのとおりだと考えます。少し難しいと思えるのは、その後、「そもそもヨーロッパが可能になるのがそのような歴史においてであるともいえるし、歴史そのものが可能になるのがそのようなヨーロッパにおいてであるともいえるのではないか」とあるところ。つまり、ヨーロッパと「歴史」とが、一体であるかのように書かれているところです。「ヨーロッパは歴史において成立した」とともに、「歴史はヨーロッパにおいて成立した」と。これはどういうことでしょうか。このことを説明するには、「歴史哲学」に立ち入って考える必要があります。それについては、説明を省きます(気になる方がいれば、ご質問ください)。もう一つ、上の引用文で、オヤと首をかしげたくなるのは、「近代」の説明に、中国も日本も出てこない、ということ。エッセイの趣旨にそぐわないと思われませんか。そのとおり、「近代」は、さしあたって西洋、というよりヨーロッパに成立した歴史であって、日本や中国のようなアジアとは、一見無関係に思われます。しかし、実はそのことから、このエッセイにかかわる根本問題が生まれてくるのです。ここから、それを考えましょう。

自己拡張――ヨーロッパの運動

 竹内好が、弱冠30代で下した「近代」の本質的規定――①「自由な資本の発生」、②「独立した平等な個としての人格の成立」、そして、それらがヨーロッパで起こった事実であるという点。その見識には、脱帽です。この人の洞察力が、中国研究者としてのキャリアから生まれたという点が重要です。というのは、「近代」の本質である上の二点は、中国や日本、さらにアジアとの関係なしには、説明がつかないからです。先の引用個所の少し後に、ヨーロッパの自己拡張が「東洋への侵入という運動」となった、と説かれています。アジアへの進出――「侵入」と同じことですが――の動機として、資本主義的な市場の拡張、キリスト教の宣教、という二つの出来事が挙げられます。この二つは、一見したところ別々のようでありながら、実は一体である。それは、ヨーロッパが自己を拡張しつつ、自己を確認するための手段であって、根本では一つの運動です。「ヨーロッパがヨーロッパであるために、かれは東洋へ侵入しなければならなかった」(14頁)とあるとおり、ヨーロッパが主体として、東洋という〈他者〉の世界に進出し、いわば〈他者〉を利用することによって、〈自己〉を確立したのが「近代」である、ということになります。

 世界史の授業では、たぶん、これほど突っ込んだ「近代」の解釈を聞かされることはないでしょう。私が半世紀以上前に授業を受けた「世界史」――その記憶は、もはや定かではありませんが、教科書は定評のある山川出版社のものでした。ヨーロッパの内部に、「近代」の誕生を告げる出来事、例えば、ルネサンスや宗教改革が起こるいっぽう、それと並行して、外部に向う動き――大航海と地理的発見、それに続く植民地開発競争――が生じ、それらがあいまって近代世界が成立した、といった説明が行われたと思います。竹内の考えは、それとは違って、内部と外部一体の運動が「近代」だというものです。ヨーロッパの「自己保存」「自己拡張」「自己解放」に、アジアが利用された。だから、利用されるアジアがなければ、ヨーロッパの近代は誕生しなかった。これが竹内の解釈で、そのとおりだと思います。私もまったく同意見です(ちなみに、拙著『邂逅の論理』の中で、それとほぼ同じ近代観を述べています)。

このような説明は、〈自己〉によって利用される〈他者〉の視点に立ったことがない者には、たぶんできないでしょう。西洋に侵入された東洋の側から、侵入した側の「近代」をとらえる竹内の視点は、中国研究者として中国人の立場から歴史を見ることをつうじて、生まれたと考えられます。ついでに言うなら、竹内とほとんど同じ近代観を私が抱くようになったのも、西洋中心的なものの見方を相対化する、風土学の立場をとるようになってからのこと、日本の運命として「近代化」を考えるようになってからのことです。年齢で言えば、竹内がこの評論を書いたときより、20歳近くも遅く――

強制された近代

 ここから、視点を中国および日本に転じます。ヨーロッパに侵入されたアジアには、「近代」はありません。ヨーロッパが、アジアその他の非西洋地域を利用して近代を実現したのに対して、利用された側の国々では、近代の強制というべき「近代化」が起こりました。「近代」と「近代化」とが異なること、とはいえ、「近代化」を進めた明治以後の日本は、それなりに「近代」であると認めるべきこと、こうした点については、本シリーズの(1)で論じました。竹内は、この点についても、「東洋の近代は、ヨーロッパの強制の結果である」(12頁)とはっきり言い切っています。これも、私と同意見です。

 侵入され、支配される側の「近代」(近代化)とは、どういうものでしょうか。それはまず、異質な〈他者〉との遭遇から始まります――ヨーロッパが、アジアを〈他者〉として発見したのと同じように。けれども、東洋という〈他者〉を、征服し利用することのできる相手と見ることのできるヨーロッパに対して、利用される側の事情はまったく異なります。自国にはない、圧倒的な文明の威力を具えた欧米に対する日本、中国の態度は、「抵抗」に代表されます。ただし、それだけではなく、もう一つ挙げなければならないのは、「模倣」、つまり同一化の欲求というものです。幕末に攘夷派と開国派が争ったことからもわかるとおり、異文化との接触に際して、斥力と引力の両方がはたらくことは、ことの当然の成り行き。「近代」が、「新しさ」を意味するということを、本シリーズの(1)で書きましたが、ご記憶でしょうか。新しいものに対して、魅力と不安をこもごも感じるのが人間である、と言えばお解りいただけるでしょう。

 いま述べたことからすると、「強制された近代」という表現には、多少の留保が必要になります。というのは、「強制」には、それをしなければ生き残れない、といった必然性が意味されるけれども、日本あるいは中国の近代化には、強制とは反対に、それを自ら望んで選択した、という意味での「自由」の要素も含まれるからです。抵抗と同一化、強制と自由、これら相反する要素のいずれかのみではなく、両方がからむ複雑な仕方で、アジアの近代化が進められた、と考えなければなりません。近代化が成功するには、矛盾や葛藤を表面化させず、内にしまい込み、能率的に事業を進めることのできる、要領のよさが求められる。竹内は、それの出来る日本人を「優等生」、日本文化を「優等生文化」と呼んでいます。ところで、「優等生」の対極には「劣等生」がいます。日本の文化は、優等生のための文化であって、劣等生には開かれていない。お断りしておきますが、ここでいう「優等生」「劣等生」の区別は、人間の価値とは関係がない。竹内好は、そういうニュアンスとともに、これらの言葉を用いています。これについても、私はまったく同感です。そうして、竹内が「劣等生」の代表として取り上げている人物が、中国の作家魯迅(18811936)です。

魯迅の近代性

 竹内は、「劣等生諸君」と呼びかけます。「もし諸君が仲間入りさせてくれるなら私も諸君の仲間に入りたい」と。しかし、日本の「優等生文化」の中では、それができない。日本の中では、「優等生」のはしくれとして生きるしか道はない。その苦渋の中で、「劣等生」の道を貫いた魯迅に焦点を当て、中国および日本の近代がはらむ複雑な意味を、底から抉り出していく。そこが、このテクストの白眉と言えるところです。私の文章に、そのスゴサを伝えるだけの力が、あるかどうか。ともかく、何とかそれを試みましょう。

 魯迅の思想をもっとも単純な形で表現した作品に、「賢人とバカとドレイ」(1925年)という寓話があります(タイトルは、原文ママ。ちなみに現在、「バカ」は禁句らしく、翻訳の新しい版では「愚者」に改められています)。竹内の要約をそのまま引くと、こういう内容です。

 ドレイは、仕事が苦しいので、不平ばかりこぼしている。賢人がなぐさめてやる。「いまにきっと運がむいてくるよ。」しかしドレイの生活は苦しい。こんどはバカに不平をもらす。「私にあてがわれている部屋には窓さえありません。」「主人にいって、あけさせたらいいだろう」とバカがいう。「とんでもないことです」とドレイが答える。バカは、さっそくドレイの家へやってきて、壁をこわしにかかる。「何をなさるのです。」「おまえに窓をあけてやるのさ。」ドレイがとめるが、バカはきかない。ドレイは大声で助けを呼ぶ。ドレイたちが出てきて、バカを追い払う。最後に出てきた主人に、ドレイが報告する。「泥棒が私の家の壁をこわしにかかりましたので、私がまっさきに見つけて、みんなで追いはらいました。」「よくやった」と主人がほめる。賢人が主人の泥棒見舞いにきたとき、ドレイが「さすがに先生のお目は高い。主人が私のことをほめてくれました。私に運が向いてきました」と礼を言うと、賢人もうれしそうに「そうだろうね」と応ずるという話である。(3940頁)

中国の現実を映した寓話です。寓話の主役は、ドレイ。このさい、「賢人」「バカ」「ドレイ」が、それぞれ何を寓意しているか、考えてみてください。魯迅自身がドレイである、と竹内は書いています。寓話の中のドレイは、賢人やバカに救いを求めますが、けっして救いは得られない。魯迅が、賢人を憎んでバカを愛したことはたしかだとしても、自身がバカとして生きることも許されない。「バカがドレイを救おうとすれば、かれはドレイから排斥されてしまう。排斥されないためには、したがってドレイを救うためには、かれはバカであることをやめて賢人になるより仕方がない」(41頁)。

いかがでしょう。日本のヒューマニスト作家なら、ドレイが賢人によって救われるか、バカによって救われるというふうに書くだろう、と竹内は書いています。そのとおりだと思います。日本には、相当数の賢人、ごく少数のバカ、そして圧倒的多数のドレイが存在して、それぞれの役割を演じていますが、そのいずれにも救いはないと考えられます(この見方に合点がいかないという方には、たとえば、五輪開催をめぐる現状を参考にされてはどうか、と申し上げます)。では、どうすればよいのでしょうか。賢人、バカ、ドレイのいずれかを選ぶしかないとすれば、どの道に救いがあるのでしょうか。どれにも救いはない、というのが唯一の答えです。というと、人は反論するでしょう、ドレイが主人を倒して、ドレイ状態から自分を解放すればいいじゃないか、と。そういう革命の幻想を、魯迅は拒絶します。「ドレイとドレイの主人は同じものだ」と。そういう魯迅の考えは、かなり解りにくいかと思います。歴史の場面に移してみると、中国でもロシアでも革命が起り、支配階級が労働者階級によって打倒された。ドレイが主人に取って代わる状況が、出現したわけです。しかし、それは単に「主人」が入れ替わっただけのことであって、〈主人奴隷〉の関係が消えたというわけではない。それは、〈人間の解放〉とはおよそほど遠い状態です。

中国と日本の近代

 「中国の近代化」という重い課題を担って、絶望を生きた魯迅。その魯迅が、医学生として一時日本に留学したことがあるのを、ご存じの方がおいででしょうか。今回のエッセイを読んで、興味を持たれた方には、彼の留学生時代のエピソードを記した「藤野先生」(『阿Q正伝・狂人日記他十二篇(吶喊)』竹内好訳、岩波文庫、ほか多数)を読まれることをお勧めします。日本と中国の関係を真剣に考えようとする方に、主人アメリカのドレイでありながら、中国叩きの尻馬に乗る日本の「賢人」たちとは違った立ち位置がある、ということを考えていただきたい。私自身の立場は、魯迅と同じく、「近代化」に際して、おのれがドレイであるほかない事実を自覚し、ドレイとして生き抜く覚悟をもつということです。

 ここから、日本の近代に目を転じましょう。と言っても、今回のエッセイの狙いは、近代の成立に関係する〈日本中国欧米〉という三局構造の中で、日本の近代を考えるところにあります。先行して近代を実現した欧米に対して、日中の二国は、遅れて近代に入ったアジアの仲間ですが、その様子はだいぶ異なります。西洋から近代化を強制される立場は共通していても、それに臨む姿勢、対応の速さが大違いです。それは、「抵抗」の強度の違いとして要約できるかもしれません。近代(モダン)の物差しである「新しさ」に対して、ほとんど抵抗がない日本、抵抗が強い――したがって近代化が進みにくい――のが中国、という違いです。「新しい」ものに対して、抵抗が強いということは、古いものが根深く残っていて、新しさの侵入を妨げるということです。「中国三千年」――欧米などとは比較にならないほど、長い伝統をもつ大国の歴史――なればこそ、近代に対する抵抗が強力である、と考えられます。明治に入るまで、日本が最大のお手本として学び、尊敬してきた中国が、こと近代化に関して、日本に遅れをとるという皮肉な現実。付け加えると、そういう流れの中で、留学中の魯迅は、たまたま日露戦争のニュース映像の中で、日本兵によって中国人が処刑され、それを見る中国人観衆が喝采する、という場面を目にします。それを機に、彼は日本での学業を断念して、帰国を決意するくだりが、「藤野先生」に出てきます。それまで、魯迅の講義ノートに朱で添削して返してくれた藤野先生から贈られた、「惜別 周君(魯迅の本名は、周樹人)」と記された肖像写真を、机上に置いて見つめる魯迅の思い……。長年にわたる隣国との親交を、もはや忘れ果てたかと言いたい、昨今の日本人にぜひとも読んでもらいたい作品です。

 西洋近代が確立した合理主義や個人主義、先進的な科学技術、何よりも生産力にかけて、過去の歴史がどうであれ、近代化の途に就いたばかりの日本・中国は、西洋という「大人」に対する「子ども」――寓話のキャラクターで言えば、主人に従うほかないドレイ――です。ただし、ドレイであるということは、その生き方において、①ドレイの身分を脱しようとする、②ドレイの身分であることを甘受する、という二つの選択が開かれているということです。①と②どちらをとっても、ドレイがドレイでなくなることはありません。無自覚であるか自覚的であるか、そのいずれかの違いだけです――その違いが、根本的に重要だと私は考えます。竹内好が「優等生」と位置づけた近代日本の指導層やインテリは、①が可能であると信じ、近代化の路線を猪突猛進した。けれども、「かれは自分がドレイでないと思うときに真のドレイである」(43頁)。日本の現在は、この逆説を証明して余りある、と私には思えます。技術革新や経済成長を、手本とした欧米以上に手際よく、効率的に推し進めた近代日本が、そうした「進歩」を達成したかに見える現在、文明の支配者どころか、半永久的なドレイに成り下がっている、というのが真相ではないでしょうか。

日本よりも遅れて近代化に乗り出した現在の中国も、日本と同じく――もしかすると日本以上に――①の道を突き進んでいるように、私の目には映ります。「日本以上に」と断ったことには、理由があります。本気で欧米先進国と覇権を競ったなら、日本と比較にならない地点にまで到達するだけのポテンシャリティが、大国中国にはあるからです。その行方を案じ、主人に成り替わろうとするだけのドレイにならないよう忠告する、隣人としての義務が、日本にはあると私は思います。しかし、この国には誰一人として、そういう責任を自覚する人間が、すくなくとも表立っては見あたらない、というのが現実です。それは、日本人が、自分自身ドレイに過ぎないのだ、という真実の意味を理解しないからです。

という次第で、私は自分の生き方として、先ほども申し上げたように、②ドレイの身分であることを甘受する、を選びます。なぜなら、それ以外に選ぶべき道はないからです。「ドレイに徹する」こと、それはご主人様に追従しながら、やがてその地位に取って代わろうとすることではありません――残念ながら、かつての日本がそうであったように、現在の中国もどうやらそういう路線を歩んでいるらしい、と見うけられます。ドレイを卒業したいという欲求が、ドレイでありつづける結果を生み出しているわけです。

〈非近代〉への途

ここで視点を変えましょう。「ドレイに徹する」とは、どういうことでしょうか。それを、自分なりに別の表現で言い換えることによって、本シリーズを締めくくります。

西洋がいちはやく切り拓いた近代、そこには、非西洋がそれを学んで取り入れなければならないものが、いっぱいあります。基本的な人権の思想――自由な個人が、自分の意志でおのれの生き方を決める権利、同時に自分以外の他人にもそれを許す態度――などは、その筆頭に挙げられるでしょう。それを認めないのは、民主主義に反する全体主義の体制、専制国家の横暴であるとして、周りの「近代国家」から糾弾され、袋叩きにされます(具体例は挙げなくても、お判りでしょう)。近代以前にある「劣等生」は、自分より上の「優等生」に憧れ、自分もそうなりたいと、「近代化」に突き進みます。日本はそれによって、他のアジア諸国に先んじて、「優等生」の仲間入りを果たしました。今回用いた比喩で言うなら、ドレイが主人に成り替わろうとする企てに成功した――それを「成功」とは言いたくありませんが――わけです。日本ほど積極的になれない事情が、中国にあるとすれば、それは偉大な国家としての過去の歴史です。そういう偉大な過去をもつ国家でも、遅れてしぶしぶ近代化に参加しないわけにはいかない、そうしなければ世界に取り残される以上――。しかし、そういう「近代化」は、日本のようにひたすら新しいものに飛びつく「優等生」ではなく、「劣等生」的ふるまいであってもよいはずです。私の言いたいことが、お判りいただけますか、過去に偉大であった中国が、先行する欧米に伍して生きるためには、あえてドレイの身分を甘受する以外にない、という逆説的な真実が。魯迅は、その現実を生き、ドレイとして生きる運命を引き受けようとした。そこに希望はいっさいなく、だから彼の小説が「暗い」のは、どうすることもできません。

「近代」は否定できないし、「反近代」は論外です。だからといって、近代を全肯定することは、全否定することと同じくらい、ナンセンスな所作だと言わざるをえません。近代でも反近代でもなく、その〈あいだ〉に立つこと、〈非近代〉を生きること、がとるべき唯一の途だと私は考えます。「ドレイとして生きる」を、もう少しソフトな表現を用いて、近代と反近代の〈あいだ〉に立つこと、と言い換えることにしたい。そういう〈非近代〉なら、中国にも日本にも、それなりに可能性があります。〈非近代〉への途がどういうものであるかは、また機会を見て考えることにしたいと思います。

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